派遣録72 闘病記①

ここまで(2009~2011.2)、派遣というより、年金事務所での日々(アシスタント職員=非正規)を書いてきた。

日雇い派遣の話を書きたい。
俺はこの後、日雇いの“第4期”(大病後)に突入するのだが、その前に、“この話”は書いておかなければならない。

記憶の無い“あの日”

 “その日”の事は今でも覚えている。
 …というか、記憶は曖昧だ。

 その日、福原(仮名)の命で、事務所内用の『インフルエンザ予防』のポスターをパソコン(パワーポイント)で作成していた。
 昼前に、首の後ろが猛烈に痛みだし、身体が動かなくなり、動けなくなった。
 『首や痛い』や『頭痛』を越えて、『痺れ』に近かった。
 仕事が出来ず、休憩室で横になっていた。

 そんな状況でも俺は、(…キツい風邪を引いたな💦)と思っていた。

 その後どうしたのか、よく分からないが、昼過ぎになり、適用調査課の課長が「鈴木くん、もう帰ったらどう?」と言ってきた。

 確かに、もう働ける状態ではない。
 “風邪で首や身体が動かない”と思っていた。
 ここからは、かなり記憶が曖昧だ。
 どうやって自宅まで帰ったのか、覚えていない。“赤電”(遠州鉄道🚃)に乗り、実家まで這うように帰り、最寄り駅を降りた時、午後5時を告げるチャイムがなったのを覚えている。
…後の記憶は今も朦朧としている。

 帰宅し、すぐに寝た。“風邪”なのだから寝たら治ると思っていた。

運命のMRI

 夜中に目が覚めると、首の痛みは無くなり、頭痛も止んでいた。
(…やはり風邪か?)
 俺は安心した。

 だが、朝起きると、また痛みがぶり返してきた。
 首を数ミリ動かしただけで、身体中が痺れたように痛かった。
 それでも(…風邪、治ってない。インフルエンザか?)などと思っていた。
 俺は事務所に休む事を告げ、近所のクリニックを予約した。

 クリニック内は相当混んでいた。かなり待たされた記憶がある。
 俺はインフルエンザの検査をしてみたが、陰性だった。
 そして、その時に去年の夏場から首が痛い事を告げた。
 「念のため、MRIをしてみましょうか?」と勧められた。
 俺は試しにそのMRIを受付てみる事にした。

 今から思えば、この時にMRIを受けた事が“今後の俺”に大きく関わる事になった。
 前から(…なんだか、前からおかしいな。調べてみるか?)と思った。

脳腫瘍


 MRIを受けた後、数人の待ち人を飛ばし、医師の部屋に呼ばれた。

 そこには俺のMRI画像があり、俺の頭の中に白いものが写っていた。
 そして医師は言った。
 「…君ね、頭に腫瘍があるよ。すぐに調べてみて」
 「…!」

 言葉が出なかった。
 (…俺が脳腫瘍?)
 すぐに頭に浮かんだのは『スクールウォーズ』のイソップだ。ドラマの中で脳腫瘍で亡くなっていた。
 (…俺、死ぬの?)
 医師は続けた。
 「たぶん、ステージは低いと思うけどね。すぐに調べたら判るから。それでもう一度来て。紹介状、書くからさ」
 俺はまだ自身が脳腫瘍とは信じられなかった。
 「自覚なかった?」
 それはあった。度重なる頭痛と首の痛み。思えば、目もおかしい。
 これは全て、脳腫瘍のせいだったのだ。

 俺は呆然とクリニックを出た。
 (…どうするの、俺は?)
 考えなければない事は山程あった。
 俺には、言わなくてはならない人間がいた。大学の後輩だ。

 一週間後、結婚式に呼ばれていた。大阪で行われる予定の式にはいけない。
 俺はその場で電話して、脳腫瘍の事を言って、結婚式に出られないことを告げた。
 相手の反応は覚えていない。

 帰宅し、両親に話した。
 母親は泣き叫んだ(後からカウンセラーが来た)

 彼女にも連絡した。かなりショックを浮けていた。

 準職員試験の事は俺の中から消えていた…。


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