派遣録67 【思い出の仕事2】 パソコン作業

俺の採用理由?

 志の輔課長(のバカ)がいた頃、俺に言っていた事がある。
 「お前はパソコンが出来るからなあ」
 確かに俺はパソコンソフトの資格(MCAS、MOS)やwebクリエイター資格(初級)を保持していた。
 前の仕事(求人誌編集)ではいつもパソコン画面とにらめっこして、校正作業をしていた。
 だが、“得意”とまでは言えないし、俺くらいの技術なら、世の中に掃いて捨てるほどいただろう。福原辺りはわかっていたはずだ。
 つまり、それほど民営化直後の年金機構は“デジタル化”に乏しかったと言える。

 確かに、他の職員でもパソコンの操作に苦戦している人が多かった。
 WindowsのAccessで作ったccsがぶっ壊れ、繋ぎ直した事があったなあ。

 庶務業務は、前に書いたようにパソコンをよく使った。
 書類などの収受記録→Excel
 帳簿類管理(ファイリング)→Excel
 備品の管理、発注→専用サイトに申請
 公的機関(警察、児童福祉事務所など)からデータ引き渡し依頼→Wordで返答
 届け出の記録→Excel

 1日の半分はパソコンの前にいた。

 なので、否が応でも、パソコンが上達してしまった。

 繰り返しになるが、俺のいた厚生年金適用調査課は、担当区域(浜松市北・東部と磐田周辺)の厚生年金に“適用”される企業の調査“係”と、俺(非正規)と福原(正職員)のいる備品なとの管理をする庶務“係”に分かれていた。

 特に庶務業務が低く見られていたわけではないし、俺もそういう風には思っていなかったが、市内の会社とやり取りする調査“係”が少し羨ましかった。
 調査“係”は正職員が2名と準職員が3名いて、日々忙しそうに働いていた。庶務“係”の俺も?前の記事に書いたような事(倉庫内廃棄)などで忙しかったが、作業自体はかなり“内向き”だった。
 
 “こうなった”今(脳腫瘍→吃音)でこそ“コツコツ黙々”な仕事が好きになったが、この頃の俺は以前の求人誌編集、日雇い仕事を経た経験から、もっと仕事がしたかった。

 だが、俺の立場は『アシスタント職員』という機構内のヒエラルキーの“最下層”…。
 生意気な事が言える立場ではなかった。
 黙々と三階にある輪転機で、職員の指示通りに大量コピーなどをしていた。そして、またパソコンに向かい、キーボード⌨️を叩いていた。
 
 この頃の俺のイメージは、『反抗的で少しパソコンの出来る“行き場の無い”奴』ではなかっただろうか?(言われた事はなかったが…)

研修と美化委員

 民間から採用され、年金や社会保険の知識などゼロの俺だったが、そうした人間はたくさんいた。
 社会保険庁は民営化され日本年金機構となり、半分近くの職員が民間から採用されていた。

 そんな“俺たち”の為に、年金事務所では度々『研修会』が開催された。
 二週、多いときは毎週。
 研修会が開催され、年金や社会保険に関しての勉強会や問題などを説明された。
 強制参加もあったが、それは所属する課(国民年金、給付、適用、徴収、記録)により、必要となる知識を深める為、必要な研修だった。

 俺も担当するデータの“扱い方”や、厚生年金関係の規定を学ぶ為、この研修会にはよく参加した。
 …というか、参加しないと仕事に支障が出たりした。

 年金事務所で取り扱う書類、申請書は多岐にわたっていたので、日々覚える必要があり、そうしないと非常に困る事があった。
 俺は、警察などへの情報提供関連の手続きをよくした。
 だが、他の公的機関への個人情報の提供には規定があり、『刑事訴訟法第◯◯条により~』というような文言が無いとそれが出来ない。
 どの“要請”に、どの“規定”の文言か必要になるのか、事前に頭にいれておく必要があり、これがなかなか大変だった。
 たまに本物の刑事が来ていた。
 こうした研修会がよく開かれていた。

 さらに、所内で“美化委員会”(もしくはカスタマー委員会)が設けられ、各課一人が所属した。
 これは毎週一回集まり、所内の美化が行き届いてないところ、改善箇所、利用者(お客様)へのサービスなどを話し合い、それを実現すべく活動(掃除など)をした。

 大きな会社などでやりそうな事である。
 社会保険庁から年金機構(民営化)になり、一般企業に“合わせた”のかもしれない。

 だが、俺からみると、どうしても『面倒だから、“民間出”のお前(俺)、やっとけよ』という押し付け感は拭えなかった。

 やはり根底には、『俺たちは“元”公務員』という(エリート?)意識が漂っていた。
 “美化”と言えば聞こえは良いが、要するに“雑用”であり、それをいえないから“美化”とか“お客様満足度向上”などと言い換えていた気がする。
 だが、これも仕事だ。
 俺は民間だろうが、公共機関だろうが、利用する人へのサービスは同然だと思った。
 別に事務所でそうした“働きかけ”を蔑ろにしていたではなかったが、『そういう事は“民間”で…』みたいな雰囲気は感じていた。

 その内容も、『受付の待合に雑誌を置こう』とか『見やすい案内板を作ろう』、『駐車場の草むしり』などと“ごくごく当たり前”だった。
 …ま、やらないよりマシか?

 という風に、俺の年金事務所の日々はそこそこ忙しく、日雇い(派遣)の事など次第に薄れて行った。
 この間に、前の会社(求人誌)の連中とは一度も連絡を取らなかった。取りたくもなかった。

 一度、例の“腰抜け”先輩(中村)とその奥さん(同級生)の“指図”で、お世話になった先輩社員から電話が来たが、折り返しの留守電に「もう関わりたくないっす」と入れてやった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?