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「好きなことを仕事に」だけでは不十分

「好きなことを仕事に」

良い言葉だ。

若者の多くがそうありたいと願っている。

簡単なことではないが、目指す価値は十分にある。

現代はどの業界も人手不足だし、それが叶わなかった就職難の時代より随分マシになっている。

働き方も多様になっており、「好きなことを仕事に」は随分達成しやすくなった。

僕は今30半ばで、心臓の医者をやっている。

医者は元々目指していた職業だし、自分で好きな分野を選んで働いているわけだから、ある意味、「好きなことを仕事に」できている方だと思う。

それでも最近、自分の置かれている立場や業界全体に行き詰まった空気感が漂っている。

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先日、バイト先の上司であるK先生と話をしていて、「今後の人生、どうやって生きていますか?」という話題になった。

K先生は医者一筋の人生で60手前で、退職や再雇用なども考える年齢だ。

「いやあ、実は最近なかなかに酷くてさぁ…聞いてよ…」

K先生を取り巻く環境は年々悪化しているという。

よくある都会の中規模の総合病院である。

一昔前までは、患者も多く、地域の核として救急救命や緊急カテーテルなど、循環器診療の花形とも言える医療をしていた。

それが最近では、高齢化社会の加速とともに、療養型病院のような高齢患者の管理へと業務が変わっている。

高齢者医療が悪いわけではない。ただ、そういった患者さんの多くは高度な手術や救命治療を希望しない。

つまりK先生が培ってきた技術を活かせない環境になってきているということだ。

そうなってしまうと、今度は若手の医者がこの病院には入ってこなくなる。高度な技術を要する症例が少なく、経験が積めないからだ。

下が入ってこなければ、自身の仕事をシフトすることもできない。そうなると自分自身の身を粉にして、泣く泣く専門性とは程遠い仕事をしなければならない。

このまま自分の状況がどんどん望まない方向に進んでいることに、K先生自身も気づいている。

僕は思い切って聞いてみた。

「K先生は、今後どうしていく予定なんですか?」

そこで帰ってきた答えは、

「まあ正直、今の病院で定年後も再雇用で働くかな……経済的なこともあるしね…」

力のない笑みでK先生は答えてくれた。

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一方で、最近僕がSNSを介してお付き合いさせていただいているオジサンたちは、とても自由に力強く生きているように見える。

多忙を極める中のことだと思うが、やりたい仕事をやって、行きたいところに行き、会いたい人に会っている

その生き方の中で、また新しいビジネスが決まり、そしてそのビジネスモデルが新たな価値を生み、お金を稼ぐ。

これは都合のいい部分を切り取っているだけで、もちろん見えないところでの努力の量がエグ過ぎるということは重々承知だ。

ただ、どうして両者を取り巻く環境はこうも違うのか。

そして両者はどこかしら仕事や人生へのスタンスそのものがどこか違って見える。

その違いは一体なんだろうか?

経済的な余裕?可処分時間の違い?

いや、本質はおそらくそこにない。

両者の違いはなんなのだろう?

そして僕ら30代はどのように生きたら良いのだろう?

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「好きなことを仕事にできているかどうか?」

この観点だけでは両者に大きな差はない。K先生だって医者という仕事を愛しているからである。

好きなことを仕事にしているだけでは、満たされない。

好きなことを仕事にしているだけでは、自由に生きれない。

つい先日、なかまこさんのnoteを読んでいて気づいた事がある。

"別に苦しいことをしろと言っているのではない。すべては選択の上にある。"

「全ては選択の上にある」


これは夢を叶える方法について書かれたもので、趣旨は逸れる。

ただ、ここには”自分で選択をしている”ということへの強い自覚がある。

ここに両者を隔てる大きな壁がある。

今この時代は「好きなことを仕事に」するだけでは足りない。

好きなことを仕事にし、その仕事の中で自分で物事を選択できる状態になる必要がある。

すなわち、ただただ「好きなことを仕事に」、ではなく

「好きなことを”他の誰のものでもない自分の”仕事」

にする必要がある。

自分の仕事にするということは

「自分で決めて、自分で考えて、自分でやる」

ということだ。

医者の仕事は裁量が大きく、多くの判断を自身で下せるため、”自分の仕事”をやっているように錯覚してしまうる。

ただそれら「医療行為」の範囲内に限ったことだということを忘れてはいけない。

経営や診療方針についてはその院長が握ることになるし、はたまた収益の根底にあるものは国の保険制度である。国が手綱を握ったいわばただのインフラである。

現場の裁量権と自身の社会の中での立ち位置は別物であることを理解する必要がある。

そしてその根幹である保険制度自体が限界を迎えつつある今、現場ではその裁量権をゆっくりと奪われ始めている。

僕たちが真に満足して自由に力強く生きるためには

「好きなことを仕事に」

だけでは不十分である。

「好きなことを、他の誰のものでもない自分の仕事に」


していく必要がある。

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誤解なきよう書いておきたいのだが、大前提として僕はK先生が大好きである。

脇道に逸れることなく医者一筋に邁進してきた姿勢を尊敬している。

辛い症例を2人でなんとか乗り越えた思い出もあるし、僕が医者人生で最も大きなストレスを受けた際に助け船を出してくれた恩もある。

そんな人が急にハシゴを外されるような世の中に、正直言って納得いってない。

「こんな世の中間違っている」と思うが、その人生を変えることはその人にしかできないことである。


僕はこのまま普通に生きていけば、K先生と同じ道を辿ることになる。

そしてそれは医療崩壊に伴い今よりもっと悲惨で過酷な道になっていく事がわかっている。

その過酷さは、登山のような、辛いけども登った先に感動があるという類のシロモノではない。

ただただ地獄の底に向かう道を、底の闇に向かってひたすらに下っていく。

そんな未来だ。

僕は納得してその道を歩むことができない。

今の時代を力強く、自由に生きるには、国やビジネスオーナーにあてがわれた「仕事」だけでなく「他の誰のものでもない自分の仕事」を確保する必要がある。

「好きなことを仕事に」だけでは不十分。

自分の責任で自分の選択をし、他の誰の力も及ばない自分の仕事を持つことこそが、自由で力強いオジサンへの第一歩である。



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