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「転職」ねぇ〜 ・・・

 今でも時々転職の相談を受ける。「初期」の相談では、答える時、思わず「ねぇ〜」が付いてしまう。詰めが少し甘く思える事があるからだ。一方、「煮詰まった」相談では、転職や転職先を既に決めていることも多い。

 転職にも時代の変化と社会的背景がある。

 私は、30年間で、5回転職をした。「仕事の種類」はほとんど変わらず、勤める会社を変えたので、「転社」と言う方が正確に思えるのだが、今も「転職」と言うのが主流のようなので、そのまま使うことにする。

 初めて転職した頃は、今とは事情が全く違い、特に日本企業の面接では、転職が、まるで「悪いこと」のような印象すらあった。

 最近、最初の転職をした頃の友人が亡くなり、当時の同僚数人と飲む機会があった。K君は、私より7歳くらい年下だが、会社では7年以上「先輩」になり、もう40年近い昔の話なのに、私には「〇〇ちゃんは、ジョブ・ホッピングしたんだよね」と「ちゃん」付けで呼び、他のほぼ同年輩の人は「さん」付けで呼ぶ。

 K君は、新卒で定年後も嘱託となり、同じ会社に43年も勤めた経歴で、入社時の先輩・後輩の「序列」がずっと続いているのだった。そして、彼の知る転職とは、今だに「ジョブ・ホッピング」なのだ。ちょっと語感が良くない。

 私が単体で社員数2,500人ほどの上場会社から、200人に満たないその会社に転職してきた時には、「君がそうか?」と、しばらく「見学者」が席までやって来た。その昔、東大卒の新人が「間違って」入社し、入社初日に昼ごはんに出かけたまま帰って来なかったと、後で聞いた。私は、4年勤めたが、2度目の転職をした。

 仕事自体は面白かったのだが、当時の転職動機は、2つあった。①給料が安く、家族を養うのが厳しくなる。長く勤めないと昇給する可能性がない(年功序列)、②会社の方針が大変保守的で、いずれやる気がせる。

 最初の子供が生まれ、次の仕事が見つかっていないのに会社を辞め、失業保険が切れるギリギリまで、手書きの履歴書を送り、郵便受けが気になる毎日だった。日本企業の面接では、大企業から中小企業に転職したこともあって、辞めた理由ばかり聞かれた。「合わないから辞めたに決まってるだろ」なんて、口が裂けても言えなかった。

 日本企業はダメだ、英語で行こうと、100万円くらいあった退職金を全て注ぎ込み、語学学校の個人レッスンを100時間分を買った。上達したとは思えなかった。酒も飲まず、ボクシングと英語の勉強しかやらない先輩が、「2〜300万注ぎ込まないと、上手くならないよ」とよく言っていたが、彼は一足先に、通信社の外報部に「栄転」転職した。

 終身雇用、年功序列の日本に対し、欧米では、「職務経歴」=仕事ができそうか否かが優先で、当時から、同じ職種での転職は当たり前になっていた。だから、同じ会社で職種を変える日本の労働慣行の方が、珍しかった。「履歴書」なんて不要に近かった。

 結局半年くらいかかって、国際部門を新設すると言う50人くらいの小さい会社を見つけ、採用された。顧客は全て外資系企業か外国の政府機関で、伸び伸び仕事ができそうだったし、実際そうだった。

 「できるはず」の英語はまだ苦手で、ある時香港に電話をかける用事があり、「何度電話しても、独特のアクセントの早口でまくし立てるので、通じません」と報告したが、留守番メッセージだったことを後で知って、顔が赤くなった。

 イギリスの顧客から来た手紙を真似て、アメリカの顧客に送ったら、「大変正統的な英語ですね」と誉められたこともあったが、イギリスの顧客の名前を直すのを一箇所忘れたままアメリカの顧客に出すと、「ビジネスが発展しているようですね」とユーモアで返してくれた。

 大きな転機は、3年後、3度目の転職で、外資系のメーカーにヘッドハントされた。年収がどんどん上がり、最終的に5倍に増えた。前が安かったとも言えなくもない。子供が3人に増えていたので、広い部屋に引っ越すことができた。家賃も5倍になった。貯金がゼロだったので、入社当初は生計が苦しい「投資」先行ではあった。

 企業の原則がしっかりしており、「高潔(Integrity)」や「多様性(Diversity」など、日本では聴きなれない考えの実践が尊重されていた。人への「尊敬」が企業文化になっていて、自分の仕事では、ほぼ思った通りのことができる責任と権限を与えられたのが嬉しく、10年勤めた。この時が、いわば仕事の「はなの時代」で、多くの友人も得た。

 結局、この会社での仕事が、「天職」になって、その後も同じ職種で仕事を続けることになった。10年続けた仕事では、達成感があり、この業種は卒業し、新しい業界で、同じ仕事に挑戦したいという気持ちが湧いてきた。時差の関係と職務の特殊性もあり、始発から終電まで一番働いた時期でもあった。家庭を犠牲にする時もあり、このままではいずれ体力的限界が来るとも感じていた。

 次の10年間、仕事を変えず業種を変える転職を2回して、転職を卒業することになったが、転職動機の3番目は、③何かを達成し、その延長ではそれ以上のことはできないと思ったら、新しいことに挑戦する選択肢を選ぶことだ。

 転職では、職務経歴が重要だが、技術職だけでなく、事務職でも、経理・人事や広報など、専門性の高い経歴があると、「買い手」が見つかりやすいようだ。

 若い人には常に、「英語は勉強しておくように」という助言をしている。大学に進む人は、少なくとも10年は「勉強」しているはずなのにね。

 最近、JTC(伝統的日本企業、Japanese Traditional Company)という言葉を覚えた。JTCに見切りをつけ始めた若い人が増えているという。企業も、思い切った人材採用や登用制度に変えないと、生き残れない時代になったはずだ。

 「自己都合退職」という、「自分の都合」で会社を辞めるとしばらく失業保険がもらえない制度に、やっと見直しの機運も出てきたようだ。「会社の都合」で辞めるとすぐ支給されるとは、誰のため(会社)、何のため(リストラ)の制度か常々疑問に思うと共に、若い頃は、会社を変える障害の一つになり、困ったこともあった。

 転職環境もずいぶん変わってきたが、良いことだと思う。

(了)

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