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ことばの芸・術

 「芸」と「術」の間に「・」を入れたのは、「芸術」とすると、「その人たち」はきっと、「え〜、最近は、どうも、私どものやっていることも『芸術』と言うんだそうです。『げえ〜っ じつ』なんてハシタナイ言い方でなくって、『げいじゅつ』と言うんだそうです」と、それも「ネタ」にするかも知れないからだ。

 「その人たち」とは、落語家のこと。落語は、芸とも言えるし、わざとも言える。

 一番好きなのは、5代目古今亭志ん生(1890-1973)で、個人的には志ん生十八番の一つ「火焔太鼓かえんだいこ」が一番好きだ。

 女房の尻に敷かれっぱなしの道具屋主人、甚兵衛さんが主人公で、店に古道具を見に来た客とのやりとりから始まる。

・・・・・・・
「道具屋さん、この箪笥たんすは、いい箪笥だな」
「そりゃあもういい箪笥でございますよ、うちに6年もあるんですから」
「ちょっと引き出しあけて見せてくんねえ」
「それがすぐあかないんですよ。すぐあくくらいなら、とうに売れてます」
「あかねえのかい」
「いえ、あかねえことはありませんが、この間あけようとして、腕くじいた人があります」
・・・・・

5代目古今亭志ん生「火焔太鼓」から

 こんな、売れるはずのない道具屋の甚兵衛さんは、ある日きたない太鼓を仕入れてきて、女房に散々文句を言われながら、小僧にほこりを払わせていた。すると、その太鼓の音が、通りかかった大名の耳に入り、屋敷に持参しろと言われる。何か咎め立てとがめだてされて、恐ろしい目に遭うのではないかと戦々恐々せんせんきょうきょうとして、向かった屋敷での、老中との売値と買値をめぐるやりとりは、引用しようにも、おかしくてできない。

 他の演目も、軒並みすごい。長年貧乏暮らしで、家族にも心配と苦労をかけたようだ。長女の美濃部美津子さん(志ん生の本名は美濃部孝蔵)が、「志ん生一家、おしまいのはなし」(2005年)で書いているが、1956年に「お直し」で「文部大臣賞(現在の芸術祭賞)」、1967年に「勲四等瑞宝章」を受賞し、溜飲りゅういんを下げた。受賞したからと言うのではなく、その落語を聞けば、まさに「芸術」と言うのがふさわしい、芸と術の至高の極みと思う。

 火焔太鼓には、個人的な思い入れがある。結婚して子供ができ、責任が重くなった頃、勤めた会社の方針が気に入らずに辞めた。ワープロも求人サイトも無い時代だ。手書きの履歴書を、覚えているだけで80通以上書き、新聞の求人広告を頼って応募したが、どれも返送されてきた。

 そんな日々が続く中、夕方になると、辞めた会社の先輩Yさんが餞別せんべつとして小林秀雄の「本居宣長もとおりのりなが」と一緒に、「これでも聞きなさい」と言って呉れた「志ん生全集」をラジカセに入れ、座布団を出して敷き、正座して聞くことにした。

 「♪ チャンチャカチャン、チャカチャカチャン ♪」の「一丁いっちょう入り」の出囃子でばやしが始まると、努めて悲しいことや辛いことを思い出すように「努力」した。二間のアパートの隣室で洗濯物を畳む妻も、聴いているかも知れず、決してくすくす笑ってはいけないと言う心構えだ。

 仕事でちょっと偉くなった頃、人に聞いてもらったり読んでももらうための秘訣を聞かれると、「まあ、一番上手いと思う落語を、じっくり聞くことですな」と偉そうにとぼけた答えをしたが、本当にそう思っている。

 電車の中で、イヤフォンをして読んでいけないのは内田百閒うちだひゃっけん、聴いていけないのは、5代目古今亭志ん生。周囲に怪しまれること必至。本当です。

(了)


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