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鉄道開業150周年に思うこと (番外編)

(1)節約旅 〜夜行列車・駅・公園〜

 北海道鉄道旅では、全道か道南周遊券のお世話になった。まず東京から青森まで、「八甲田」(東北本線)、「津軽」(奥羽本線)、「十和田」(常磐線)の3つの夜行急行が走っていた。青森到着時刻が異なるので、列車か青函連絡船で「前泊」する。LCCなんて飛んでおらず、北海道便は「ドル箱」ゆえ、値引きもなかった。今でも、新千歳空港以外の路線は、高い。

 周遊券の旅は、学生時代に集中しているが、周遊券に持ち金の大半を投じるので、先ず削ったのが、宿泊費。そこで、夜行列車と駅が宿泊場所として活躍する。

 たいがい、連絡船で朝函館に着き、待ち時間を利用して「観光」。札幌行きの夜行列車が道内一泊目となる。「山線」=函館本線、「海線」=室蘭本線回りがあり、使い分けができる。翌朝札幌に着き、半分時間潰しの市内観光後、夜を待つ。

 札幌を起点にすると、釧路・網走・稚内・帯広そして函館と、道東・道北・道央・道南=東西南北に夜行列車が走っているし、稚内へは宗谷・天北、函館には海山両線があるので、合計7本から選べる贅沢だ。夜行列車が続くと体力的に厳しい。そこで、札幌では、駅か(雨の心配がなければ)大通公園が、「動かない寝床」になった。札幌駅は、地下道が連絡通路になっていたし、駅に泊まる若者も多く、駅員も寛容で親切だったし、釧路や帯広など、泊まり組が結構いたものだ。

 たまたま北海道単身赴任の幸運に恵まれた2011年から12年は、週末フリー切符と道内特急3日間乗り放題切符の世話になった。札幌を起点に、週末普通列車乗り放題切符(2日間有効で2,200円)で、滝川から根室本線、富良野を経由し、石勝線で札幌に戻る日帰り旅行。新得から新夕張までは、特急列車しか走っていないので普通乗車券だけで(特急券無しで)乗れる。特急に乗ったまま帰れば楽だが、主義に反するので、夕暮れの新夕張駅で途中下車し、千歳行きの普通列車を待つ。長い待ち時間、他に誰もいないかと持ったら、若者がポツンと一人。札幌から同じ切符で周遊して来た大学生だった。

(写真)夕闇迫る新夕張駅ホーム。 ― 2011年7月筆者撮影
(写真)新夕張駅時刻表。1日14本、普通と特急が各7本ずつ。ただ、新夕張から帯広方面新得までは特急しか走っていない。―2011年7月筆者撮影


(2)テレビ、「呑み鉄」、ヨーロッパ

 今回鉄道にまつわる思いをまとめるにあたって調べたら、鉄道番組というのも、大変たくさんあることを知った。現在も見ることのできる番組で特に好きなのは、六角精児の「呑み鉄本線 日本旅」(NHK BS)で、「呑み鉄」というジャンルがあるのを知った。

 選ぶ路線も良いし、毎回のように訪ねる地元の「造り酒屋」と試飲、六角氏が選曲するバックを流れる音楽も良いし、元々警視庁の鑑識職員(テレビ番組「相棒」の中での話だが)の好印象もあってよく見ている。運転免許を持っていないからというのも好ましい。

 2番目は関口知宏の「ヨーロッパ鉄道の旅」(NHK BS)。高速鉄道ではなく地方鉄道に重きを置いているようだが、鉄道はもちろん、沿線風景や地元の人々との交流も楽しい。ただ、このような旅行は、相当のお金と時間がなければ、決して個人ではできないなと思うと、「身近感」に乏しいのが難点。

 ただ、この番組を見ていていつも感心することがある。ほとんどの車両と座席が広くて綺麗で、乗客全員がゆったり座っている。立っている人を見たことがない。看板列車でなくても、多少の車両設計に新旧はあれ、一両編成のディーゼルカーでも、車両が綺麗だ。そういう路線を選んでいるのかも知れないし、ヨーロッパという「先進国」の異国情緒から、贔屓目に見てしまうバイアスがあることを割り引いてもそう思う。

 紹介される各国の鉄道は、幹線ですら路線によって本数こそ少なく、利用者も多いわけではないが、ローカル線が必要なインフラとして地元の人に利用され、信頼され、何より愛されていることだ。鉄道は公共財だから、守るのは当然という強い意思も感じる。

 一方、日本の、今も地元の足となっているローカル線という趣旨で紹介された番組で、朝夕は特に高校生がどうと押し寄せ、一両編成のディーゼルカーが立錐の余地のないほど混雑している姿が映し出された。これくらい乗せないと(乗せても)営業存続できないとでも言いたげな意図を感じた。

 3番目に好きなのは、「にっぽんの廃線」という短い番組(NHKアーカイブス)で、鉄道華やかなりし頃の映像だが、先の番組と比べて、今も変わらないなと思うと同時に、ヨーロッパと日本の彼我の違いを見せつけられた。

 鉄道が儲からない事情は欧州諸国も同じようだが、EU各国はだいたい上下分離方式を採用し、なんとか持続化の道を進んでいるようだ。地球温暖化に抗して、最近、フランスで夜行寝台列車が復活し、若者や家族連れに人気というニュースが最近放映された。

 ところで、全国で初めて、ある路線の一部が廃線から復活した。広島県のJ R可部線だ。2003年12月、可部から三段峡間が廃止されたが、2017年3月、可部から一駅先に「あき亀山」駅が新設され、わずか1.6キロメートながら、延伸した。理由は新設の「あき亀山駅」周辺がベッドタウンとしての開発が進み、利用客が見込めることから、廃線後も沿線駅の清掃など、復活を願って続けてきた住民運動の成果だ。唯一の朗報である。

 全国では、一部の路線が、地元住民に支えられ、存続のための努力が注がれているが、何処も経営状況はすこぶる厳しいようだ。

 全国的な廃線で「地元の足」を支えてきた鉄道がなくなって行くのを見ていると、廃線→過疎化→耕作や居住放棄(疎開?)→国土狭小化と進み、結果日本地図がどんどん小さくなるように思えてならない。

 150年かけて築き上げてきた鉄道を、「収益」という狭い了見で、簡単に手放して良いのだろうか?廃線が進み、手遅れ感があるが、「もう終わった話」にして良いのか、今も疑問に思う。

(了)


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