私と陸上競技 ②人生の全盛期
中学入学時、陸上部に入ることは決まっていたのだが、短距離と長距離どちらにするか悩んでいた。私の中学校は主に2つの小学校の生徒が合わさって入学だった。もう1つの小学校に100m市内5位と16位の人がいたので、その2人が陸上をやった場合選手に選ばれない、長距離の場合秋にある東葛駅伝に10人も選ばれる。選手枠を考えた時に長距離が相応しいと思い、後者にした。
顧問は、30歳くらいのトライアスロン専門の方。今思えば、ガッツリパワハラに該当しそうな指導法してたなー。と追憶する。
私は1年の夏までは学年メンバーの中で1番良いタイムを持っていて、夏のジュニオリ選考会にも出場したが、正直顧問に嫌われていた。
理由は2つ。
1に、長い距離に適性がないこと。
2に、ペース配分が下手くそなことだ。
記録会で1番速いタイム出しても、褒められるのは他の奴。私はダメ出しばかり。夏休みの練習が始まる頃には完全に顧問の方が嫌いになっていた。
案の定、駅伝に向けた夏練習が始まると長い距離に適応できず、序列低下した。毎日ペース走後に嘔吐し、友達は大便器だった。
大事な大会のメンバーも漏れ、県新人大会の標準記録も切れなかった。
中学1年目を振り返ると、収穫なき1年、天狗になって良いことなし。だろう。
中学2年目、さらに試練が訪れる。学年6人中4番目だったが、1人に抜かされて5番目に序列低下してしまう。彼は非常に努力家で、なにより基本的知能が高かったのでクレバーなレースが出来る選手だった。絶対に、チームで譲れない物を手に入れないと、存在意義がなくなってしまう。
私は考えた。顧問に唯一評価されているのはスピード面。なら苦手を克服するより、長所を伸ばそう。記録会も、長い距離は極力出ないで、800m、1500mの中距離種目に照準を絞ることにした。
スピードを鍛えるために毎日の坂ダッシュや練習後のスプリントを全力でやった。足を鍛えるためにソール激薄シューズで毎日のジョギングをした。この努力が実ったかどうか不明だが、1500mと800mは学年2番目の地位を手にすることに成功した。今思い返せば、再浮上のキッカケはこれ。
この種目だけは、トップのやつとも張れる。自信を取り戻した私は、一年時最大の山場となった夏練習に挑んでいくのであった。
絶対に今年は選手の枠を取る。今年漏れたら高校での競技続行はない。
そう。小6の時掲げた、〜ができなければ次のカテゴリーでは競技辞める。
を再テーマに。
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