私と陸上競技 ①突然変異

突然だが、子どもというのは残酷なものである。運動も勉強も底辺だった私は、小学校4年生まで馬鹿にされ、一部からは虐められた。下手くそが理由で昼休憩のドッジボールから仲間外れにされ、氷鬼やドロケイでは足が遅いを理由で毎回鬼にされていた。
絵の具セットを女子便器に捨てられると言う虐めを受けた直後、今と違い、藍河少年は反骨心が旺盛だったので、馬鹿にしてきた奴らを何かしらで見返してやりたいと強く思うようになった。

小学生が人を見返すなら、何が良いか。学校のルール内なら、勉強or運動 だろう。
勉強はめんどくさかったので、小学5年になった段階で陸上部に入ることにした。5年生の1年間は、入りたてと言うこともあり練習について行くのがやっとで、特にメンバーに絡んだりもなく終わった。しかし、4年生までビリから10傑に入っていたマラソン大会は70人中20位まで順位を上げ、周囲から多少の驚きの目で見られてはいた。

最終学年である6年生、目標を立てた。運動会の色別対抗に出るには、学年で4番以内の速さにならなければ行けないので、地区別リレーの方に出るのを目標、マラソン大会は10番以内に入る。これができなければ中学生で陸上をやらない。やっても大成する可能性がないので。
そこまで決めていた。親にも宣言した。

夏休み直前の100メートルタイム測定、これで秋の大会のリレー選手の候補が絞られる。そのレースで、情けないことに私はフライングをしてしまった。学年2番だったが、不正により手にした地位なので、周りからの罵声に耐えられず顧問にメンバーを外してくれ。と懇願した。しかし顧問には断られた。
「とりあえずやってみろ。俺が見た感じフライングしてなかったよ。と。」
周りからずっと言われ続けメンタル限界だったが、顧問に選ばれた以上、選出責任は顧問にあり俺のせいではない。と自分に言い聞かせ夏の選抜練習にも参加し続けた。一個下の後輩にもフライングを揶揄され続けるのは本当に辛かった。

しかし、小4〜小6で身長が23センチ伸びた成長期真っ只中の小学生男子特有なのか、その後はトライアルを重ねる毎にタイムが鰻登りになり、夏休みが明け、運動会シーズンには本当に学年で2番目と速さで走れるくらいになっていた。自主練もせず皆と同じ練習してただけ。なぜここまで速くなったかは、今でも説明できない。
色別対抗リレーのアンカーも任され、市内陸上大会でもリレーと100mに選ばれ、100メートルは17位に入った。リレーは思うような結果ではなかったが、気持ちの中では順風満帆だった。周りを驚かせることにも成功していたので。それで、散々馬鹿にされて来たんだから少しくらいいいだろ、と自分の足の速さを自慢するようになってしまった。今考えたら愚かな餓鬼だったな。

1つ目の目標を達成した今、残るはコンプリートするのみ。達成できなきゃ中学でやらないと周りにも言っていたので、嫌われていた私は周りから有言実行以外は許さねーぞみたいな目で見られていた。

マラソン大会は、4クラス70人くらいが走るため、クラスごとのスタート位置決めが肝心になる。プライドを捨て、私は男子に混じっても5番に入るくらい速かった女子に1600メートルのラスト100メートルまで付いていき、スパートで抜かすという外道戦法で最前列を確保した。この時は完全に天狗になっていたので、周囲の雑音は気にならなかったな。見下されていた立場から、忌み嫌われる立場へ。意識されてない存在から意識される存在へ。それだけで満足だった。

マラソン大会は、折角なのでギャラリーに最悪な思いをさせてやろうと思い、序盤から先頭にくっついてレースを展開。カースト上位の奴らを応援してるミーハー女子達が、「藍河後ろから来てる!」「藍河、キモい、落ちろ!」って叫びまくってしょーもない推し活をしてたわけだが、最高に滑稽でしたね。
途中、前年まで連覇してて校内で俺のズボンを下ろしたり、物を盗って追いつかれないからと走って逃げてた奴が先頭集団からこぼれた。そいつのハイペースで苦しむ顔を拝んだら、本当に気持ち良くなった。それだけで満足。

詰めが甘い私は、ラストのスパートで置いていかれ、クソギャラリーの思い通り優勝争いには敗れた。4位。けど大躍進。3位のやつは将来の箱根ランナーだったし、2位は前年と同じ人、1位は後に県で7位になる実力者だったので、どんな戦法をしても4位が限界だったんだろうな。

そのマラソン大会の後変わったこと。ドロケイや氷鬼をする時、前までは遅くて捕まらなくて楽だから鬼やれよ!と言われていたが、捕まえるの楽だから鬼やってよ!と同じ鬼になった人に頼られるようになった。それだけで嬉しかったな。必要にされたと。

そして卒業式。速くなって、やや天狗になってしまった俺は卒アルのサイン欄に誰からも貰ってないな。おそらく唯一の白紙。
重ね重ね思うけど、子供ってほんと残酷。今まで下に見てた奴が、少し力つけて自慢すればムカついてハブる。それを12歳で知れた俺は恵まれてるかな。俺の息子なんてロクに育つわけないから、我が子が虐められるのを見たくないから、子どもは要らないかなって本気で思う。

しかし、卒業式の後、顧問から電話が来た。
「夏のリレー選手決めの時、本当はフライングしてたの知ってたよ。けど藍河が周りに馬鹿にされて、虐められてたの知ってたから自信つけて欲しかった。俺も馬鹿にしてる奴許せなかった。だからそのまま選んだ。辛かっただろうけど、お前は強くなった。中学生でも走ってくれ。」

泣いてしまったよね。これは。今の俺があるのは、この後6年間も走り続けられたこと。全部この時の顧問のおかげ。俺の努力なんかじゃない。なんなら俺は何もしてない。偽りの結果を本物にしてくれた。それだけ。
今でも年賀状でやり取りはしているが、いつか御礼でご飯でもご馳走したいな。と思ってる。そして直接、もう一度御礼をいいたい。

その気持ちを胸に、中学生へと進学していった。

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