「セクシー田中さん」生きること、あるいは結婚すること

確か大学を卒業する頃だったと思うが、ある友達が彼氏と別れた。彼女は高校の時に予備校で知り合った他校の子で、仲良くなったきっかけは忘れたがとても素敵な女の子だった。
その彼氏は彼女と同じ高校で、予備校も同じだった。つまり私とも知り合いだった。高校時代からその男の子は友達のことが好きで、友達が別の彼氏と付き合い始めても一途に想い続けていた。2人が付き合い始めてから3人でご飯を食べたことがある。人懐こくて、男女問わずいつも周りに人がいるようなそんな男の子だ。どうか幸せになってほしい。そう思わずにいられないような2人だった。

2年くらい付き合っていたのだと思うが、やがて友達は彼氏と別れ、ほかの男性と付き合い始めた。残念ではあるが2人のことだからと思って追求しなかったけれど、私はなかなか恋愛感情を持てない人間なので、純粋に恋人が途切れない彼女のことをすごいなと思った。ちなみにそれまで交際経験はなかった。

「私はしずかちゃんのほうがすごいと思うよ。私はひとりでいるってことがどうしても耐えられないから」

彼女がそう言ったのを、いまだにありありと思い出せる。

今、テレビドラマ放送中の「セクシー田中さん」。私は原作を読んでいた勢なので、ドラマ化を純粋にうれしく思った。原作にとても忠実に丁寧に作っている印象で、とても好感が持てる。昨日もリアルタイムで4話を観ていた。

20代、派遣社員で明るく華やかな見た目の朱里と、40代、コミュ症で会社では地味な装いの田中さん。私は年齢も性格もどちらかというと田中さんに近いのだが、この作品では朱里の存在がやけに真に迫ってくる。合コンに行き、結婚相手を探すのは派遣社員である自分に人生の危機を感じているから。若さはいずれ失われると知っているから。朱里と同じ年齢だった時、私はそんな人たちを「他人に依存している」と馬鹿にしていたけど、今はその切実さが理解できる。

ベリーダンサーとしての顔を持つ田中さんは、朱里にとって憧れの存在だ。誰かに依存することなく好きなものを追求し、自分の足で立っている。…けれどそれはけっして人生が楽になることを意味しない。

結婚して誰かと生きること。ひとりで生きること。どちらの選択も喜びと苦しみがある。友達はひとりでいる私のことを肯定してくれたけれど、私は嫌な思いをしても人と関わることを諦めない彼女が羨ましかった。「こうでしかいられない」というなら、私こそそうだったのだ。
もうずいぶん会っていないけれど、彼女がこのドラマを観ているとしたら、私たちはいったい何を話せるのだろう。私はまだ、パートナーがいるかいないか、それ以外の選択肢がある人生が存在することをイメージすることができない。けれど私たちと同じように現代社会を生きている登場人物たちが、刷り込まれた偏見を少しずつほどきながら関わり合う姿を見ていると、そのどちらでもない幸福が彼らに訪れるような気がするのだ。

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