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良心に取り込まれない
「引き継ぐならちゃんとここまで引き継いでよ。メールして、昨日のうちに打ち合わせして、リスト化して話つけたんだよ」
いや、そこまで頼んでないんだけど。
口にしたい気持ちはあったけれど、どうアレンジしても喧嘩を売る言い方しか想像できなかったので「はい」としか言えなかった。「すみません」と言わなかったのは、自分を下げないためのせめてもの抵抗だ。
「お願いしたかったのはメールを送るところまでで、その後のことは今日、私が対応しようと思ってたんです。先週のチャットにこう書いて、『代わりにやるよ』って返事くださってたんで、そう伝わってると思ってたんですけど……」
遅いランチを食べながら何度もシミュレーションしてみたけどやっぱり「頼んでねーよ」という意味にしかならない。
言うべき?でもタイミング逃したし。でも言わないと仕事ができない人扱いされちゃう。いやでも…。
カレーを食べながら自問自答してると、誰かが頭の中で呟いた。
「誤解されたままでもいいじゃん。どうせこの会社辞めたいんでしょ?」
いやまあそうだけど。でも何も言わないと人間関係で不利な立場に置かれてしまうのも事実。じゃあどのタイミングで?わざわざ話がしたいですとか言うの?面倒くさがられるだけでしょ。
結局何も言わずにその日は終わった。帰り道もモヤモヤとした気持ちは消えず、ずっと考えていた。
八つ当たり?ちょっと違うな。理不尽。そうだ、理不尽だ。職場で理不尽な目にあった時ってどうすればいいんだろう。Google検索をすると、「受け流す」「上司に相談する」とか書いてある。受け流す…まあそうか。
私がこんなにモヤモヤとした気持ちをずっと抱えていたのは、彼女は本来、とても親切で穏やかな人だからだ。
小さな雑談もしてくれるし、仕事の悩みも丁寧にアドバイスしてくれるAさん。私の何がそんなに悪かったのだろう。
件の出来事が起こる少し前のチャットでは、間違いなくAさんが「私が週明けにメール送っとくよ」と言っている。さらにメールをさかのぼると、私はAさんをCCに入れ、チーフに「Aさんと連携してメールした翌日に直で打ち合わせします」と報告している。引継ぎできていないとは思えなかった。明らかにAさんは私がお願いした以上のことを進んで「してくれた」のだ。それなのに、なぜ、勝手に怒っているのか?
彼女は自分の良心に取り込まれてしまったのだ。良心って、優しさとか、責任感とか、常識とか、そういうものだ。彼女は休みを取っている私の代わりに仕事をしてくれようとしただけで、それ以上でも以下でもないのだ。彼女は私の先輩で、メールを送った後、どう進めればいいのかを知っていた。そのことがかえって彼女を追い詰めてしまったのだと思う。
そのことに気づいたとき、私は気持ちが和らいだ。なぜならAさんの怒りは、私がこれまで他の誰かに感じてきた感情でもあったから。人柄が良く、きっと自分より引き出しの多いであろう彼女が、自分と同じ感情を抱いていることを知って、己の不寛容さが許された気がした。
最近はそういう怒りにとらわれたとき、一呼吸おいて何でもないことのように確認することを覚えた。そうすると、なんだ、怒るほどのことじゃなかったな、怒りをぶつけなくてよかった、と思う。その一方で、ああ、心が狭いな、やだな、と怒りにとらわれたこと自体への自己嫌悪に苛まれる。もっと心が広くなりたい。そうすればきっと幸せになれるのに。そういうモヤモヤが私の中にはいつもある。
Aさんには何も言わないことにした。「あなたの中の正しさがあなたを苦しめている」なんて、私の人間力ではどうやったって言えるはずもない。
人は、自分の良心が自らを苦しめている時、どうやったらそのことに気付けるのだろう。怒りを感じた時、私はその正体にいつも気づくことができるだろうか。
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