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【読書感想文(3)】ヘーシオドス『仕事と日』

松平千秋 訳
飢えをしのげるよう神々が我々に与えたもの、それが仕事すなわち農耕である。こうヘシオドスは説き、人間が神ゼウスの正義を信じ労働に励まねばならぬことわりを、神話や格言を引きつつ物語る。古代ギリシアのこの教訓叙事詩からは、つらい現世を生き抜く詩人の肉声が伝わってくる。
 仕事と日/ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ

「90年版 岩波文庫解説総目録 1927~2016」より


古代ギリシアの吟遊詩人ヘーシオドス(以下、ヘシオドス)による本作は、怠惰な弟に労働の意義や農耕・航海の正しいやり方、人生訓などを説く教訓叙事詩である。

どちらかと言えば、現代の「啓発本」や「ハウツー本」に近く、誤解を恐れずに言うと「これも叙事詩なんだ」というのが正直な感想だ。

特に僕の場合、同時代に活躍したホメロスを先に読んでいたことから、「叙事詩=英雄叙事詩」という先入観が強かったことも大きい。

ともあれ、まずは本作のうち「啓発本」的な内容を列挙していきたい。自分への備忘録の意味もあるので、興味がない人は適当に読み飛ばして下さい。

労働の尊さについて
・暴力を振るうな
・他人の財産を奪うな
・物乞いに非道の仕打ちをするな
・義姉妹と不義を犯すな
・孤児に非情な扱いをするな
・老父を口汚く罵るな
・良き隣人は食事に招き、敵は棄ておけ
・不正に利益を上げるな
・好意には好意を、くれる者には与えよ
・貯蓄は半減した段階で節約せよ
・賃金はきっちり払え
・兄弟相手の約束事でも必ず証人を立てよ
・甘い言葉でたらし込む女に惑わされるな
・家財を守る息子は一人が良い

ざっと以上のような感じだが、現代人からすれば「人として当然じゃね?」という項目も多い。しかし、単に「〜するな」と言うだけでなく、きちんとその根拠を併記している箇所も結構あり、詩人というわりには現実的な思考回路で、どちらかといえば哲学者のようにも感じた。

個人的には、読んでいて中国の孔子を思い出した。孔子の思想は儒教となり、アジア文化圏に大きな影響を及ぼしたわけだが、その思想は「目上の人には挨拶をする」といった礼儀作法を説いたものである。

これは、今となっては当たり前過ぎてイマイチ凄さが伝わらないかも知れないか、逆に当たり前のレベルまで世間一般に浸透している事実こそ、孔子の凄さの証明とも言える。まして当時は百家争鳴の春秋戦国時代、殺して奪うのが当たり前の世界だから、なおのこと凄い。

翻ってヘシオドスの時代はどうだろう。僕は孔子の時代とそう大差ないと思う。それは、ホメロスの作品で、ギリシア軍が至るところで重ねた略奪を誇らしげに語っていることからも窺い知れる。

そんな時代にあって「暴力はいけないよ」「他人の財産を奪ったら駄目だよ」と堂々と言えるだろうか?自国の王様だって虎視眈々と侵略を企図していたかも知れないのに。古代ギリシアはその辺は存外、大らかだったのか?

また、それだけでも凄いのに「暴力は振るう者にも災厄をもたらす」と鋭い指摘も同時にしている。

これは本当にその通りで、おそらく当時は「侵略戦争」や「肉体的な暴力」に対する「復讐」を念頭に置いていたのだろうが、例えば現代でも「暴力」には「刑罰」が加えられるし、「ハラスメント行為」にはそれ相応の「社会的制裁」は免れない。

ヘシオドスは、確かにホメロスのように華々しくはないけれど、現実に対する鋭い観察眼と指摘力は群を抜いていると思う。

閑話休題。次は「ハウツー本」的な内容のうち、農耕に関する部分について。

農事暦
・家を構え、奴隷の女と耕耘用の牛を準備せよ
・諸々の道具は全て家に用意せよ
・仕事は先延ばしにするな
・9月に臼、杵、車軸、槌、車輪、轅を伐り出せ
・犂は自然木と工作物の2つを用意せよ
・工作した部品を組み立て、荷車を作れ
・9歳の牡牛2頭を買っておけ
・40歳の男に2人前の食事を与え、牛を追わせよ
・11月の渡り鳥の鳴き声は、耕作と雨季の合図
・下僕も自身も早朝から仕事にかかれ
・降雨で土が硬くならないうちに種を蒔け
・休耕地には連作障害を防ぐ効果がある
・蒔いた種に鍬で土を被せて、鳥から隠せ
・冬は茎が短いので、互い違いに括って束にせよ
・種蒔きが遅れても晩春の雨天ならまだ間に合う
・冬は暖かく暇人の集まる鍛冶屋に行くな
・冬こそ資産を増やす時と思え
・夏のうちに、冬季の下僕の宿泊小屋を作れ
・1、2月は凍った地面に気を付けよ
・冬は上着と足まで届く肌衣を着ろ
・冬は裏起毛の牛革サンダルを履け
・冬は山羊革の雨衣を羽織れ
・冬はフェルト帽を被れ
・冬の朝霧が雨に変わる夕暮前には仕事を終えよ
・季節毎の昼夜の流さに応じて食事量を調整せよ
・春先に燕が現れたら、葡萄を剪定せよ
・夏に葡萄畑は掘り起こすな
・夏こそ早起きして仕事に励め
・早朝の仕事はよく捗る
・労働中の葡萄酒は水3:酒1の薄味で飲め
・6月20日頃に麦を脱穀せよ
・脱穀後は秤にかけ、丹念に貯蔵せよ
・貯蔵後は独り身の男と子のない女を雇え
・盗賊対策として歯の鋭い犬を飼え
・家畜の飼料用に干し草を家に運べ
・運んだ後、下僕や牛に休息を与えよ
・9月中旬に葡萄の房を全て摘み取れ
・10日間は陽に晒し、5日間は陰干しせよ

続いて、「ハウツー本」的な内容のうち、航海に関する部分について。

航海について
・10月末から11月初めの海は風が吹き荒れる
・この時期は航海せず、畑仕事をせよ
・船は陸揚げして石で囲い、船底の栓を抜け
・綱具は家の中にしまい、帆は綺麗に畳め
・舵は、炉に立つ煙で乾燥させよ
・荷物は小型船でなく大型船に積め
・夏至後の50日間は航海に最適な気候
・春先も航海してよい

以上のようであるが、一見して明らかに航海より農耕に関する項目の方が多い。

これは、訳者の松平千秋氏が「解説」で指摘しているように、ヘシオドスの父親が海上貿易に失敗した苦い経験から、荒れ狂う海をわざわざ渡る航海はヘシオドスにとっては極めて危険な投機のようなもので、およそ実直な人間のすることではないと考えていたからだという。

なるほど、確かにトロイア戦争後に10年も帰郷出来なかった人もいるくらいなので、大いに分かる話である。

さて、続いては「人生訓」について。ここから少々迷信めいた記述が多くなるが、それが当時の常識なのだから仕方あるまい。

人生訓さまざま
・30歳頃に結婚しろ
・女となって4、5年目の娘を娶れ
・嫁には生娘を貰え
・なるべく近所の娘が良いが、十分に素行を調べろ
・至福なる神々を敬え
・友人を兄弟と同様に扱うな
・友人を害したり、嘘をついたりするな
・向こうがしてきたら、2倍にして返せ
・仲直りの申し出があれば、受けろ
・客好き、客嫌いと言われぬようにせよ
・善からぬ輩と親しいと言われぬようにせよ
・善き人々と争いを起こすと言われぬようにせよ
・貧困に苦しむ人に心無い振舞いをするな
・宴で無愛想に振る舞うな
・神々に祈る時はまず手を洗え
・太陽に向かって立ち小便をするな
・夜間、歩行中に放尿をするな
・精液で汚れた陰部を炉に晒すな
・葬式後に性行為をするな
・川を渡る時はまず祈り、手を浄めろ
・神々を祀る宴で爪を切るな
・酒宴の際、混酒器の上に壺を置くな
・家を建てる際、荒削りのまま残すな
・お供えせずに鍋で食べたり湯浴みするな
・生後12日、12ヶ月の赤子を墓の上に座らせるな
・男は女の使った湯で肌を洗うな
・供物を焼く場で神事を嘲るな
・川に向かって大小便をするな
・人に噂されないようにしろ

最後に「日の吉兆」について、これはもうほぼ迷信だし、当時の月日の数え方がイマイチはっきりしないため、記載の日付も正確でない可能性が高い。

日の吉兆
・月末は仕事の点検や食糧の配給に最良
・1、4、7日は聖なる日
・8、9日は仕事に励むと良い
・11、12日は羊毛や畑の稔りの刈取りに良い
・12日の方が遥かに良い
・女は12日に織機を整え、仕事を始めると良い
・上旬13日は種蒔きを避け、草木の植付けが良い
・中旬6日は男児の誕生に良い
・上中旬6日は女児の誕生や嫁入りに良くない
・上旬6日は家畜の去勢や柵作りに良い
・上旬6日は男児の誕生に良いが嘘つきになるかも
・8日は猪と牛の去勢に良い
・12日は騾馬の去勢に良い
・20日の日盛りは賢い男が生まれる
・10日は男児、中旬4日は女児の誕生に良い
・中旬4日は羊や牛、犬、騾馬を撫で慣らすと良い
・初下旬4日は悩み事をするな
・4日は結婚に良いが、鳥占いをしてからにせよ
・5日は避けよ
・中旬7日は穀物を打穀し、木樵は材木を伐り出せ
・4日には胴細の船を組み立てよ
・中旬9日の夕暮は良い
・上旬9日は全く災いがなく、植樹や子作りに良い
・27日は甕開き、軛掛け、進水に最良
・4日、特に中旬4日は甕開きに良い
・20日後の4日の夜明けは良いが夕暮は良くない

さて、ここまでざっと概観してきたが、松平千秋氏曰く、この程度の知識は古代ギリシア人にとっては常識で、あえて本叙事詩から学ぶまでもないものだったろうと指摘している。

ゆえに「ハウツー本」的な鑑賞方法ではなく、ホメロスのような華々しい「英雄モノ」と一緒に、いわば同時上演プログラムとして組まれた、お堅い「教訓モノ」という位置付けで親しまれてきたのだろうかと想像されている。

これについては、画期的な新資料の発見でもない限り今のところ推測の域を出ないが、僕には果たして本当にこのレベルは古代ギリシア人にとって常識だったのだろうか疑問が残る。松平千秋氏の指摘は尤もだが、少し都会の知識人的な見方に偏ってはいないだろうか。

というのも、僕も仕事をしていて思うのだが、どの業界においても「常識」とされる知識ほど、なぜかマニュアル化されていなかったりする。つまり「知ってて当たり前でしょ」ということだ。

だから、うろ覚えで「あー、なんだったっけなー」とかいう場面でも、下手に聞けない。聞いて「そんなの常識でしょ」と言われるのが怖いのだ。

そんなことで悩む人が古代ギリシアにも同様に存在して、そうしたニーズにお応えするための「ハウツー叙事詩」として人気があった可能性も、万に一つはあるかも知れない。

まぁそれは冗談として、僕はそこそこの田舎に住んでいるので、農業従事者らの会話を耳にする機会も多いのだが、彼らの会話は基本的に「自分のやり方はこうだ」とか「いや、こっちのやり方のほうがいいぞ」といった具合に進むことが多い。

確か、細田守の映画『おおかみこどもの雨と雪』でもそんなシーンがあったように記憶しているが、つまり人や地域や年代によって、同じ作物を育てるにしても方法はいくつもあって、基本的にそれぞれ自分のやり方が一番だと信じているということだ。

翻って、本叙事詩を聴き終えた人々は、おそらく酒場なりで感想を語り合ったことだろう。ヘシオドスともなればそれなりに大きな町で口演されていたと思うので、周辺の村々から不特定多数の人々が集まって、話に花を咲かせたに違いない。

「ヘシオドス先生はこう言っていたけんど、オラの村では違うだよ」

「いやいや、どっちも違う!オレっちの村のやり方が一番良いに決まってる!」

「馬鹿だなぁ、そんなの(以下略)」

こんなふうに、酒を片手に夜通し人々が語り合ったことは、果たして無かっただろうか。こうなるともう想像を超えて妄想の域に突入せんばかりだが、あるいはこうした交歓の場が自然と情報交換の場となることで、地域の農業振興の一役を担っていたのだとしたら、ヘシオドスもきっと喜んだに違いない。

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