無産オタクよ服を脱げ

どうやらTwitterで活動するオタク女たちにはヒエラルキーがあるらしい。
神絵描き>>絵描き>越えられない壁>>>>無産
(分かりやすく絵描きとしてるけど小説も似たようなもんなんかな?)
絵描きは絵描きとしか仲良くしない、というような嘆きのツイートを定期的にみかける。

私自身も二次創作で絵を描くので「絵を描かないファン活動」をしたことが無かった。
ただそういわれれば…と思い返してみると、Twitterで仲良くするのは絵描きばかりだった気がする。というか、無産タイプっていたの?Twitterしてんの?みたいな。たぶん存在が見えてない。

で、なんでこんなことになってるのか考えてみることにした。

・無産タイプは得体が知れない
絵や小説をやってる人は作品自体もそうだけど、制作に伴ったツイート(語りとか)が多くて「この人は推しをこう見てるんだな」とかが分かりやすく、個人の人となりもよく見えるんだけど
無産タイプってツイート自体あんまりないか、二次創作に対する感想(最高とか神~とか)か、関係ない日常ツイートが多い印象を受けるんだよね。
推しや作品そのものへの考察とか妄想ツイートが無いっていうか。何考えてて何が好きかわからん。本当に申し訳ないんだけど、いくら毎回ツイートをいいねしてくれても、その人本人が何もツイートしてないとその人を個として認識できない。
仲良くしたくないとかじゃなくて、ずっと誰なん状態。

・二次創作は全裸、ROMはスーツ
二次創作って全裸で踊ってるようなもんなんよ。(漫画や小説なら余計に)
みんなで自分の恥部さらして、楽しく踊ってんのよ。
ROM専って、それをスーツ着てワイングラス持って眺めてるようなもんなんよ。
そんな状態でコミュニケーションなんか取れるわけないって。
だから無産タイプは二次創作でなくてもいいからとりあえず語りツイートで服脱げ。

・無産からの感想はファンレター
「絵描きは無産の感想を無視する」みたいなツイートを見たんだけど。
まぁ、そうよな。としか。いや無視はどうかな~と思うけど、しょうがないとも思う。
絵描きからの感想は返して無産からの感想は無視されることに対して「選民思想だ」とか思うのかもしれんけど、ちょっとよく考えてみてほしい。
上記にあるように、無産タイプの多くが「個として認識できないほど情報がない」事が多いんよ。その状態で送る感想って、ファンレターなんよ。一方通行。
嬉しいよ、もらったら嬉しいし送りたければどんどん送ればいいよ。でもファンレターなんよ。ファンレターに返事を期待すんのはおかしい。

なんで絵描きからの感想だとファンレターにならないのかというと、感想を送る前に二次創作作品を通しての自己開示が済んでる状態だからなのね。お互いを個として認識済み。
相手が何が好きでどう考えてるかある程度把握してる。
そんな相手からの感想はファンレターではなく会話の一環であり、コミュニケーションになるわけだ。

・ヒエラルキーの真の正体は「自己開示度」なのでは?
別に二次創作をしてようが偉くない。常識的に考えて。
めっちゃ絵が上手い人が羨望の的なのはまた別の話(単純に技能に優れている人は偉い)だけど、その他大勢の趣味程度の二次創作者たちの何が偉いんやって話。
でもまぁあからさまに壁があったりコミュニティが分かれているのも分かる。
ただそれは「偉いから」じゃない。「同じ自己開示度合いの集い」になっているだけ。
だから無産だからだのなんだの愚痴ってないで、絵描き字書きと仲良くなりたかったらガンガン自己開示しよう。推しのどこが好きか。公式の何話の何がどうとか。ストーリー考察とか。BLで妄想するならどんなシチュエーションが好きとか。オタクやってんだし無限にあるでしょそういうの。全部ツイートして全裸になりましょう。


そうして初めてコミュニケーションを取れると思え!

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