日大・近江教授の「築5年」あれは見抜けなかったマスコミへの批判だった?
日本大学の建築の近江栄先生が、昔、「築五年」(正確な名前忘れましたが)という建築の雑誌を作っていらっしゃいました。
先生の意図は、できた時は綺麗で輝いていても、5,6年経って行って見ると、薄汚れてみすぼらしくなっている建築があるが、そんなことじゃあダメだ。だから5,6年様子を見てから雑誌に出そう、ということだったと思います。
で、本論。 実は建築だけでなく、今の社会を考えてみます。
あの時マスコミは大騒ぎしたけど・・・あれ、どうなった? ということありませんか?
たとえば「エッフェルおばさん」
その結末、(私が見逃したのか)どうなったか 知りません。もし、すごく立派な、やっぱり行かなければできなかったというような調査や会見記録が、素晴らしく優秀な報告書で出ていたら、騒いだひと(マスコミ)は無能を自覚すべきです。あるいは、半年経って、未だにロクなものが出ていなければ、今こそ大騒ぎして糾弾すべきです。問題はハッピーな記念写真より、ロクな仕事をしなかったことの方がはるかに騒ぐ問題です。
もう一つ。回転寿司屋でなんか舐めたバカがいましたね。TVでも連日報道、新聞でも大騒ぎ。あれ、どうなったんですか?何千万(何億?)円の損害が出たのではないですか?
未成年だから、親が全財産はたいて、家族中で一生働いても返せないでしょうが、どうなったんですか?
もし「将来がある少年だから・・」ということで控えているなら、あの騒ぎの報道は何だったのか? 賠償の方は大きく報じるべきです。
そんな報道の仕方をしているから、あれからも、次々に起こっているじゃあないですか。昨日どこかのピザ屋で、気持ちの悪いことをしている動画が流されましたね。
そういうバカと親がどういうことになるかを、「こんなことやった奴がいる」という騒ぎより「こんなに莫大な代償がきて、家族と人生滅茶苦茶」という記事を、何倍も大きく出すべきだと思います。
「築5年」も、建築の良悪を見抜けなかったマスコミ(ジャーナリスト)に対する近江先生の警告と批判ではなかったかと思います。