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アスカの諦めを悲しいと思った。

エヴァを初めてしっかり観たのは去年の12月ごろでした。知人とお泊まり会をしたときに、私がアマプラに入会しているという話をしたら、「エヴァ観なくて何観るの?」と言われました。(え…ミニオンとか?と返しました。ミニオン可愛い)エヴァ一気見が決定すると知人は露骨にテンションが上がりはじめ、私の家を飛び出しコンビニに行きました。ポテチ3袋とほろよい(私は酒雑魚なのでお酒はほろよいしか飲めません)を買ってきて、炬燵の中を温めワックワクでカーテンを閉め電気を消し、万全を期した状態でPCでのエヴァ視聴会がここに開催されました。

アマプラでは『新劇場版エヴァンゲリオン』のみサブスク対象でした。なので、私はアニメ版エヴァは未視聴です。散々「アニメ版は怖い」と脅されたのでBlu-rayも買っていないのです。私は怖いものが何より苦手です。生粋のエヴァファンではないことを先に申し上げておきます。


エヴァを一気見して思ったのは、まず普通のアニメ作品とは違う、ということでした。
エヴァは初見に対しての説明が一切ない作品なので、考えながら観る必要があります。(破のあとに流れたQの予告を観ていたときに、「このシーンはQでは描かれないよ。Qまでの14年間をここで説明してるよ」と言われたときの衝撃は忘れられません。そんな無茶苦茶なことある?)正直、知人が横で解説してくれなかったら挫折していました。あらすじは聞いていましたが、それよりもさらに複雑で難解です。聖書や哲学を深掘りしたことがある人なら難なく観ることができると思いますが、私はどちらも造詣が深くありません。あとメカ的な描写が多く、かつ展開が早いので、今どういう状況なのか、がさっぱり分かりません。

色々書きましたがエヴァを貶したいわけではありません。いちいち説明を挟んでいたらテンポが悪くなりますからね。ここまで深い内容にすれば、自然と設定は複雑になります。
必死で考えて最後まで観て、視聴後に頭の中で整理して、点と線が繋がって、初めてエヴァは面白くなります。分からなかったらYouTubeの考察動画を観るのがオススメです。絶対もう一度映画を見たくなります。つまり、エヴァは2回、3回と複数回見ることを前提とした作品、ということです。映画を観終わったあとが本番という作品はあまりお目にかかったことはありません。
観ていて難なく理解できて、「あー面白かった!」で終わる作品より、「あのシーンは〇〇を意味している?」「あのときの行動が今の伏線になってる?」と考察する作品の方が私はめちゃくちゃ楽しめるので好きです。必死に理解しようとした作品は印象に残る。これは現代文で出される小説が魅力的に映る現象と同じです。
あと、視聴者の数だけ『エヴァ』が存在するということですからね。正式な論文まであります。最高かよ。論文でなくても、こういう書籍があります。

『シン・エヴァンゲリオンを読み解く』
いろんな分野の専門家がさまざまな視点で語るエヴァを読むことができます。皆さん熱意がすごい。建築の観点からエヴァを見る、なんて私1人じゃできないよ…。とても贅沢な一冊なのでエヴァファンは読みましょう。


私はSF要素やモチーフ解釈をすることは難しいと思ったので、人物の描写や心理状況に着眼して観ていました。劇的にシンジの心情が変化するシーンは記憶に深く刻まれています。Qのカヲルくん爆散やシンのそっくりさんが消滅するシーンは何回観ても良い。このシーンは私の中で同率2位。ちなみに4位はミサトさんの「行きなさい、シンジくん!」です。


私の1番のお気に入りのシーンは、破の後半にあるアスカとミサトさんが通話する場面です。

シンジとゲンドウの仲を取り持つために、綾波が食事会を計画します。2人以外にも招待状が届き、アスカも参加する予定でした。

しかし運悪くその日に、新しく導入された3号機のメンテナンスの実施が決定。アスカは食事会がなくなってしまうことを懸念して、料理を振る舞う綾波と主役のシンジに代わってテストパイロットの役割を受けることになりました。
プラグスーツのデザインが若干際どいことを気にしながらも、直前でのミサトとの会話でアスカはこう話しています。

アスカへの協力を感謝するミサトに対して、

「礼はいいわ。愚民を助けるのがエリートの義務ってだけよ。元々みんなで食事ってのは苦手だし、他人と合わせて楽しい振りをするのも疲れるし、他人の幸せを見るのも嫌だったし、私はエヴァに乗れれば良かったんだし、元々一人が好きなんだし、馴れ合いの友達は要らなかったし、私をちゃんと見てくれる人は初めからいないし、成績のトップスコアさえあればNERVで一人でも食べていけるしね」

「でも最近、他人と居ることもいいなって思ったこともあったんだ。私には似合わないけど」

と返しています。
なんだかんだ言いながら食事会を楽しみにしていたであろうアスカが、参加できなくなってしまったことに対して「別に参加しなくてよかった」と言うシーンは、心が締め付けられるように苦しくなります。

このセリフを読めば分かる通り、「〜だし」という表現をアスカは多用しています。アスカの表情は、というといつも通りです。強がっているような様子は一切ないのです。

シンジが幸せになる場面を、「見たくない」と思うくらいに彼女自身も愛情に飢えていた。
エヴァに乗れることは喜びだけど、気の置けない友達や、エヴァパイロットではなく彼女自身を見てくれる人の存在を渇望していた。
成績が良くなければ自分は不必要な存在だ。

潜在意識ではこう思っているアスカですが、自分には手に入らないものがあるというのを理解してしまっている。だから最初から期待していないし、3号機のテストパイロットに名乗り出たのです。
アスカはまだ14歳です。わがままを言ってもいい。きっと大人たちが都合をつけてくれたはずです。「良い子」に振舞ってくれるアスカに対して、ミサトは、

「そんなことないわよ。アスカは優しいから」
「この世界は、あなたの知らない面白いことで満ち満ちているわよ。楽しみなさい」

と返しています。自分の幸せを諦めきっている14歳の少女の本音を聞いて、ミサトはどれほど申し訳なく思ったでしょう。時代が違えば、アスカは人として当たり前の愛情を受け取ることができたはずです。このような状況にアスカを置いているのはミサトを含むNERVの大人たち。アスカがほしがっているものをどうしても与えてあげられない、人として当たり前の権利を奪っているのは、そして諦めさせているのはミサトたちです。
アスカはすっきりした面持ちで3号機に乗り込みますが、ミサトの気持ちを思うと居た堪れません。


「エヴァがいない世界」を生きることになったアスカが、幸せに過ごしていることを願うばかりです。


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