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AIの発展と日本人的感覚

タイトルから、「日本人的感覚」なんて書いてしまったが、これ以降は個人的感覚である。
あたかも日本人代表として書いているみたいなタイトルになってしまったが。

さて、何の話をもとにそんな抽象的な話を書きたくなったのかといえば、たまたまTwitter上で見かけたこのツイートである。



 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
 明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
【「雪国」 川端康成】

冒頭の一段落程度だが、これをDeepLで英訳し、Mid Journeyにイラストを描かせたと。ほうほう、興味深い。


何が興味深いのかというと、英語と日本語の感覚の違いである。
有名な話であるのでご存知の方も多いであろうが、雪国の冒頭部は、日本人は目の前に真っ白な雪景色が広がったイメージを持つ。つまり、自分が汽車に乗って見ている状態である。私もそのような情景が浮かぶ。だが、これが英語圏となると途端に、トンネルから出た汽車を俯瞰して見るイメージになるようだ。
https://obirin.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=2387&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=38


今回のツイートでは一般的な英訳サイトを使用しているそうだが、そのような感覚の違いまでは表現できないだろう。

そして、その英文をMidJourneyに入力するとAIがその文章に沿った画像を出力してくれるらしいのだが、これまた海外のグローバルチャットサービスのようなものの一機能らしい。
そんなわけで、個人的には日本人の感覚とは少し異なる絵なのだろうなと思う。


AIが台頭する時代が来ているのか来るのかよくわかっていないが、グローバル化といい、文化的国境が曖昧になる今日。形こそ現れないが、日本人としての感覚や美意識は海外の文化に侵食されて消えるにはあまりにももったいない。
そのようなことを考えるきっかけになった興味深いツイートだった。


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