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【製本のある暮らし】同級会。



ラグビーのブレイブブロッサムズがアルゼンチンに敗れ8強を逃した夜、22年ぶりの小学校の同級会がありました。還暦の節目ということで久しぶりの再会です。


私の出た小学校は小さな小さな木造で、ぐるりを桜の木が囲み、すぐ裏手には信濃川が流れる自然の中のとてもかわいい学校でした。古い映画に出てくるザ・小学校という佇まいです。

1学年1クラスの学校で、私の学年は31人でした。
中学になると他の小学校の生徒と一緒になるので、苗字で呼ばれることが多くなるのですが、小学校ではあだ名か名前で呼びます。

皆が口々に言います。

「この飲み会だけは、○○さんとか、おとうさんおかあさんって呼ばれないから、本当に楽!」

私の名前はミノルなので、「おい、ミノル」とか、「ミノ、いま何してる?」とかいわれると、一瞬であの頃に戻ってしまいます。
不思議ですね、皆にあった瞬間は、え?だれ?という感じなのに、ミノルって呼ばれて振り向くとあの頃の顔がある。記憶って消えないのですね。

60歳にもなるとそれぞれの経験があって、勉強のできる子、運動の得意な子は上の存在だったはずなのに、皆が同じ目線にいます。それぞれの辛さや立場もあって、打ち明けたい事もあるはずなのになぜか察しが付き、温かい空気に心が和む。家族兄弟とは違う穏やかな時間。

これは私が感じることで、それぞれの感じ方があります。出席していない人も居ましたので、その温かさを強要することは出来ませんし、どう生きてきたかによって居づらさもあるでしょう。

○○さん、○○部長、おかあさん、おとうさん、おばあちゃん、おじいちゃんという鎧のようなものは脱ぎ捨てて、具体的な夢や希望を持たない本当の自分がまだあった小学生に戻り、60歳の自分に語り掛けます。

ミノル、お前は自分自身を見失わず生きているよ。そのままでいいし、そこを行けばいいよ。既成の幸福でない、本当の幸福を手にしたのだから、自信を持って生ききって。死ぬ覚悟は出来ているなんて言うよりも、生ききる覚悟は出来ているって言い続けよう。


ブレイブブロッサムズは負けてノーサイドを迎えたけれど、還暦というノーサイドはそれぞれに何かを与え、またそれぞれの自分に戻って行ったことでしょう。

ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。






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