【ネタバレあり】『勉強の哲学 来たるべきバカのために』 感想

本屋さんでおすすめコーナーにあり、興味がでて読むと面白かった!

具体的に面白かったのが、勉強の方法論というよりは、勉強をすることによる状態の変化を哲学チックに説明してくれているので、今までの勉強をしていたときの状態の変化を少し俯瞰する形で思い出すことができるところ!
(哲学チックと書いてるのはがっつり哲学だと自分が読むの挫折してたから…笑)

もっと具体的に自分が面白いと思った部分を項目別に分けて書いていく!
以下、読んだ人向けの本の中の用語使いまくりの感想!

1.「こだわり」が勉強の枠取りをする

自分の「こだわり」(=興味関心みたいなもの)が自分の勉強の範囲を決める、のように理解。
例えば、大学の学部とか就活で受ける業界とか決めるときと一緒だと思う。

面白いと思ったのが、その「こだわり」がどうできるのか?の部分で、

こだわりとは、出来事が、ある環境のなかで、言語を通して意味づけされ、機能をもつようになった結果である。

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』

という文章。

読んだら当たり前な気はするのだけれど、
「言語を通して」という部分が、第1章で言語論に関して、著者が丁寧に説明していたので、自分の中に響いたのだと思う。

こだわりは環境に左右されるとも捉えられるかな?とも思ったので、環境を自分から変化させれば、「こだわり」も変化するのかな?
でも、自分の「こだわり」の範疇で、環境を選んでしまうと、なかなか「こだわり」自体が変化することがないのかな?とも思ったりして、本を読み返していると、以下のような記述があった。

自由になる、つまり、環境の外部=可能性の空間を開くには、「道具的な言語使用」のウェイトを減らし、言葉を言葉として、不透明なものとして意識する「玩具的な言語使用」にウェイトを移す必要がある。

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』

上記の文章から、現時点で自分が属している環境の外部に移ったときのモヤモヤみたいなものを抱えている感覚が大切で、その感覚を自分の中に落とし込めれば、過去に自分が属していた環境を客観的に見ることができる、と考えた。
いわゆる、コンフォートゾーンから少し抜け出す、みたいな話かな?と思ったが、言語的な面から考えたことはなかったので、新鮮だった。

2.自分は他者に構築されている

自分は「他者によって構築されたもの」である。

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』

上の文章がかなり印象に残った。
本書にも書いてある通り、他者には言語も含まれている。
そして、言語は環境によって様々なので、自分自身も環境によって中身が変化する。

学校の成績とか運動神経のあるなしとかが他の人との比較だよな〜、と思ってはいたので、そこの比較から生まれる個性とかは他者ありきのもの、と考えてはいたが、言語の部分(価値観の部分含めたもろもろ)から考えたことがなかった。また、以下の文章も印象に残った。

言語を通して、私たちは、他者に乗っ取られている。

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』

自分は、環境のノリに、無意識的なレベルで乗っ取られている。

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』

「乗っ取られる」と書くと、悪い意味のように聞こえるかも…笑
特定の環境から乗っ取られた状態から、環境の外に抜け出そうとするのが勉強、と本書を読んで思ったので、勉強の良い面を際立たせるための表現かな…?ネガティブな表現は頭に残りやすいからな〜
言語が自分の想像以上に自分の見ている世界を作り込んでいる、というのがインパクト強めに書かれていたから印象に残ったのかも…

最後に

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』を読んでいて、心を揺さぶられる部分が多かったのに、その内容を思った通りに言語化できないのがむずむずした…
哲学的な考え方(言語論の考え方?)を「勉強」というほとんどの人がやったことのある経験に当てはめていく感じが好きなんだけど、好きの理由の説明が上手くできない….

あと、何かについて勉強しようとするときは、ネットの記事ではなくて、勉強しようとしている界隈で評価されている人の本の方が信頼できるので、本で勉強しましょう!というのは、最近ネットで調べて満足していたので、反省…

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?