『ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む』読書感想文

『現代思想入門』(千葉 雅也)を読んで、フーコーに興味を持ったので、入門書を読んだ。
『監獄の誕生』に関して、初心者にもわかりやすく書かれているので、おすすめ…!
以下、印象に残った箇所の感想。

①処刑の日はお祭り

処刑当日は町中がお祭り騒ぎになって、人々は仕事を休み、居酒屋へのくり出した。

『ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む』p74

例えば、現代で死刑当日にお祭り騒ぎになる?と考えたら、不思議な感覚。
死刑が執行されていることも知らずに日常を過ごしている人が大半だと思う。
その意味で、処刑当日がお祭り騒ぎ、というのは現代的な感覚では違和感を感じる。(当時の人々が残虐という意味ではない)

村落共同体における土地境界の曖昧さ、共有地の管理に際して薪や落ち葉を拾うなどの小さな恩恵など、それ自体が特権の網の目であった農村生活に根ざしている、私的所有と相容れない行動様式は、所有権という「万人共通の」権利が守られるために、禁じられ罰せられる必要が出てきたのだ。

『ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む』p89

犯罪の内容が時代によって変化するという具体例の1つ。
上流階級によって、邪魔な考え方を犯罪と定義して、社会から追いやっていくようなイメージを持った。
特に、「万人共通の」というような耳障りの良い言葉を使うことで、事実を隠している感じなのかな?
言葉の雰囲気はいいけど、実際に定義するのは難しい言葉(自由、人権など)は、言葉の意味を自分なりに解釈していないと、なんとなくで流されてしまうので、気をつけないと….

③啓蒙主義の考え方

啓蒙主義の刑罰体系においては、人々が罪と罰とを頭の中で即座に結びつけられることが何より重要だった。

『ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む』p101

後にでてくる「監獄の失敗」につながる文章。
野菜泥棒に畑を耕す労働を課す、のようなイメージと理解。
一方で、監獄は閉ざされているので、外から内側で何をしているのかが結びつけれない。
その点で、啓蒙主義の考え方を監獄では実現できない。
(野菜泥棒の罪の結果、どんな罰を受けるのか監獄の中の様子は普段の生活からはわからないので、結びつかない)

④監獄の失敗に問題がない理由

要するに、犯罪者のエネルギーをできるかぎり矮小化しながら利用すること。これが「監獄の失敗」が容認され、放置された理由である。

『ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む』p209

犯罪者の存在に利用価値があり、犯罪者の数を減らすことが監獄の目的になっていなから、と理解。
犯罪自体が政治によって規定されており、政治にとって規律を乱す存在を犯罪者として隔離するようなイメージの気がする。
そして、その隔離自体が、世の中の人々の犯罪を防ぐという目的からはずれてしまっているという話と把握。
(さらに、犯罪者の更生には役立っていない)

⑤規律型の人間

これに対して、規律型の権力に慣らされた人間は、身体の細部に至るまで生産性を高める訓練を受け、その意味で高い能力を身につける。

『ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む』p106

生産性の高さ、という面で優れているのが規律型。
世間でサラリーマンとして、能力が高いと言われている人に多いと感じた。
公務員や官僚、事務仕事に強いイメージ。
単純作業という意味もあるとは思うが、学校の勉強ができるという意味でもありそう。



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