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ごめんなさいの使いどころ

昨日・一昨日は紙ゴミを一束分捨てました!「毎日5個のもの捨て」を始めて、何だかんだでひと月経ちました。

もともと面倒くさがりで、後回しグセがあるわたし。いっぺんにかたづけるとすぐに燃え尽きてしまい、数日放置→モチベーション下がる→終了というスパイラルを繰り返してきました。

なので、今は「これも捨てれる」というものが見えている状態で止めるようにしています。そのほうが次の日の取り掛かりがスムーズで、結果的に習慣化しやすいみたいです。

さて、昨日は長女が通う高校の運動会の日。せっかくなので主人と息子と3人で見に行こうと朝からバタバタしていました。

でも昨日は何だか色んなことがちょっとずつうまくいかなくて…例えば唐揚げを作ろうと昨晩冷凍庫から冷蔵庫に出していた鶏肉が朝になってもカチカチのままで、下味をつける時間が少なく味が決まらなかったり、朝一で主人に捨てに行ってもらうはずのゴミを玄関に出し忘れていたり、だれかに迷惑を掛かるほどのことではないけれど、どうもスムーズに物事が進まない、モヤモヤイライラする、そんな朝でした。

「はーもうヤダ~」って思いながら、気づいたんです。何かあるたびに「ごめん」って言っていることに。

「唐揚げの味、ちょっと薄いかも、ごめん」
「ゴミ袋、まだゴミ箱のところに置いたままになってる、ごめん」

「ごめん」っていうたびに、自分の心がギスギスしていっている気がしました。

親になってから、何かあるたび子どもには「悪いことをしたと思ったら、ごめんって謝ろうね」と伝えてきました。でもわたしは「ごめん」をちゃんと使えているのだろうか?「ごめんなさい」の使いどころを間違っているんじゃないか?

きっと言うたびに心がもやもやしていたのは、納得がいってないからだったんだろう。本当は悪いことをしたつもりもないのに、「ごめん」と付け加えることでいったん自分を下げて、無理やり気持ちの落としどころを決めていたのかもしれない…

本当は「ちょっと味付けが薄くなったけど、お弁当を完成させた自分」や「ゴミ袋、準備するところまではやってる自分」をもうちょっと認めてほしかったんだろうな…「大丈夫、ありがとう」って言ってほしかったのかも。

とはいえ、娘や夫がわたしに対して「できてない、もっと頑張れ」と言ってくるわけではありません。多分、思ってもないはず…そうだといいけど(笑)要は自分で自分を勝手に落とし、凹んでるだけなんですよね。

「ごめん」という言葉は、本当に悪いと思ったときに使う言葉。

よし、今度からはこんな風にすぐ「ごめん」という言葉に逃げるのはやめよう。できるだけサクッと自分の気持ちと向き合い、もっとどんどん自分で自分を認めて、大切にしてあげよう!

そんなことを考えた今日の朝なのでした。

うーん、自分の考えを言葉にするって難しい(笑)

では。


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