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はじめの一歩

はじめに
 
「こんにちは。はじめまして。芦沢茂喜です。どうぞ、こちらに。おかけになり、荷物は台の上などに置いて頂いて大丈夫です。準備ができたところで教えてください。・・・・・・大丈夫でしょうか?はい。では、改めまして、今日はお越し頂き、ありがとうございます。メールでやり取りもさせて頂きましたが、この取り組みは「つむぎ」といいます。皆さんの声をつむいでいきたい。そんな想いを込めて、名づけました。これから話を進めていくにあたり、今日のこの時間、皆さんをどのようにお呼びしたら良いですか?・・ヨウコさん(仮名)、・・キョウコさん(仮名)。分かりました。まずは、今回メールを頂いたヨウコさんからお話をして頂けたらと思います・・」

 令和5年5月、連休明けの土曜日、公園の駐車場に停めた車内で、「生きづらさ」を抱えた人の声を聞く取り組み「つむぎ」を始めました。「つむぎ」とは声を、物語を紡いでいきたい。そんな想いから名づけました。

 なぜ、このような取り組みを始めようと思ったのか?自分自身に問いかけても、明確な答えは浮かんできません。声を聞くのは改造した自家用車。活動するのは私の仕事が休みとなる週末。声を聞くことに、お金は受け取らない。私が一方的にお金と時間をかける取り組み。誰が聞いても、なぜ、このようなことをしようと思ったのかが気になると思います。

 改めて、なぜなのだろう?私は日頃も、精神的な悩みを抱えた人の話を聞く、ソーシャルワーカーをしています。ソーシャルワーカーという職業を初めて聞かれた方にはピンと来ないかもしれませんが、悩む人の話を聞き、その人を取り巻く環境、具体的には家庭や学校、会社などとの間で折り合いがつけられるように、社会制度などの資源を活用しながらお手伝いをする仕事をしています。

 日頃から人の話を聞いているのに、なぜ自家用車を改造し、休日を使い、そのような取り組みをするのか?何か高い志でもあるのかと思いたくもなりますが、残念ながらありません。あまのじゃくな性格で、志を持たないことを決めています。

 では、なぜ?私が気になるから。

 何を?私のところには、相談することを目的に私がいる事務所に来てくれる人がいます。有り難いことです。でも、その人たちは私に連絡を入れ、時間を作り、私がいる場所まで来る交通手段を持ち、その場所で知っている人に会うかもしれないことを気にせず、来ることができ、会ったことのない私に話ができる、ある意味で力のある人のように感じます。

 当たり前のことですが、全ての人がそのようにできる訳ではありません。それができない人たちがいます。その人たちの声は誰が聞くのでしょう?誰も聞かなければ、表に出ることはありません。ないものにされてしまいます。何かが違う。そう思いました。

 来ることが難しいのであれば、私が訪ねていこう。私は悩む人がいる自宅に訪問をするようになりました。仕事の日はほぼ毎日。朝から夕方まで、多い日は5件。訪問する生活を続けました。お陰様で、これまで出会えず、話を聞かなかった人の声を聞くことができました。でも、全ての人には出会えず、声を聞けない人もいました。表に出てこない声は誰が聞くのだろう?事務所に来てもらうのでもなく、私が訪問するのでもない、違う形は取れないのか?私はそう思いました。私は改造した車を使い、公園などの駐車場で待ち合わせ、車内で話を聞くという形を採用することにしました。

 また、ただ声を聞くだけでなく、それを集め、伝えていくことはできないだろうかとも思いました。力のある人の声で埋もれてしまっていた声を聞き、その声を集め、伝えていくことが呼び水となり、次の人の声に繋がっていく、イメージとすればラジオのような取り組みにできないかと思いました。具体的には、了解を取り、声の録音などを行い、編集した上で公開していく形を取ることにしました。

 「生きづらさの声でつむぐラジオとくるま」、山梨県の片隅で、一人で始めた取り組みについて、これから話していきたいと思います。まずは、この取り組みが具体的な形になるまでの話に、しばしお付き合い頂ければと思います。


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