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ラジオのちから

第1章 ラジオ
 「生きづらさの声でつむぐラジオとくるま」、本書に付けたタイトル。なぜ、このようなタイトルを付けたのか?なぜ?と問われると、答えることが難しい。でも、私の取り組みを表すものとしては、このタイトルでなければダメなように感じます。このタイトルを構成する言葉である、「ラジオ」と「くるま」について、まずは書いていきたいと思います。

 「ラジオ」との関わりは、中学生の頃に地元FⅯをよく聞いていました。でも、それも長い期間ではなく、私にとっての「ラジオ」は、家が農家でサクランボや桃などを育て、出荷していた頃に、畑や作業場に手伝いにいくと、父や祖父母がかけたNHKラジオを作業しながら聞いていたイメージが強くありました。「ラジオ」は農作業をしながら聞くもの、逆に言えば私にとって「ラジオ」は農作業をしなければ聞かないものだったように思います。

 それが変わるキッカケがありました。平成30年9月25日、朝日新聞の山梨版に、本を持って、笑顔で写る私の写真と記事が掲載されました。私は、取り組んできたひきこもり支援について文章にまとめ、平成30年7月25日に「ひきこもりでいいみたいー私と彼らのものがたり」という本を出版していましたが、記事はそれを伝えるものでした。記事は紙面で掲載されるとともに、電子版でも配信されました。

 この新聞掲載により、一つ目のキッカケが起こりました。それも急に。平成30年10月9日、私が当時、配属されていた職場に1本の電話が入りました。電話の相手はニッポン放送の放送作家。電子版で私の記事を読み、ニッポン放送が早朝に放送している「上柳昌彦 あさぼらけ」の「あけの語りびと」のコーナーで紹介したいとの内容でした。「上柳昌彦?」、「ニッポン放送?」、私は状況が理解できませんでした。恥ずかしながら、上柳昌彦さんも、番組のことも知りませんでした。電話を頂いたのは昼間。私は「仕事終わりの夕方に電話を折り返しさせて頂きたい」と伝え、一旦電話を切りました。

 頭が整理できず、昼食も喉を通らなかったため、まずはスマホで番組名を検索しました。確かにある。上柳昌彦さんの写真を確認し、ニッポン放送の元アナウンサーだった人であることも確認しました。嘘ではないみたい。でも、何で私なのだろう。そんな思いをずっと持ちながら、午後の仕事を行い、就業時間終了後、放送作家の指定した番号に電話しました。

 私は聞かれた質問に答えました。私のことがどんなふうに紹介されるのかも分からず、私は気になっていたことを一つ、最後に放送作家に聞きました。「いつ放送されるのですか?」と私が聞くと、「明日です」との返事でした。「明日・・明日?」私が電話したのは19時頃。「あさぼらけ」の放送開始は4時30分。これから10時間ほどすれば、もう放送されることに驚いてしまい、それ以上何も聞くことができませんでした。

 翌朝、早く起き、ニッポン放送を聞くと、優しい上柳さんの語り口で私のことが話されていました。私のことが他人の声で話されていることに不思議さを感じるとともに、単純に感動しました。そして、当たり前のことなのかもしれませんが、声を通してさまざまな人に伝わること、その可能性を感じました。

「僕が語るのは『いま』なんです」引きこもりの人々に寄り添うソーシャルワーカー – ニッポン放送 NEWS ONLINE (1242.com)

 次に、二つ目のキッカケはニッポン放送の話から2か月後に起こりました。その時も、職場に電話がありました。電話の主は、YBSラジオ。地元である山梨のラジオ局であり、平日の昼に放送している「キックス」という番組の「気になる人にズバリ!キックス」というコーナーで出演してほしいという内容でした。朝日新聞の記事を契機に起こるさまざまな出来事に私はよく分からなくなっていました。これまでの生活では出会うことがない出来事の連続に、戸惑っていました。

 状況が理解できない中で、放送日の12月24日にYBSラジオに着くと、CM中にラジオブースから出てきたパーソナリティの梶原しげるさんと塩澤未佳子さんに会いました。挨拶をすると、すぐにラジオブースに入るように促され、CM明けに紹介され、主に梶原さんからの質問に答えたのは覚えていますが、具体的に何を話したのか、よく覚えていません。ボッーとしていたのだと思います。でも、放送終了後に、担当ディレクターより、「芦沢さんの声はラジオに合っていると思います」とのメールをもらいました。お世辞で書いて下さったのは分かっているものの、「ラジオに合っている」との言葉が私の中に残りました。

 次に、三つ目のキッカケは令和2年5月に起こりました。YBSラジオの放送以後も、私のところには新聞、テレビの取材依頼が来ていましたが、ラジオに関係するものはその後はありませんでした。5月に、NHKがラジオ第1で「みんなでひきこもりラジオ」という番組を始めました。パーソナリティはNHKアナウンサーの栗原望さん。このラジオは現在も続いており、現在は栗原さんのみですが、初回はひきこもり経験のあるお笑い芸人と白梅学園大学の長谷川俊雄先生が一緒に出演していました。長谷川先生は横浜市職員として精神保健福祉業務を行った経験があり、大学教員になられた後もひきこもり当事者の居場所を、NPO法人を設立し、運営しており、勝手に親近感を持っていました。長谷川先生が出ることを理由に、初回放送を聞きました。

 ひきこもりと言った場合、世間ではネガティブで暗いイメージがありますが、番組の節目に流れるジングルがポップなものであったことにまずは驚きました。また、ひきこもりはその言葉の通り、表に出てこないため、自分たちの声を出さないと思われていましたが、番組内で紹介された当事者からのメッセージの多さから、機会があれば当事者たちも声を出すことができると思いました。
 
 そして、最後のキッカケは「みんなでひきこもりラジオ」の放送された同時期に起こりました。それは新型コロナウィルス(以下、コロナ)。コロナの流行に伴い、社会生活は大きく変化しました。私は保健所に勤務していたため、私の生活も大きく変わりました。これまで保健所と言えば、エイズ検査、犬・猫などをイメージする人が多く、世間からあまり知られていない存在でしたが、コロナの流行に伴い、大きく取り上げられる存在になりました。陽性者、濃厚接触者への対応など、コロナに関わる多くの役割を求められ、私も相談業務を止め、コロナ対応に専念する生活となりました。

 これまで帰宅できた時間には帰れず、休みも不規則。夜中の3時に帰宅し、8時30分には出勤するという生活を続けました。家には寝に帰るだけとなり、片道1時間30分の通勤時に車の中でかけるラジオが唯一、私が社会と繋がるものとなりました。聞いてこなかった深夜ラジオを聞き、Radikoに入り、日中に放送されるラジオも聞くようになりました。私自身がラジオに支えられるようになりました。

 人の声を聞く。ただ、それだけなのに、支えられている感覚を持つ。私自身が素敵だなと感じたのは、ラジオをしている人は誰かを支えたいと思っている訳ではなくても、聞いている人が勝手に支えられている感覚を感じることができる。ラジオには可能性がある。私はそう思いました。

 その思いがどう形になっていくのか、続きは次回に。

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