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コンプレックス 20

■コンプレックス20

第三章 金沢、そして広島へ

セゾンがオペレーションのイニシアチブを握って運営していたホテルエドモントは、
いつの日からか、JRとセゾンの間に溝が出来たようだ。

一度、日本経済新聞に大きく『飯田橋のホテルエドモント累積赤字30数億!』
と大きな記事が載り、それから更に関係は悪くなったような気がする。

当時、西洋環境開発の取締役で、ホテルエドモントの非常勤の取締役をしていた
○○氏が、そのような流れに腹を立てて、宴会支配人をしていたI泉氏
(私をエドモントに入れてくれたフェヤーモントの先輩)に、「あなたを筆頭に、
今エドモントから抜いたら困ると思われる人間を、全員セゾンに連れていく!」
という話しになった(らしい)。

I泉支配人からその話しが、S田マネージャーに行き、S田マネージャーから、
笹川とI田さんにきた。
エドモントから(株)西洋環境開発に転籍するという形で、将来的には、竹芝のオープンに
全員東京に戻るという内容であった。

結果的には、竹芝はインターコンでオープンすることとなり、その時のメンバーは、
誰一人竹芝には行けなかったのであるが・・・

勿論、エドモントに残ることも出来たが、オペレーションはJR色に変わってきていたし、
私の信頼する先輩が皆いなくなってしまうのでは、残っても意味が無いと思いお任せすることにした。

結局、その時一緒に6名辞めたのである。平成元年の12月のことだ。
そして、それぞれが全国各地へ出向、転勤させられたのであった。

一緒に辞めた中で、エドモントで宿泊課長をしていたI崎氏と、
宴会マネージャーをしていたS田氏と、私の同僚だったO戸氏の3人は、なんと北海道のサホロに転勤になった。
エドモントの宴会支配人をしていたI泉氏は、川崎に有るKSPというホテルへ、
I田さんは品川のホテル高輪へ、ボクはひとりで金沢であった。

I泉さんとI田さんは、なんとか東京に残れたが、あとは東京からも遠く離れた結構厳しい世界・・

サホロは、リニュアルオープン直前に着任したことや、
現地が『超』がつく位のいなかで、買物が出来る店は町に数軒しかなく、おまけにすごく遠くて、
絶対歩いてはいけない!
車で15分位・・・時間も早く閉まる・・・本当に凄いところだった。

そのような状況の中 先ず、S田さんが切れて東京に帰ってしまった。
勿論セゾンを辞めるつもりで帰ったのである。
残されたO戸氏は、可愛そうだった。
誰もいうことは聞かないし、上記のような田舎、彼もすぐにおかしくなってしまった。

酔ってガラスを握りこぶしで破って、大怪我をしたり・・・ 
かなりフラストレーションがたまっていたようだ。

金沢にいたボクも結構大変ではあったが、ボクは結構いいかげんなところもあるので、
適当に大丈夫だったようだ。

そんなボクのところにKSPに行ったI泉さんから電話が有り、
「O戸が辞めるようなことを言ってるんで、悪いけど北海道へ行って、様子を見てきてくれ!」
と言われた。

O戸氏とはフェヤーモント時代からの付き合いである。
彼は、年齢がボクより一つ上なのであるが、専門学校を卒業してから入社したのでフェヤーモントでは、
私の方が入社が1年早い。
この業界、先輩の方が偉いのだ!

奴とは本当によく飲んだし、悪い遊びもした。
ボーナスが出た日に、二人でそのままボーナスを持って遊びに行って、さんざん使い、
翌日ブルーな気分になったことも数知れず・・・
だいたい、激しい二日酔いになる時にはいつも彼が絡んでいた。

最近しばらく会っていないが元気にしているだろうか?
彼の結婚式は、ボクが司会、井澤氏にエレクトーンを弾いてもらった。

金沢から東京へ飛び、東京から札幌へ飛んだ。
そこから特急で3時間位かかった。
えらいところへ来たなぁ・・と正直思った。

サホロへの最寄り駅は、新得という駅であった。新得駅へは、O戸氏本人が迎えにきてくれた。
確かに元気が無く、疲れきっている様子!!
その日、飲む酒とつまみも駅のそばで調達しようと思ったが、
O戸氏が酒はホテルにあるので買わないでいいよ!と言う・・・
その言葉に甘えた。

O戸氏は、寮に住んでいたので、私のルームで飲むことになった!
先ず、一緒に宴会場の裏に忍び込み、ビールを二人で持てるだけ持って、
ウイスキーも持って、堂々とルームに戻ってきた。

飲みながら、じっくり話しを聞いた。
私は彼に対して
「もうちょっと、頑張ってみたら・・・」とかという一般的な励ましをすることは出来なかった。
彼の話は、今までの人生で聞いたことが無いくらい過酷で、
面白みの無い仕事内容であった。

結局、サホロへは酒を飲みにいったようなものであった。
それでも、O戸氏は、私が来たことに対して随分喜んでくれて、
その日は久しぶりに笑った!といった感じだった。

結局、サホロは宿泊支配人で着任したI崎氏だけが残って、
S田さんとO戸氏の二人は時間差で東京に帰ってきたのだった。
S田さんとO戸氏は、その後I泉さんがうまく調整してくれて
二人ともホテル高輪になんとか入ることが出来た。


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