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金沢國際ホテル その数奇な歴史、、

私がこのホテルに在籍したのは、1989年12月~1993年2月の3年強であった。
当時、セゾンに在籍していた。

セゾングループは、西武百貨店、西友、などのほか、旗艦会社は、デベロッパーの西洋環境開発であり、私は西洋環境開発籍で、金沢に出向という形であった。

ホテルの開業が1981年。
元々地元の病院経営者で医師でもあるU氏が私財を投じて作ったホテルである。

ホテルの立地は重要な要素であり、金沢であれば駅前、香林坊・片町などの繁華街、兼六園などの観光地へのアクセスが重んじられるが、金沢國際ホテルは、中心から数キロ離れた郊外の「高尾」という地にあった。

レストランや宴会場など、他のホテルに負けない設備があり、自然に囲まれたシティホテルをオーナーは目指したんだと思われる。

ホテルというのは、利益を出しにくい業種である。

一定のクオリティーを保つ為に必要な、人件費、食材費、販促費などなど、
プラスして、売れ残った部屋は、後から売ることは出来ない!
「かげろう」のような商品を扱う難しさがあるのだ。
日本では、航空会社や電鉄会社がホテルを展開しているケースが多いが
中々利益は出せないのが実情なのである。
ホテルでの利益よりも、ネームバリューの為に営業している部分が大きい。

そんな難しいホテルを趣味で始めたのはいいが、案の定というかうまく行かない!
本人も、そうそう簡単に軌道に乗るとは思っていなかったのかも知れないが、積みあがる赤字にどうにもならなくなってしまうのにさほど時間はかからなかったみたいである。
「佐川急便」に売却された。

しかし、この「佐川急便」も門外漢である。会長の趣味で購入したのかも知れないが、こちらも赤字に耐えかねたものと思う。

これを西洋環境開発が買ったのである。

当時セゾンは、世界チェーンのインターコンチネンタルを買収し、北海道サホロ、神奈川サイエンスパーク(KSP)、横浜グランドインターコンチネンタル、ホテルエドモント、ホテル高輪、少し後に、タラサ志摩、広島エアポートホテルなど
精力的に展開していた。

私は、金沢から広島新空港に隣接してオープンすることになった広島エアポートホテルに異動となった。
そして、それから数年後、なんとセゾンも金沢國際ホテルを、地元で料亭などを経営していた浅田屋に売却した。

浅田屋は、かなり大掛かりなリニューアルを行い、ブライダルにも力を入れ、今までに無い人気を博した。

ところが、その浅田屋も2014年に、呉竹荘グループに売却している。

まるで海外のホテルのような展開である。

今は、上手く行っているのであろうか?

私は、金沢國際ホテルで一緒に仕事をした方々の
優しさを、忘れない。

これからも、ずっと大事にしたいと思っている。


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