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閑話休題・霊感商法とお金と得た学びの話②

さて、前回の続きです。

本題(霊感商法)に入る前にその方といろいろと世間話をしましたが
その話で良いことを仰られていたのでその気づきについて記します。


その方は「私はついていない」と思う癖があったそうです。
ついていないといっても深刻なものではないのですが…

たとえば自転車で仕事に行っているのですが帰りに雨が降ってきた。
仕方ないとバスを待つことにしたがなんとなかなか来ず、途中雨が止んだ…
あーーーなんてついてないんだ!!とかそういうレベルです。

ところでその方には何をやっても動じない、
出来事をすべてありのまま、(自分の感情を通さないで)受け入れる友達がいるそうです。
その友達に言わせれば
「自分に降りかかる物事はなんでも最善だと思いなさい」

たとえば先程の例にしても
雨が止むまで待って自転車に乗る選択もあればバスに乗る選択もあった。
でも、その時は最善だと思ってバスに乗ることにした。
だったらそれでいいじゃないか
(良かれと思ってやった結果、たとえ思いもよらないことがあっても、それはそれで仕方ない)ということです。

その人はそのお友達の影響もあってだんだん
「自分はついてない」と思うのを
やめるようになった、と言っておりました。

その言葉を聞いたときはなんだか
テレジアとニーバーの祈り※みたいだなと思ったのですが
突然、そうか!!と思い至りました。

今までの自分は「最悪の事態を想定して」行動することが多かったのです。

でも真実はそうではなく
つまり最悪でなくて最善にスポットを当てることが大事だったんだ!!と
今更ながら気づきました。

もちろん最悪の事態を想定することの全部が全部間違っているとは思いません。
そのために実際に最悪の事態を免れてきたことだってあっただろうから。

でも、
「自分に降りかかったことはなんでも最善だと思う」ということは
たとえ何が起こったとしても、
それがその時の自分の最善の選択の結果だったんだ
(⇒だから無駄な後悔することはない)と思えるし

また、最善だと言い切れるためには逆に、
そもそも普段から何かを選択する段階でどんな些細なことでも
「この場合の最善は何?」って自分に対して問いかけ、
選択に対して注意を払うことになるし、
それは意識的に生きることにつながり
より良い未来を選ぼうとする努力につながると思うのです。

とにかく今回の気づきがあったことで
自分の中で行動原理の焦点となってたものが最悪から最善にシフトしたわけです。
ちなみにその話を聞く前と聞いた後とで状況がものすごい変わったというわけではないのですが
不思議に今は圧倒的に生きやすくなったというか、落ち着いているというか、そういう気持ちになっています。


自分が思うことが自分の未来を創造する
(だから悪いことでなくて望む事、最善の事を想像しなさい)みたいなことはよく言われていますし
自分でも分かったつもりでいました。
でもそれが意味を持って全身全霊で理解できたのは多分はじめてでした。

少なくても十数年に渡る自分の頑迷なる信念の一部が間違いなく変わったのは事実です。
それこそ、相応のお金を払ってでも惜しくないほどの貴重な体験でした。

その意味では今回の出来事とその方に非常に感謝しています。

※テレジアとニーバーの祈り
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを、
変えることのできるものについては、それを変えるだけの勇気を、
そしてその両者を区別するだけの知恵をお与えください。

ラインホルド・ニーバー(アメリカの神学者)

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