虐待の告白を娘から受けたその後十年目にして想うこと。


やっぱり一番辛いのは本人。だから、当事者でない私が言葉にすることは、守るべき親の立場、将来娘が私の友人達を頼り人生を切り開く時、虐待しかも父親からの性的なこと、プライバシーの侵害なのではないか、など、ずっと悩み続けていたら、十年が経過した。

しかし、不登校もいじめも部活の挫折も経験し、友人ができ、進学もそれなりに乗り越え、趣味を持ち、進路に夢を持ち確実に歩き始めて、グレーゾーンを疑いながらも、過去を抜きにしても、なんら他の子供達と変わらない、大切な一人の人間として、成長している姿を娘の中に見る時、私は確信した。

どんな逆境も、生き方次第なんだ。
子供からのSOSは、真摯に受け止めて、信じ、
''ダメなことはダメ''
例え親や立場の上にある人から、
金銭的にも援助を受けていたとしても、
断る権利があり、自分の体は自分だけのもの。
自分を大切にしていいんだ。
嫌なことをされたら、どんな理由があっても、
嫌だと言っていいんだ。
それを伝え続けたのは間違いではなかった、と。
離婚は正直怖かった。私一人で、娘達を幸せにすることが、できるのか。失敗はしないか。余計にひどい状況になり、路頭に迷わせたりはしないか。

けれど、今改めて想う。昨今のニュース、実親が、子供の命を奪う事。育てきれず、捨ててしまう事。某有名企業の代表が、従業員である若き青年達を、性の餌食にしてきたこと。それらのニュースを、ありのままに''おかしいよね''と話し合える、平凡な、正直に話し合いができる、家庭環境をいま継続して保っている我が家は、間違いなく、あの10年前よりは、まっすぐな人生を進んでいる。

子供の言葉や、SOSを受け止めきれず、一人で悩んでいるお母さん達に言いたい。自分を感覚を子供達を信じて、日本の行政を頼ってみてほしい。諦めないでほしい。先を心配しすぎず、何が得か、ではなく、何が徳か、を考えて動いてみてほしい、と想う人が、ここにいることを。




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