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塗料メーカーで働く 第四十九話 新人研修発表

 1992年3月17日(火)午前9時 本館の講堂で下期の新人研修発表会が始まった。      

 新規事業部 技術部で研修を行った高野さんは 定刻の10時30分に発表を始めた。 
 
 発表テーマは 昨年の実習生のテーマと同じ 「UV硬化型樹脂の硬化性の研究」で サブタイトルは 高野さんの名付けた 「UV硬化ってなんだろう?」だった。            

 発表内容は UVカラーインクの硬化性を数値化することを目的とし そのためにインクの硬化状態を記述する式を求める取り組みだった。 

 昨年の実習生の浜崎さんは 彼の発表で 「UVカラーインクの硬化性はインクに照射されるUV光の量の2階対数に比例する」ことを提案し 関係式を示していた。 

 この関係式は 硬化性の実測値を基に近似したものだったが 実測値からずれる部分もあった。 

 高野さんの研究では この実測値からのずれを表現するために インクの硬化のモデルに新しい仮設を定式化して盛り込む取り組みを行っていた。 

 1つ目の仮設は 塗布したUVカラーインクを便宜的に微小な体積素片群として考えた時に それぞれの体積素片の硬化性は それぞれの体積素片に照射されるUV光の量の2階対数に比例するというものだった。

 2つ目の仮設は インクを構成する体積素片は その位置により硬化性が異なるというものだった。

 これは インク中の光重合開始剤が重合反応を引き起こす時に 重合反応の範囲が 光重合開始剤の元の位置からの距離に対して確率分布で示されるという考え方に基づいていた。 

 高野さんは これらの仮説を盛り込んだ硬化の近似式を基にした硬化性の数値計算ソフトを作成し UVカラーインク各色について UV露光時間とインクを構成する体積素片群の硬化度との関係を計算により求めていた。

 また彼は UVカラーインク各色についてUV露光実験を行い 先の硬化度の数値計算結果との比較を行っていた。

 硬化度の計算結果は インク各色のUV露光実験結果とよく一致していた。

 インクの厚み方向の硬化度の計算結果は 先のビエラボ社での顕微FT-IR装置を用いた分析結果を再現し UV露光時間と硬化度の計算結果も 実測値と良く一致していた。

 彼は 報告の最後に 「今回の研究は UV硬化型樹脂の硬化性の数値化が可能であることを示しています。 この研究は UVカラーインクの開発に有効だと思われます。」と述べた。

 高野さんの発表が終わり質疑応答の時間になると 傍聴席から多くの挙手が上がった。 

 質問者の多くは 2つ目の仮説の 「体積素片の位置による硬化性の違い」について質問した。  

 この概念は UV硬化型の樹脂に限らず熱硬化型の樹脂や2液硬化型の樹脂についても適用されるものなので それらに関係する技術者等が興味を持って質問していた。

 高野さんは 質問者にその概念のイメージを分かりやすく説明しようとして 「それはプールの中で泳ぐ魚の群れのようなものです。」と言った。               

 この例え話は プールの中央付近で泳ぐ魚は自分の周りに自由な空間があるために活発に泳げるが プールの壁の付近にいる魚は泳げる空間が狭く、活発に泳げないという意味だった。 

 すると その例え話に反応して 傍聴席から 「魚の中には トビウオもいるよ。」という声やその声に呼応した笑も飛び出して 会場は妙な盛り上がりを見せた。

 一方 彼の発表内容に否定的な意見もあり それらは その仮説は本当に正しいのかとの意見や 樹脂の硬化性を議論する上では樹脂の粘度変化の影響を考慮すべきではないかとの意見だった。

 質疑応答の終了を告げるベルが鳴り 高野さんの発表は終了した。

 新人研修発表会の午後の部に 新規事業部 研究所部の実習生の宮島さんの発表があった。 

 彼の研究テーマは 高野さんのテーマと同じく UV硬化型樹脂の硬化性に関するもので UV硬化型樹脂の厚み方向の硬化の状態を分析したものだった。 

 彼は UV硬化した樹脂を その表面からサンドペーパーを用いて徐々に削り取り 削り取った粉末を臭化カリウム(KBr)粉末に混ぜて押し固めたサンプルを作製し それらを赤外分光分析装置を用いて分析した結果をまとめていた。

 彼は UV硬化型樹脂の厚み方向の硬化の状態変化をグラフに示したが それは滑らかな曲線ではなく凸凹したものだった。

 彼の発表が終わり質疑応答の時間になると 最初に有働技術本部長が質問し 「その実験方法は 誰が考えたの?」と聞いた。      

 本部長の質問は 高野さんの実験方法と比較してのものと思われ 宮島さんは 動揺した様子を示し答えに躊躇した。

 会場の後方で発表を聞いていた川緑は 彼と高野さんの取り組み方に大きな違いがあると感じた。

 一方は 単に現象を分析し その結果を考察しようとしたもので もう一方は現象に対して仮説を立てて それを検証しようとしたことだった。

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<備考> 高野さんの研究発表の詳細に ご興味をお持ちの方は 別途 掲載の 「川緑 清の【テクニカル レポート】No.3」をご参照ください。


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