見出し画像

塗料メーカーで働く 第六十三話 背水の陣 

 1992年10月19日(月)午前10時頃 新規事業部 研究部の杉本部長は 技術部へやってきて 居室の一番奥にある米村部長の机に向かって行った。

 彼は 「米村さん ちょっといいかね。」と声をかけて 暫くの間 なにやら話をしていた。   

 話が終わると 杉本部長は 川緑の所へ来て 「来年のラドテックに 技術部で 何かいいテーマはないかいね。」と言った。 

 ラドテックとは 電子線・放射線技術に関する国際会議の名称で 関連する設備メーカーや材料メーカー等が最新の商品や技術を持ち寄り発表する会議だった。

 会議は アメリカとヨーロッパと日本の関係団体により 持ち回りで開催されていて 来年は日本での開催が予定されていた。           

 杉本部長は ラドテックの支援団体のラドテック研究会の会員で 自社の中で エントリィできるテーマを探していた。       

 ラドテックの件は TKM会の共同研究を進める上で 駆動力になると思い 川緑は 「うちで取組んでいます他社との共同研究のテーマが良いかと思います。」と言った。

 続けて 「TKM会の共同研究は UVカラーインクの設計技術の向上だけでなく 業界全体の技術レベルの向上に繋がる取り組みです。良いテーマだと思いますが いかがですか。」と言った。

 部長は 「そうかいね。でもなあ 米村さんに聞いたら川緑さんは 忙しい言うとったが。」と言った。

 川緑は 「時間を作れば やれると思います。」と言ったが やるかやらないかの判断は自分にはどうしようもないことで 言っても意味のないことだと思った。    

 「ほんなら 一応候補に考えとくから 要旨を準備しといてね。」と言って部長は退室して行った。

 ないがしろになっているTKM会を継続するには ラドテックに応募して 活動の大義名分を得るしかないと考えたが そうすることは 自分の首を自分で絞めることになるのは間違いなかった。

 ユーザー対応に追われ 共同研究がままならない中 更に ラドテックに応募するのは 無謀なことに思えたが この機を逃したら 二度とチャンスは巡ってこないという思いが強かった。

 ラドテックに応募することは 自ら退路を絶つことになり 川緑は 背水の陣を敷くことになると思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?