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万華鏡 第一曲『常世の理想郷』6


 如何して私の両親が殺められなければならなかったのか。
 世が終戦を迎えた中、同じ疑問が浮かんでは消えていく。事実が合っても答えが有るのか無いのかは定かではなく、胸の内では誰にも聞こえない自問自答を繰り返す。
「争い合うのも生命だ。だからこそ……時にぶつかり合ってでも、過ちを正し、共に手を携え生きていける未来があると信じて、神様に仕え、願い祈るんだ」
 昔から父は気恥ずかしそうにしながらも、自信を持ってそう言っていた。そんな父を母も慕い愛し、少し喧嘩はしても同じ未来を目指してお互いを支え合っていた。その為にも、まずは自分達が立派に生きなければならないと、胸を張って。
 二人は私の憧れだった。それは今も変わらない。
 それなのに……何故に誰かの未来を思い信じる父母が、生命を捧げねばならないのだろう。未来を刈り取られなければならなかったのだろうか。
 後を継いで、父と母が祈る未来を願い生きていく。それが私の決心であった。
 漸く恩返しが出来る、一緒に並ぶには程遠いけど、背中を追い掛ける事が出来ると思ったのに……これからだったというのに。
 大戦後に広まった女尊男卑思想により、多くの人生が滅茶苦茶にされた。女性が世間の風潮と権力を行使し男に暴行を加えるなどざらな事。何故なら女性は偉いのだから。
 あまりにも稚拙で単純な理由を崇高とする女性至上主義者による突発的な暴動と、反発する男性至上主義者連中の衝突に巻き込まれ、居合わせてしまった私達は襲われ、共に居た父と母も双方によって殺められた。
 女を奴隷とする男に断罪を、男を縛り付ける女に制裁を。
 女性を犠牲とする男共は人間に非ず、女は男の奴隷となれ。
 自由を奪う呪縛の開放を。
 互いに浴びせ合うあまりにも身勝手な思想を免罪符とし、ただ普通に生きているだけの生命を狂わせた。
 残酷な現実を前に、私を庇って地と血に伏せる両親が、またあの優しい声を掛けてくれるのをどれだけ願っただろうか。
 誰かもわからないが、至上主義者達に立ち向かったその誰かは、結局誰一人も護れなかった。
 ただ日常を生きて、偶然居合わせただけの人々も、私の両親も、護れはしなかった。私を護ってくれたのは、未来を願い生きた父母だった。
 私も……誰も護れなかった。
 聞こえるのは、昂ぶった連中の醜い高笑いや罵声に無様な悲鳴、それに鎮圧と生存者の保護を図るべく駆けつけた、平舞警察の怒号であった。その中に、父母の声が聞こえる事は無かった。
 だけど、傷心に浸っている暇も無かった。強欲なる連中は必ず弱みに付け込んでくる。
 唯一残されている、私と両親の想い出、そして、居場所までも奪われ喪う訳にはいかなかった。
 何より、両親だけではない。あの場所で亡くなられた多くの方々の分まで、精一杯生きていかねばならないのだから。
 護られるばかりでしかなかった私が、今度は誰かの居場所になれればと、誰かの未来を一つでも護れる存在になろうと。そう、心に決めて。
 案の定、此方が独りだと知るや否や優しい言動の中に性的欲求を含ませ、投資話に交えて脅迫を含ませる者達がやって来ては、うんざりする事の繰り返しだ。そういった連中はどいつも人間ばかりだが、時には人も交じっており、改めて人々の中にもあくどい奴は居るのだと、再認識出来た。言ってもわからない馬鹿は―――世界の総てが自分を中心に廻っていると思い込み、総てが思い通りにならない筈がないと自負する屑は何処にでも居る。だからこそ時には力尽くでも跳ね除けている為、今のところ身も心も穢されてはいない。
 元々参拝者は少なく、維持していかねばならない先行きに心労は絶えず、相談相手も無い現状に心細さが無いとは言わないけれど、それでも苦ではない。
 私は、この場所と、ここから見る風景が大好きだ。
 大戦による科学の発展で、人間や人々の心は少なからず荒廃し貧しくなっている。嫌気が差すばかりだけれど、だからこそ、もし此処を訪れた方の心を少しでも癒せるのなら……その方が自らの生き方に希望を抱き、明日を生きていく勇気を少しでも見出してくれたのなら。そうあって欲しい、そのような場所である為にも、私が決めた自分の務めを果たしていきたい。
 まだ怨み辛みは残っているけれど、父母が願い続け、教えてくれた、『生命が生命である世界』とその未来を信じて、私も生きていく。
 ただ、お祀りしている星神様や、八百万の神々様達には、情けなく思われているかもしれない。
 正解はわからないけれど、私なりにも立派な神職にならないと……。
 誰が如何とかではない。私が私を生きる為にも、そう思うのだ。

 ……それにしても、まとまったお金を奉納してくださっている方は一体誰なのだろう。
 神社に常連、という表現もおかしく失礼かもしれないが、頻繁にお越しくださる参拝者の方々にそれとなく尋ねてみても、どの方も一様に首を傾げるばかり。はぐらかしている訳でも無い様子で、如何にもそれらしき人物は一向に浮かんでこない。明らかに下心が見え見えで、意図的に大金を奉納しようとする者もいるが、もはやそれは論外だろう……。
 差出人の姓名も無い包みには、美しく丁寧な字で奉納と記されているのみ。定期的と言っていい程にあるのだが、有り難い思いも有るには有る反面、いつ誰が奉じているのかもわからないままであり、少々気味が悪い。
 そんな悩みを抱えながら二ヶ月程が過ぎた大晦日の夜。
 一年の終わりを迎えようとする日、星の瞬く夜景を眺めようかといつもの場所に足を運ぶ。

 そして、まさにその日だった。
 ……私が『彼』と出逢ったのは。


はじめまして、くま機士です。 駄文ではありますが、あわよくば私の描く物語が、激動する世の中で 一生懸命に生きる誰かの心を照らせれば、これほど幸せな事はありません。 もしも宜しければ応援の程、よろしくお願いいたします。