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コロナ禍を経て、一度諦めたワーキングホリデーへ再挑戦

「友人のSNSを見て、再度挑戦することを決めました」。そう話してくれたのは、現在30歳のYURIさん。

 YURIさんは今年の秋から1年間、ワーキングホリデーにオーストラリアへ向かいます。

ワーキングホリデーとは、渡航した青少年に対して、休暇目的の入国や滞在期間中の滞在資金を補うための就労を許可する制度のこと。18歳~30歳の人が海外で働きながら約1年間滞在できる制度です。

成功する留学


実は4年前に1ヶ月間の留学を経て、ワーキングホリデーに行く計画していましたが、コロナウイルスのため中止に。一度は諦めたものの、再度挑戦を決意した理由について伺いました。



海外へ興味を持った理由


ーーこれからワーキングホリデーに向かうYURIさん。そもそも海外に興味を持ったきっかけはありますか?

『HIGH SCHOOL MUSICAL』や『glee』の海外ドラマを見たことが始まりですね。何気なく入ったDVDのレンタルショップで、内容も知らないのに、パッケージにひかれて借りてみました(笑)。

向こうの学生ってどんな生活しているのか、のぞいてみた感覚。アクセサリーしてもメイクしても良いし、髪色も自由なんて最高だと思いました。フィクションのドラマですし、どこまでが本当なのかわかりませんが、実際に自分で行って見てみたいと感じ、海外に興味を持ちました。

大好きすぎて購入したDVD

ーードラマから影響を受けたということですね。実際にどこの国へ行きましたか?

もともと両親が旅行好きだったこともあり、ハワイやグアム、イタリアなどへ連れて行ってもらいました。日本とは違う非日常の空間に、全てが新鮮でしたね。

身近なスーパーでさえ、レジの前にはベルトコンベアーあり、商品が流れている光景が、面白かったことを今でも覚えています。

ーー小さい頃からさまざまな国へ行っていますが、特に印象に残っている場所はどこですか?

特に印象的だった旅行は、初めて友人と一緒に行ったカリフォルニアですね。ディズニーアドベンチャーパークに行き、こちらにしかないアトラクションを楽しみました。特にカーズのアトラクションが、外の風を切って走り回ることが気持ちよくて、今では一番のお気に入りです。

次の日にはサンタモニカへ行き、キレイな夕日を見たり、ウォールアートを見たりさまざまな観光地を満喫。旅行の最後にはトラブルが起こりましたが、それも今では笑い話になっています(笑)。

サンタモニカのサンセット

ーーどんなトラブルだったのですか?

下調べが足りなかったことも原因のひとつですが、飛行機に乗り遅れてしまったことです。搭乗ゲートまできたら、あとはすぐそこに飛行機があり、乗るだけだと思い込んでいました。

しかし、いざ搭乗ゲートへ行ってみると、奥まで道が続いていました。飛行機はどこだろうと思いながら進んでいくと、たどり着いた先にはバス停。実はここからバスに乗り、国際線専用の空港へ移動しなければなりませんでした。

まさかバス移動があるとは思っていなかったので、出発時刻が迫っていました。バス停の列に並ばなければならず、私たちは3番目。2台のバスを見送ったあと、ようやく乗ることができました。到着してすぐ、近くの空港スタッフに助けを求めると、「後ろに乗りな」と荷物を運ぶ用の荷台に乗せてくれました。

なんとか搭乗口に到着しましたが、「時間が過ぎているので搭乗はできない」と言われてしまい、目の前に乗るはずだった飛行機はあるのに、見送るしかありません。そこからは、次の日の早朝に出発する飛行機が取れたため、1日遅れてしまいましたが、無事に帰国することができました。


初めての留学で感じた理想と現実

ーー聞いているだけで本当に大変だったことが伝わってきました。さまざまな旅行を経て、フィリピンへ留学したと伺いました。なぜ留学しようと思ったのですか?

もともとワーキングホリデーに行きたいと考えていましたが、海外で暮らしていけるかわかりませんでした。そこでまずは、1ヶ月間お試し感覚で、暮らしてみようと思ったことがきっかけです。

海外で旅行すること生活することは違うと感じています。旅行の経験はありましたが、まず海外で生活できるか自分で確かめたいという気持ちからですね。

私は寒いところが苦手なので、暖かい気候の国にしぼりしました。そのなかで、年間通して温暖であり、比較的コストも抑えられるフィリピンに決めました。

休日に訪れた観光地「タガイタイ」の景色

ーー確かに旅行は観光地に行ったり期間も短いですから、暮らしていくとなると想像つかないですよね。実際に留学を経験してみてどうでしたか?

このフィリピン留学を通して、海外でも暮らしていけると実感しましたね。私は留学に来るまでは、実家暮らしだったので、一人暮らしも初めての経験でした。なので実際やってみる前にいろいろなことを考え過ぎて、不安になっていたのだと思います。

1ヶ月は本当にあっという間でしたが、とても楽しい日々でした。理想としては、学校で友人を作りたいという気持ちがありました。しかし当時のフィリピン留学はマンツーマンレッスンが主流で、グループレッスンがありません。

そのため私は、積極的に学校のイベントを申し込みました。ですが、生徒の参加者は私一人しかいなく、少し残念でした。

そのぶん先生たちとは、たくさんお話しすることができましたね。自分からたくさん話しかけることで、一緒にお出かけするほど、仲良くなりました。

卒業の日、仲良しな先生たちと


ワーキングホリデーへの挑戦

ーーそんなフィリピン留学を経て、今年の秋からワーキングホリデーに行くとのことでしたが、興味を持ったきっかけはありますか?

まず、海外に長期で暮らしてみたいという気持ちからですね。長く海外に滞在するにはどうすれば良いのか、調べていくうちに長期で滞在できるビザに「ワーキングホリデー」という制度があることを知りました。

学生ビザも長期で暮らせますが、その間に学校の費用もかかる。しかし、ワーキングホリデーにすると、学校に通わなくても大丈夫ですし、自分で働いてお金を稼ぐこともできる点が、私に合っていると感じました。

そしてエージェントに相談をして、いざ契約するときになって、コロナウイルスが流行り始めました。

ーー突然のコロナウイルスによる感染拡大。実際にどんな影響がありましたか?

まず、オーストラリアへ入国できなくなりました。私の場合は相談会を受けた段階であり、まだ契約前。そのため、エージェントからは「ロックダウンになり、国境が閉鎖されているので、再開するまでは契約しないでください」と言われてしまいました。まさかこんな事態になるとは思いもしなかったので、とても驚きました。

私の予想では、半年くらい経てば大丈夫だろうと思い込んでいました。しかし実際には再開されず、感染拡大が世界中へ広がり、ますます深刻化していきました。

年々と歳を重ね、気がつくと30歳目前。いつ収束するのかわからないまま、待ち続けることに不安と焦りを感じるようになりました。このままフリーターを続けたところで、31歳を超えてしまったら、もうワーキングホリデーへは行けない。

そうなると待ち続けるには、リスクが高いと感じました。半年で終わると思っていたことが、2年経っても状況は変わりません。もう諦めようと思い、日本で就職しました。

そこから会社員として、働き始めてからわずか半年後。なんとロックダウンが終わり、国境が開かれることになりました。諦めて就職してしまったため、身動きが取れず、結局ワーキングホリデーへの夢は諦めました。

ーー確かに当時はいつ終わるのか、誰にもわからない状況でしたよね。諦めたワーキングホリデーへ、再度挑戦しようと思った理由はありますか?

何気なく目にした友人のSNSがきっかけです。友人はカナダへワーキングホリデーに行こうと計画していましたが、コロナウイルスの影響で中止に。

まさしく私と同じ経験をしていました。しかし友人は最後まで諦めずに、国境が開くのを待ち、30歳という年齢制限ギリギリで、ワーキングホリデーへ行くことができました。

友人がカナダへ入国した投稿をSNSで見た瞬間、行かないと絶対後悔すると感じました。今までは国境が開いていないことが理由で行けませんでしたが、今はもう行ける状態。あとは自分が動くか動かないかだけという事実に気付かされました。

ワーキングホリデーに行くとなると、1番大きな壁は年齢制限だと私は感じています。あのとき行っておけば良かったと後悔しても、時間を戻すことはできません。これはもう決めるしかないと思い、退職を決意しました。

友人の投稿がなければ、再度挑戦しようとは思いませんでした。友人のおかげで、行動することができて本当に感謝です。


4年越しのワーキングホリデーでやりたいこと

ーー仕事を辞めるには勇気がいることだと思いますが、すぐに行動を始めたのですね。最後に4年越しにやっと行けるオーストラリアでやりたいことは何ですか?

さまざまなところへ旅行に行きたいですね。私はドライブも大好きなので、自分の運転で遠くまで行ってみたいです。

なかでも一番行きたいところは、「ロットネスト島」という島です。こちらの島にいるクオッカに会うこと。笑顔が印象的で「世界一幸せな動物」と言われています。クオッカと一緒に写真を撮りたいですね。4年越しの夢があと3ヶ月で叶うと思うと、どこ行こうか考えるだけで、とてもワクワクします!

「世界一幸せな動物」と呼ばれているクオッカ


編集後記

4年前にワーキングホリデーの準備を重ね、やっと行けるタイミングでコロナウイルスの感染拡大。いつ収束するのかわからないまま、年齢制限の壁を意識して、日本での就職を決めたYURIさん。

もう行くことはないと諦めたところから、友人のSNSをきっかけに再度挑戦を決意。夢に向かって、新たな一歩を踏み出したYURIさん。これからのワーキングホリデーをどれだけ楽しみにしているのか、こちらにも伝わってくるインタビューでした。


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