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メープルの離婚の話し



この記事は、何ものでもない僕が
自分自身の過去を棚卸し、避けては通れない
過去と向き合い、前に進むために書いている
内容です。

では書いていきます。

出会い〜お付き合い

元嫁との出会いは美容師と客
ありきたりな出会いだった。

何回か担当させてもらううちに
話しが盛り上がった。

基本的には美容師側からは連絡先を聞く事はないが、
向こうから聞いてくれたので,SNSでアカウント交換した。

正直、元嫁は僕のめっちゃタイプで
どストライク

連絡先の交換が出来て
僕は内心舞い上がった。

仕事が終わり、スマホを確認すると
元嫁からメッセージが来ていた。

元嫁
「いつもありがとうございます。
  メープルさんと話していて凄く楽しいです」

的な、内容だったと思う。

そこからやりとりがはずみ,
直ぐにLINE交換に至った。

それから毎日
仕事以外はずっと連絡。

朝まで電話もしばしば、寝不足だったけど
楽しい日々だった。

ある日、元嫁に
バツイチ子持ちだとカミングアウト
された。

正直戸惑った

けども、僕はそれを受け入れた。

ここで下がるようじゃあ男じゃない!!
と思ったし

「そんな事は関係ない!!」
と言った。 

元嫁は
「嬉しい…」と
喜んでくれた。

いつものように電話をしている時、
会話の流れでデートに誘った

快くOKをもらえた
(おっしゃぁぁぁぁ!!)

って

また、内心舞い上がっていた。
(この時点でもう僕は元嫁のことが好きに
なっていたと思う。)

そして、デート当日

プライベートで会うの初めてだ。
めっちゃ気合いが入った。
僕が出来る最上級のオシャレをした。

とても、緊張したのを覚えている

けど、すぐに緊張は解け
時間も忘れるくらい、お互いの事を話した

いい時間になり、途中まで送る事になった。
その道中、僕は告白した。

1回目のデートでいきなりかよ、、
ってツッコミが入りそうだが、

高まる想いを抑えれなかった。
子連れと付き合う覚悟もその時決めていた。

半端な気持ちじゃ絶対だめだ。
真剣に向き合う
僕は決めていた。
、、、

、、、

断られるやろなー
と思ったが

返事は二つ返事のOKだった!

またまた、僕は舞い上がった。

デート一回目で付き合うこととなった

そこから、空いている時間は全て元嫁に捧げた。
休みの日、仕事終わり
時間があれば、会いに行った。

当時
僕の美容師としての給料は安かった。

けど、かっこつけるために
お金は全部出した。 

金銭的に無理してデートを重ね
お互いの中を少しづつ深めていった

同棲と喧嘩

何回かのデートの後に、
元嫁の子供に初めてあった(2歳、男の子)

家の近くの公園で遊んだ。
人懐っこく、僕に直ぐに心を開いてくれた。
とても可愛かったし
改めて、真剣に向き合おう!と心に誓った。

ただ、この時から元嫁の
価値観に違和感を感じていたんだけど
相手を好きという感情が、冷静さを欠く判断をしたと
振り返れば思うところはあった。


そこから数ヶ月で同棲を開始した。
このころから、徐々に価値観の違いが
浮き彫りになっていく。

例えば、自転車を一緒に並走している時に
僕が前にいくだけで、なぜかキレられたり

子供に対する、心無い発言が目立っていたので
注意したら、逆ギレされたり、、、

と、小さな事から大きい所まで違和感で

ん?

んん?

と思う事が多々あったが、できるだけ我慢するようにしていた。
できるだけ、喧嘩はしたく無いと思っていた。

と同時に、心のどこかで、この先大丈夫か?
とも思っていた。

そんなある日、
いつものようににキレられた、、、
理不尽に感じた、

このままでいいのか?

あかんやろ!?

そう思って、僕は反論をした。

そして
僕は我慢することを辞めた。

が向こうは根っからの戦闘民族で
キレられたら、キレ返す。

お互いに戦闘体制状態だと、激しくぶつかり衝突した。

そう、この日から、ケンカに明け暮れる日々が続くのだ。

特に、僕の仕事の事でどうしても女性と接することが多いのだが
そこに対して、無理難題な事を要求してきたり
不機嫌になったりと大変だった。

どうにか、こうにか理解してもらおうと必死だった。
スマホも、どうぞご自由に見てください。
状態にしても
なぜか、疑われる。

一切、安心してくれなかった。

いつも僕は「一生懸命仕事しているのにどうしてキレられなきゃいけないんだ」

とストレスが溜まっていた。

それでも一緒にいる時間は楽しかったし、
好きだったし
何より、元嫁の子供を愛そうと努力した。

元嫁は、いつ僕が結婚をしてくれるのかが不安だったんだと思う。

事あるごとに「いつ、結婚してくれるのか?」を聞いてきた。


僕は付き合って一年で結婚する!
と公言していた。

元嫁を安心させたかったし
僕も、そこはちゃんとしたかったので明確に伝えていた。

がしかし疑われる。

約束を破ったり、信頼を落とすような行為は一切していなかったから、

内心、「なんでやねん!!」と思っていた

根気よく思いを伝えた。

何度も何度も…

喧嘩を繰り返しながら…

結婚と妊娠

そんな日々が続き、
とうとう付き合って1年が経った。

日付が変わる深夜12時に
僕は約束通りにプロポーズした。

元嫁は喜んでいた。

次の日

朝から市役所に行き、婚姻届を提出した。

僕自身、迷いがなかったわけじゃなかったけど
それでも、いままで以上に二人を大切にし
守っていこうと、心に誓った。

この日僕は結婚した。


と、その一週間後くらいにに、
元嫁から妊娠した事を告げられる。

この時、びっくりした。
何故かというと、日頃元嫁は
「妊娠しにくい体だと」言っていた。

産婦人科でも言われていたのを、聞いていたので
困惑した。

が、シンプルに子供ができた事は嬉しかった。

でも不安があった。

そう、僕たち2人には、お金に余裕がなかった。


でも、授かった命を大事にしたいと思ったので
なんとかするぜーーー!!
と、決意を固めた。

そんな僕の決意とは裏腹に、
元嫁は、浪費癖があり
自分たちの収入以上の支出をしようとする。

あまり、生活水準を下げたくなかったみたいだが、
そこは、なんとか説得をして、しぶしぶ了承してくれた。
それでも、僕の知らないところで、浪費を続けていた。

お金の余裕のなかった僕らは
金銭の価値観で揉めた。

僕は、なんとか
元嫁の、常識的価値観や金銭感覚を
通常値にしようと必死に伝えていった。

元嫁も自分が間違っている事、僕が真っ当な事を
言っていることは分かっていた。

ただ、心がついていかない。
そんな事を良く言っていた。

元嫁が間違っている、俺が正しい

僕はそう思い込み、元嫁を変えれると本気で信じていた。

、、、

、、、

そして

子供出産。

出産を立会う事ができた。

出産時間は1時間とあっというまで
ただ、僕は横にいてあげるだけしかできなかったけど
感動したし、命懸けで出産してくれた
元嫁には今でも感謝しかない。


度重なる戦いの日々

退院後、4人での新生活がスタート

産まれた後、喧嘩は落ち着くのか?とも
思ったが、そんな事はなかった。
事あるごとに喧嘩した。

ある時はエスカレートしすぎて、
包丁を突きつけられた事もあった。

子供達も両親の異常な空気感を察し
泣いていた。

でも僕らは止まれなかった、、、、
こっちもアドレナリンが出まくっているので
「やってみろやぁぁぁぁぁ!」と
叫びまくっていた。

今思うと、カオスでしか無い。

僕も元嫁も二人が作り出してしまった
異常な世界が当たり前になり
歯止めが効かなくなっていた。

僕の中では、手を出してはいけないと思っていたので
それだけは必死に守っていた。

が、故にどんどんストレスが溜まるわけで
結果、家にある物を力一杯、殴りつける

もう、めちゃくちゃだった。

年間でいえば、小競り合いを含めると
300回くらいは喧嘩していたと思う

今でも当時の感情が残っているのだが、

家の玄関の扉を開けたくなかった。
今日はどんな理由で喧嘩になるんだろう、、、
そう思うと、扉がとても重く感じた

この当時、狭い1LDKのハイツに住んでいたのだが

ご近所様には大変迷惑をかけてしまった。
今思うと、よく通報されなかったなと、、、

それでも4人でなんとか暮らしていた。
いろいろあったが、仲が良かった時は
楽しかったし
子供達の笑顔をみる度に幸せを感じれた。

この時がまだ一番幸せだったかもしれない。


ある日、マンションの広告のチラシ
を元嫁が見つけた。

4人で暮らすには狭い家だったのは
事実で、引越しした方がいい。

元嫁は引越ししたいと言ってきた。
その気持ちもわかるが、
我が家には、引越しをするだけの
金銭的な余裕もなかったので、

はじめは現実問題、無理と僕は言っていた。

しかし、元嫁は欲しいものは
何が何でも手に入れたい性格だったので
子供がダダをこねるようにゴリ押ししてくる

そのゴリ押しに負けた僕は
とりあえず、内覧だけに行くと
約束してしまった。

内覧に行くと、不動産の方も
流石はプロ。
僕たちへ理想の未来像を上手く提示してきて

僕自身も気持ちが高まり、
これから、じゃんじゃん
仕事を頑張り稼げば、何とかなるだろう
という気持ちになった

後先考えず、元嫁の猛烈プッシュもあり勢いで
マンションの購入する話しを進める
事になった。

でも、なんせ僕らにはお金は無かった。

ローンを組むために僕の年収だけでは
通らなかった。

元嫁も働いていたのだが、カードの
支払いが遅れたりしていたようで、
多分ブラックリストに載ってたんだと思う
審査が通らなかった。

仕方なく僕の父の名義借り
ローンを共同名義にし
なんとかギリギリ通った。

ここから

引越しの準備やら新居の準備
市役所での手続きなど
慌しかった。

その間も、喧嘩は絶えなかったけど
もはや、日常と化していた我が家
それが通常運転だった。

そしてなんとか無事引越しが完了。

新生活

新しい環境になり、
これから更に気合い入れて
仕事がんばるぜぇーー!
と僕は意気込んでいた。

しかし新しい環境になったからと
言って、価値観や金銭感覚の違いが
変わったわけでもなかったので
引き続き喧嘩の日々は続くわけで…

当時は仕事も家の事もめっちゃ
頑張った。 

何よりこのお金が無い生活を
一刻も早く脱したかった思いで働いた。
クタクタになりながら
帰っても、掃除や洗濯、お風呂洗い
夕食の片付けなど、出来る限りやった。

けど、元嫁は仕事で頑張る事に
否定的だった。

何で早く帰ってこれないのか?
土日が何で休みじゃないのか?
何でスタイルモデル(女性)と連絡をとるのか?
何で仕事中連絡を返してこないのか?

細かく言えばキリがないくらい、
小声のようにずっと言われてた。

僕はどうにか理解してもらおうと
常々、説明していたし、気を遣っていた。

けど、僕の中ではずっと
「なんで頑張っているのに文句を言われないと
いけないんだ?」と
ずっとあった。

何で理解してくれないんだ?
何で応援してくれないんだ?

言っている事は結婚する前から
わかってたじゃないか?

次第に仕事の事を説明するのも
しんどくなり、元嫁がその事に
ふれると僕は怒るようになっていってしまった…


仕事や子供の事
価値観の違い
金銭的、価値観の違い
行き過ぎた束縛

来る日も来る日も
話し合いと喧嘩の日々

僕はいつしか疲れていた。
多分精神的にもずっと張り詰めいた。

元嫁は何をするにも一緒でないとダメな人だった
僕が一人になる時間を許してくれなかった。

そう、、、元嫁は典型的依存方だった。

依存がされる事に嫌気がさしていた僕は
気持ちは常に自由を求めていた。

それでも家族が大事だった。
元嫁も子供たちも
これからもちゃんと守っていきたかったし
何より愛してた。

人から見たら
異常な生活だが、根底に気持ちがあったらから
続けれたんだと思う。


不穏な変化



新生活が始まり、春が過ぎ
夏も終わろうとする時期に

元嫁はSNSで昔喧嘩別れした女友達と
何のきっかけかはわからないが
連絡を取るようになった。

その時は僕自身、なんとも思わなかった。

友達の事を話ししているのは
楽しそうだったし、いい傾向に思えた。

そして、久しぶりに会うようになったみたいで
元嫁は楽しそうだった。

初めは週一回だった会う頻度が

次第に頻度が上がっていく。
恐らく、毎日のように会うようになって
遊びに行くのも増えていった。

僕も何度か元嫁の友人と
挨拶はさせてもらった。

僕自身、内心、依存先が分散されて
お互い楽になり喧嘩も減っていき
上手くいくと思った。

この時は元嫁の友達に感謝したくらいだった。

が、しかし

元嫁は
帰る時間がだんだん遅くなっていった。
子供達は元嫁の実家に預けて
遊びに行っていたようだ。

徐々に変化する日常が秋ごろまで続いた

僕自身もなんとなく違和感を感じ始めたのは
この頃だった。

崩壊の始まり


そんなある日、元嫁は突然

「好きじゃないかも」と言ってきた。

僕は最初は「また言ってるわ」って内心思った。

何故なら、元嫁は喧嘩をする度に
このフレーズをすぐに言っていた。
常套句のようなものだった。

でも、この日はいつもと雰囲気が
違う気がした。

本気なのか? 

でも、意味が分からなかった。

怒りのような気持ちも込み上げた。

家族の事を一番に行動してきた。
お金も時間も。
元嫁の束縛にも説明して付き合ってきたし
自分自身、何かやましい事を
やった覚えもない

元嫁のその一言は
本当に自分勝手だ!

と思ったし

恋人と別れるような軽い気持ちで
結婚生活を終わらすのか?


とも思った。

と同時にショックだったし、
辛かった。



その日なんとか話し合いを続けて
子供達の事、将来な事を考え、説得し
家族としての型は保った。

しこりがあるような終わり方だったが

次の日からまた
変わらない日常が続いていった。


それでも以前とどこか違う感じがしていた。

新年

年が明けた。

ここからが、怒涛のような展開になっていく。

元嫁はこの頃からひつこいくらい
仕事から何時に帰ってくるのか?
を聞いてきた。

違和感も覚えつつも、以前から
過度に連絡するタイプだったので
そんなもんか、とも思った。

ある日仕事から家帰ってくると
見知らぬ男性用のキャップが洗濯機の上に…

元嫁曰く、友達の旦那さんの
忘れ物だと言った

また違うある日、元嫁が外出中に
部屋の掃除をしていると、
僕のものでは無い男性用の部屋着が出てきた。

元嫁が帰宅した時に

問い詰めると、友達のいとこのものだと言う。
にわかに信じ難い。

何故に我が家に部屋着がある必要があるか?

僕は連絡して確認させろ!

と言った。

元嫁は頑なに拒否した

「やましい事なんて何もないし
信じて欲しい」

と、元嫁は言った。

埒があかなかったが
僕は元嫁の言葉を信じる事にした。

それから数日後

いつものように友達と遊びに出かけていた
元嫁が帰宅。

その腕には、我が家では到底買えないような
数十万はする高級腕時計をしていた。

僕は目を疑った。

元嫁いわく、
部屋着を忘れていた、いとこからの
誕生日プレゼントだそうだ。

意味が分からなかった。

更に子供たちには
おもちゃやゲーム機のプレゼント

どこぞのサンタやねん!!!!

普通に考えて、恋人でもないのに
そんな高額なものをプレゼントするのも
おかしいしと思った。

元嫁いわく、その従兄弟は
とてもお金持ちで、周りの友人みんなに
同じ事をしている。

だそうだ

僕は、それについて異常だと思った
と同時に

自分がしてあげれない事をされていて
悔しかった…

自分の不甲斐なさが情けなかった

そして嫌な気しか起きなかった。

何も本心を言えなかった。

僕が元嫁にプレゼントしたのは
1万くらいのスニーカーだった…



そして、少し時間ぎ経ち
元嫁は相変わらず、遊びを繰り返していた。

家の事や子供達の事は
最低限やっくれていたが
以前のように家の中に気持ちがないように
思えた。

そんなある日、

ここから、悪夢のような一ヶ月が始まる。

怒涛の展開


僕が外部の仕事で遅くなる日があった。
その事を元嫁に事前に伝えた。

元嫁もそれに合わせて、友達と遊びに
いくとの事。

僕が帰る頃には帰ってくるとの事だった。

長男は元嫁の実家に泊まりに行くようで
次男を連れて遊びにいくようだった。

外部の仕事が終わり帰路に着く前に
元嫁にLINEした。

返信は、元嫁もまだ帰ってないらしく
帰るのは僕と同じくらいになりそうだと
の事だった。

帰宅後

元嫁と次男はまだ帰ってきていなかった。

とりあえずLINEで連絡してみる。
返信がなかった。

しばらくしても、なかった

僕も何かあったのか?
と心配になってきて
電話をしてみる。

出ない

しばらくして

LINEで返事返ってきた。

後30分で帰ってくるとの事だった。

しかし

待てど帰ってこなかった。

再度連絡してみた。

LINEからの返信で
もうちょっとで帰ってくるとの事。

けど、帰って来なかった。

時刻は12時を回り
日が変わる。

心配もしたし、何かトラブルでもあったのか?
けど、連絡しても断続的な返信で
状況が掴めなかった。

僕もこの状況にだんだんイライラしてきた。


気分を落ち着かせようと
外にタバコを吸いにいく事にした。

まだ寒い2月末だった
ジャンパーを羽織り外に出る。

僕らの住んでいたのは4階だった。
マンションの廊下からは下の道路も
見える位置だった。

その廊下から道路を見ると
以前にも見た気がする
スモークを貼ったハイエースが
停車していた。

なんとなく、気になりながらも
タバコを吸いながらぶらぶら外を歩いた。

タバコを吸い終わったので
家に帰ろうと思ったが

やっぱり、
停車しているハイエースが気になった。

ハイエースの方面に歩いてみた

するとそこには 

元嫁の自転車が止まっていた。

どうゆうこと⁇
僕の中では⁇がいっぱいだった。

もしかしたら、このまま帰ったほうが
良かったのかもしれない

けど僕は

意を決して

車に声をかけにいった。

運転席の窓をノックした

運転席の男性が対応した。 
「何ですか?」

僕は事情を説明した。

男性も困惑気味で
「失礼ですが、奥さんの名前は?」

僕は元嫁の名前を伝えた。

すると…

男性は
「どうゆう、事やねん!!!!」
と強い口調を後部座席に投げかけた

そこには

元嫁、後部席に座っていた
その横にはチャイルドシートで寝ている
次男もいた。

僕は頭が一瞬、真っ白になった…

けど、すぐに状況を理解した

今までの事が
全部繋がった…


元嫁は焦るような口調で
「違うねん.聞いて」

運転席の男性
は激怒しまくっていた。

元嫁は男性に言い訳をしつつも
僕に怒りだした。
「なんでくるん!なんで壊すような事するん!」
と何度も言ってきた。

当然、僕も感情的になり
怒りまくり

「そんなの知るか!」
「おまえが悪いんじゃ!」

その場が本当にカオス状態になった

この時だが

不思議と男性に怒りは出なかった。

もしろ、この人も騙されていたんだな…

男性も僕にはかなり
配慮するような、気配りをみせていた。

30分くらいその状況が続いた

修羅場だった。

僕はこのままじゃだめだと思った。

後部座席に寝ている次男を
この状況に置いて置くわけにはいかないと
思った。

二人が口論をしてるのをよそに

僕は後部座席から次男を抱き抱え

元嫁と男性に

このまま僕の実家に帰る。
と言いい

後にした

元嫁はそんな事よりも

男性への言い訳を必死にしていた。

僕は内心、子供より、男かよ

って思い、悲しくなった。

急いでマンションに戻り
オムツとおしり拭き
ビニール袋と最低限の物をカバンに詰めて
外に出た。

幸いすぐにタクシーが捕まった。 

タクシーの中で、一気に
現実が襲ってきて、絶望した

そして

怖かった、何がどうなるか分からなかった。

逃げるように実家に帰った。

時刻は午前2時半

実家に帰ると

たまたま、姉と小学生の甥っ子が
泊まりにきていた。

当然寝ている時間だった

父も母も

申し訳ない気持ちを抑えつつ
姉を起こして
端的に事情を説明した。

恐らく、このまま離婚しそうな事
そうなると、
子供の事で揉めるであろう事。

そして、姉に
また、自宅に戻り話しをつけてくる必要がある事

その間
子供を守って欲しいとお願いし、

実家を後にした。

そこから、またタクシーを探し
マンションに戻った。

もう朝方になっていた。

元嫁も男性も流石にもう
いないと思っていたが

まだ車があった。

様子を見に行ってみる。

後部座席にはうつむいた
元嫁がいた。

現状確認のため男性と話しをした
とりあえず電話番号を交換した。

お互いに被害者の意識だったのか
話しは妙にスムーズだった

まだ、もう少し元嫁と男性は話すようだ。
どうやら元嫁が後部座席から降りずに
帰りたがらないようだった。

僕はとりあえず自宅のマンションに帰った。

1時間くらいすると

元嫁が帰ってきた、
憔悴しきっていた。


男性とは関係が切れたと言った。
すがるように、許しをこうように
僕に言い寄ってきた。


当然、許せるわけもなく僕は

「もう終わりだ!」

と突き放した。

仕事の時間が差し迫ってきた。


とりあえずシャワーを浴び仕事に行った。

職場では何もなかったような素振りした。

お客様の接客もしていない時

スタッフと話しをしていない時

涙が溢れてそうだった。

辛かった。

ギリギリだった。

堪えるのが精一杯だった。

仕事中
元嫁と元嫁の母から
LINEが来ていた。

仕事が終わったら、
話しがしたい。
そして子供を戻して欲しい
という内容だった。

その内容に
ムカついた。
話す事もないし、子供を戻して欲しいと
どの口が言えたものか?
と思った。

けど、話し合いはいずれにせよ
避けては通れないので、

話し合いに応じる事を了承した。

なんとか仕事を終えた。

家に帰ると

元嫁と元嫁母がいた
内容はLINEと一緒だった。

初め謝罪の言葉と
子供を返して欲しいと言ってきた。


僕は無理だと言った。
普段での私生活や不貞行為のこと
何より、子供より男を優先した行為。

元嫁の信頼は地についている。

「愛する子供を、信頼出来ない人間には
任せられない」と言った。

この時の話し合いのほとんどで
元嫁はうつむいたままだった。

内容は元嫁母と話ししていた。

話しは平行線になり

とりあえず3人で
僕の実家に行く流れになった。

タクシーの中は無言だった。

実家到着

夜になっていた。

僕の父、母も含めて
話し合いをした。

元嫁は最初に謝っていたが
その後は終始黙ってうつむいていた。

元嫁母も、感情的になりながらも
謝っていた。

僕も感情的になり、
子供を任せられない主張をした。

母は冷静で、中立の立場を取り
どっちの肩入れもせずに
話しを整理する役割を担ってくれた。

父は以前から体がずっと悪かった。
長時間座るのも辛かったと思う。
それでも参加してくれた

一言 「子供が可愛そうだと…」

結局二人の問題だからと
その場は結論のないまま解散した。

僕らは家路についた

もう遅かった
その日は一旦休む事にした。

この間、一睡もせずだったが

寝てもすぐに起きてしまう。
身体は休めても、心は休まらなかった。

話し合い

次の日も
また仕事だった。
今、我が家で起きている現状を
社長に打ち明けた。
親身になり一緒に考えてくれた。

こうゆう時の人の優しさは
すごく沁みる

僕は気づいたら泣いていた。

当時のお店は
夜営業後にレッスンがあった。
当面の間はこのレッスンを休ませて
もらう事にした。

他のスタッフには
社長が上手く言って
フォローしてくれた。

その日も自宅にすぐ帰り
僕らは話し合った。

この時には元嫁への怒りは
僕自身は大分収まっていた。

僕の主張は

とにかく家族の形を守りたかった

あんな事をした元嫁だけど
やっぱり好きだったし一緒にいたいと思っていた

カッコ悪いって思われるかもしれないが
僕の本心はこれだった。

話しあいがスタートした。

元嫁は土下座してきて謝罪きた。

不貞行為した事
今まで、自分勝手だった事
ウソばかりついていた事
僕を傷つけてしまった事。

ただ、こんな状態や気持ちでは
一緒にいれない…
が元嫁の言っている事だった。


離婚して欲しいと


でも子供は任せて欲しい。

心を入れ替えるからと。

これが元嫁の主張だった。

僕はこの主張を受け入れ事は
出来なかった。

離婚するにしても、
信頼が出来ないのに、子供を託す事は
出来ない。

僕は拒否した

話しは折り合いがつかず
平行線だった。

僕は期限を設ける提案をした。
この2.3日で離婚を決めるのも
早すぎると思ったし、
何より子供達の事を考えないといけなかった。

最終ジャッジをする日を決めた。

この日から約三週間後だった。

子供はもう寝ている時間だった
話し合いが終わると元嫁は
友達の家に行くと言い、出ていった。

僕はこれからどうしたらいいか?
を一晩中考えた。

結論なんかは出るわけもなかったが
自分のやるべき事は整理できた。

家族の形を継続するために
どんな事ができるのか?

仮に離婚になった場合を想定して
親権を取りにいくためには
どうすればいいか?

この日から
最終ジャッジの日まで

いろいろやった。

調べているうちに、

仮に裁判になった場合、女性側に
離婚理由があったとしても、
子供が幼ければ幼いほど、親権は
女性側にいく事がほとんどだという
過去の判例。

親権を仮に争った場合、僕は負ける。

現実に絶望した…

その事を踏まえた上で、休みの日に
行政書士の方に相談に行った。

アドバイスは、裁判無しの
協議離婚だったとしたら、
公正証書を作り親権や
子供に会える事をしっかり作りこんだ
方がいい事。

親身になり相談に乗ってくれた。
ありがたかった。

帰宅後、僕は
この先の事を考えるとお金がいるな
と思い、スマホのアプリから
銀行残高を確認した。

50万くらいは入っていると思っていた。

「なんでやねん!!」

残金、5000円だった。

元嫁にすぐに連絡し
事実確認をした。

元嫁いわく、全て
生活費に使ったという。

そんな贅沢をした生活ではなかったので
2ヶ月前はあったお金が
こんなに減るのはおかしい。

が元嫁は生活費の一点張りだった。

今となっては後の祭りだった。

頼りにしていた、お金も無くなり
どうしようもなかったのてま
安易だったが、消費者金融で借り
当面のお金を凌ぐ事にした。

その後も

同じような話しあいをしたりした。

次第に元嫁の主張は激しくなっていった。
些細な事でキレられたり。

元嫁は、
「結婚するんじゃなかった」
とも言ってきた。

僕は元嫁や家族に対して
精一杯やってきたと胸を張って言える
自負があったので、
ストレートに言われるその言葉は
深く胸に刺さる気持ちになり

僕は何も言えなかった。

その後、元嫁は友達のところに出かけていった。
子供達は寝ていた。

僕は自宅のソファーで
声を出しながら泣いた。



違う日に、

家族の形をなんとか守るため、
そして、自分にも元嫁に不貞行為を
させてしまった一因はあると思っていたので

元嫁への気持ちや子供達への想い。
長文のLINEにして送ったりした。

既読だけはついた。

それについては特に返信はなかった。


この時は精神的にきつかった

食事が喉を通らなかった。

あの時、はタバコとエナジードリンクで
生きていた。

もともと痩せ型の自分が
さらに痩せた。

職場の回りも心配されるくらいの変化だった。

みんな事情を知っていたのか、察してくれたのかは分からないが、
食事を黙って差し入れてくれたりした。

その都度、涙を堪えるので必死だった。

そんな僕に社長が
僕にしかわからない内容で
ブログを書いてくれて。
励ましてくれた。

一人自宅のトイレで泣いた。


ある日の話し合い

親権の事についてだ。

元嫁は
「長男か次男だったらどっちがいいか?」
を聞いてきた。


「そんなの決めれない。」と言った

元嫁
「じゃあ長男を渡す」


「だから、決められないって!」

でも…

最低かもしれないが、本心は
血のつながりのある次男を
そうなった場合、取りたい。
とも思った…


愛情の差は僕の心の
潜在意識にはあった。

元嫁はその事を分かっていたから
この質問をしてきたんだと思う。


最終ジャッジ

そして

いよいよ最終ジャッジの日。

いちるの望みをかけてなんとかと
思っていた。
僕としては、やっぱり家族の形を
なんとか保ち修復したいのが1番だった。

でも今までの流れ的に
厳しいとはわかっていた。

裁判になるかもしれないとも思っていたので
下調べもしていたし

親権と監護権を分ける案も考えていた。

協議離婚になり、親権が取れなかった場合でも
子供達に会えるように
公正証書を作る事

やはり元嫁の主張は変わらずだった。

でも、僕も親権だけは最低限
絶対に死守する。

そんな気持ちだった。

子供を信用できない元嫁に任せる事は
できない。

また、話しは平行線だった。

でも、ここで元嫁が折れた

「次男の親権は渡す」

僕は正直びっくりした。

兄弟分離という選択…

子供達の事を考えると…

しかし、ここが妥協点だと
思った。

ここで、僕の主張を通そうとしても
裁判になって、泥沼化していく
だけだと。


そして、元嫁は捨て台詞かのように
もう二度と次男に会わないと…

今思えば、元嫁は離婚を急いで
いたんだと思う。

後にこの出来事が、点と点でつながり線に
なるのだが、それはまだ先の話し。

元嫁は今日中に離婚届を出したいと
言ってきた。

準備していたようだった。

急かされように離婚届けの記入した。

保証人の名前を書いてもらうため
各自知り合いのところに行った。

その後

市役所に、僕と元嫁と次男で行った。
長男は元嫁の実家にいた。

市役所に着き、書類を提出

離婚届けが受理された

あっけなく、僕らの結婚生活は終わりを迎えた。



一応そのまま自宅まで一緒に帰る雰囲気だった。

次男は歩きたがっていたので
市役所から自宅までは帰るのに時間が掛かった。

元嫁は先々と歩いて行った。

10メートルくらいの差で 
僕と次男は遅れていた。

自宅マンションの前に元嫁の友達の
車があった。

元嫁はその車に乗り消えて行った。

この光景を見た僕は

全て終わったんだ…

と思いながら、まだ物心がつかない次男を
ギュッと抱きしめた。

不思議と今まで沈み切っていた
気持ちが上向きになった。

失ったものも大きいが
これからは前に進むための事ができる

痩せたままだったが、
やるしかないと、気持ちが前向きに変わっていた


この日、僕はシングルファザーになった。




最後までご覧頂きありがとうございました。


この内容はあくまで、僕視点の
話しです。きっと元嫁視点だと違った
ニュアンスがあると思います。

僕にも至らない点も多々あったと思います。

・子供達への愛情の差
・甲斐性がなかった事
・正論ばかりぶつけていた事
・元嫁の気持ちに寄り添えなかった事

僕が悪いとか、元嫁が悪いとか
そんな話しをしたかったのではなく、

離婚の話しの時、僕も相当
精神的にきつかったです。

そんな時に支えてになってくれたのが
家族や友人、スタッフのみんなだった。

そして

やましーさんのブログで
励まされた経験があります。

僕の離婚の話しが、誰かの励ましや
前向きになるきっかけになると
嬉しいです。

人生山あり谷ありです。

では

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