りんどう

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自分の価値は自分で受け入れて決める、それが難しい

自分に集中しようとすると親の声が頭をよぎる あなた自身の価値はあなたが決め信じるものじゃないと、脅迫的に訴えられている感じがする。 だから自分の中になにもないことを認めようにもそれさえも許されない感じがする。 ただひとりになるのが怖いのかもしれない。 馬鹿にされ評価されることが親とのつながりだったから、それさえも愛情として受け取ってきたから。 自分を自分で受け入れることに対してジャッジされているような、バカにされているような、そしてその答え合わせを自分も自分でしようとすること

    • 自分を受け入れることへの抵抗

      ずっと母親と表面下では争っていがみ合って生きてきた。だからバカにされないこと、母親に何も言わせないこと、拒絶すること、それに必死で命をかけてきた。 でも母親に対して争っているという自分の中の敵対心を察知されることは屈辱的だった。 なぜなら自分も自信がないのに、そうやって親と張り合うことで自分という存在を隠せるということに必死に生きている自分を見透かされることだから。 また親と張り合うなんて馬鹿らしい、母親も自分の自信のなさには気づいてるから、そんなレベルの人に負けたくないって

      • 感情を自分の中で受け入れることは自分という存在を確立すること

        過去の自分の投稿を見て私は母親に罪を返したかったんだなと思った。自分を責めてしまうことに耐えられなくて必死に誰かを責めることでその気持を消そうとしていたと思う。そしてそれに対する罪悪感を消したかった。罪悪感は持っていられないほど自分を責める、自分が受け入れられないということに耐えられなかったと思う。 どこかで自分の問題と思っていながら、誰かに責任を投げつけないと自分の問題に向き合えないと感じていたのだろうか。 自分が悪くないということを必死に言い聞かせたかったのかもしれない。

        • 自分の心はいつも臨戦態勢

          自分はどうしても安心したかった。死ぬほど心を開放して警戒心なしに生きたかった。自分の心は常に24時間張りつめている、何かを発動させ常にファイティングポーズを取って構えている、自分の中に何も無い事を見ないようにするためなのか、自分の感情が持っていかれるような気がして怖いんだろうか。わからないけど、警戒心がない心の状態を知らない。 自分が存在していい、そんな事も考えないくらい子供らしく自由に安心して生きたかった。でもその感覚がわからない、持ったことがないから。 でもそれが死ぬほど

        自分の価値は自分で受け入れて決める、それが難しい

          本当の気持ち感情を今も見ないように生きている

          私は自意識過剰だし、母親のことを気にしすぎて生きてきたことは自己嫌悪に苛まれる最大の要因でした。というか今もそうです。それは自分の責任で誰のせいにするつもりもありません、でも本当は親の責任もあることはわかっている。でもそうしてそこに甘んじる自分が一番許せないし自立してない惨めな自分を感じることが本当に自分の存在価値をなくす感覚だからです。 でもそうして自分を卑下することで私はずっと安心感を得ていました。 自分がみっともなくて情けなくてずるくて嫌な人間だということを自分で思い

          本当の気持ち感情を今も見ないように生きている

          気持ち悪い、それしかない母親に対する感覚

          私はずっとこの母親に対する感覚が、自分を苦しめてきました。 物心ついたときから気持ち悪いという感覚はずっとありました。他人が自分を扱っているような、謎の距離感と、母親の全く本物じゃない表情、人間味のない表情、なにかいつも誰かの仮面をくっつけて妙に笑ったり、自分の機嫌をとろうとしたり、近づいてきたり、こちらの表情を伺ってきたり、 その母親の表情や扱いが本当に自分を混乱させていた。 でも小さい自分にはそれがおかしいなんて思わなかった。不快ではあったけど、母親がいつも仮面を被ってい

          気持ち悪い、それしかない母親に対する感覚

          今考えると自分は死ぬほど生きるのが辛かった

          どれだけあなたに怯えていたか 幼稚園の頃からの自分の生き方を振り返る 常に評価され馬鹿にされて、自分は弱々しかったから、それを見せたら母親をがっかりさせパニックにさせる、私をだめな人間だと見られる、そうやって私がができないと残念がったりめんどくさがったりされた、その母親の表情が怖くて嫌でたまらなかった それは子供の私にはあまりにも処理のできない感覚になった 私はあの人の前でできない子でいると弱々しい子でいると、嫌われて馬鹿にされる、だめな人間だとがっかりされる、そんな恐怖

          今考えると自分は死ぬほど生きるのが辛かった

          今も母親を責めるのが虚しくて辛い

          本当は責めたくない、そういう気持ちがふつふつと自分を追い詰める、 母親は悪気があってあのような態度をとっていなかったんじゃないか、あのような扱い方しかできなかったのではないか、 そもそも感情というものが受け付けないから、子どもなんてどう接すればいいかわからなかったんだと思う。 そういう気持ちがいつも、自分を苦しめた。それに気づいているわけではなかったけど、母親を悪い、母親が苦しいと思えなかったのは、そんな母親のみかたでいることでしか、自分の存在を自分に納得させる方法がなかった

          今も母親を責めるのが虚しくて辛い

          現実に向き合えない私

          私は今は約9年間ほど現実を放棄しています これは本当です、普通に腐っているというより、現実感がないんです ある時からずっと、自分の最後の一欠片が失われて、 その出来事がその当時自分の中で処理できず、そのトラウマから、今もなお、その当時のわたしからはかけ離れているようです それは理解しています 自分の感覚がどこにもないこと、それを取り戻すと莫大な罪悪感と逃げてきた自分に対する絶望が押し寄せ対処できないのです。 その絶望を感じたくなくてずっと逃げています それしか方法がなかった、

          現実に向き合えない私

          自分を大事にする方法を教えてもらえなかった

          それでも子どもは母親のことを思い続け、自分の声に耳を傾けることなく生きてきた、自分の声なんて聞いてたらとっくに悲しみの果てに耐えられず自分の人生は終わっていたと思う。 だから母親であるあなたの機嫌を伺い、それに答えて生きることしか自分の生き方はそれしかなかった。 だから自分が、あの人から離れたら母親はパニックになり、悲しみ、言いたい放題言って、不満をぶちまける。かわいそうなふりをして。 お前が不安なだけだろ 誰かのことを本当に心配するような強さ優しさはあなたには1ミリも

          自分を大事にする方法を教えてもらえなかった

          母親に対する気持ち

          もう可愛そうな人間でいることはやめたほうがいいと思います、 子供に罪悪感しか植え付けない、 それがどれだけ苦しいことか なんでこちらが悪者みたいにされなきゃいけないのか、 なんで、こちらが苦しい思いを押し殺してあなたの味方で身を削って生きてきたのに、 こちらが離れると、あちらは被害者ぶって、いつまでもこどもが、こどもが、あ、あ、あー、心配で心配で、そんなあなたの勝手な心配を受け取らなきゃいけないんですか あなたのその心配の仕方がどれだけ子どもを不幸にさせるかわかっ

          母親に対する気持ち

          罪悪感が私を不幸にする

          私はずっと人間味のある親が欲しかった、自分の意志が伝わる、拒絶されない、受け入れないとしても伝わっていないふりをされたくなかった、 本当はどこかでは子供の意見を跳ね返すところに気づいているはずなのに、 あの人の頭の中はどうなっているんだろう、 つたえたいこと、わかってほしいこと、信じてほしいこと、たくさんあったけど、 別にそんな大したことじゃない、ささいなこと、重く受け止めてほしいとかじゃない、 ただ伝わってないような感じでスルーされ、子供の意見が間違っている、子供だから、頭

          罪悪感が私を不幸にする