独り言

※子どもの考え、または中2男子の妄想と思われるかもしれないので、読む場合はそのつもりで読んで欲しい。

神が死んで久しい人類は自身の行動指針を自身で定めなくてはならなくなった。
絶対的な価値観が消えて人々は思想の自由を手に入れた。

また、社会はさらに人々に平等な人権を与えた。
今日において程度の差こそあれ、世界のあらゆる国で人権が認められていない人は少数派となった。

人々はついに思想の自由と生きる権利を勝ち得たと言っていい。

そしてこの何にも束縛されない自由こそが人の求める最上のものだと多くの人々が思ったに違いない。
それだけ人々は宗教に支配されてきたし、身分や格差に虐げられてきていた。

けれどそこから文明をさらに高度に発展させていった結果、人々は気づく。
俺たちは自由が欲しかった訳ではないと。

何にも束縛されないということは、何をもできる可能性があるということだ。
人々は不安になる。
私は何を思い、何をすべきなのかと。

神を殺し、何かを求めようと外へ出てみると、そこには地図も目的地も何もないただただ広大な平原がどこまでも果てしなく続いているだけなのだ。

すると人は気づく、私が欲しかったのは自由ではない、本当に欲しかったのは今ここで生きていいという確からしい実感だったんだと。

この途方もなく広い世界で自分はいったい何をすべきなのか、何がしたいのか、何に価値をおくのか。そういったこと全てが今自分が存在していいという実感に繋がっている。

人々はただ食って寝て起きてを繰り返すだけの人生なんて求めていない。かといって、何をすべきなのかが分からない人が多い。

真に自分が今の自分のままで生きていくことを肯定できるようになる為には自分が自分にとってこれしかないという人生をまっとうすることでしか満たされないのだ。

であれば人はその自分がまっとうすべき物事を見つけるしかないのか。
これもまた違うと思う。
大事なのは今この瞬間に自分の周りのすべてのことを受け入れてこれしかないと実感することだ。

これは本当に難しい。ただでさえ不確かな自分が今の自分を全力で肯定し、これこそが我が人生だと言えるのは心元がないからだ。

ではどうするか。
人を愛するということなんだと思う。

誰かが誰かに無条件であなたはここにいていいと存在を認めてあげる。
これこそが人々を真の意味での生の実感を生みだしてくれるものなんだと思う。

あなたを愛してるというのは、あなたはあなたでいいということだ。
心元ない自分の確証よりも何倍も確からしく聞こえるはずだ。
ここにいていいんだと、生きていていいんだと。

“私がここに在るべき”という実感は人を自由からも解放する。


これこそが人を愛すことが人生において最上であると言われる所以であろう。

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