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【読書メモ】人間の街 ヤン・ゲール著


⚪︎どのような問題意識でこの本を書いたのか?


1960年代まで、街は人間のためにあるものだったが、都市計画家が都市を機能で分離し、交通計画家が効率的な移動を前提として道路を整備するなかで、人間が街のためにある、といったように関係が逆転してしまった。人間中心の街を取り戻したい。

⚪︎今の都市の在り方の何が問題なのか?


人間の次元の軽視、自動車交通による徒歩移動の排除、リアルな社会活動の機会消失、民主主義の阻害が挙げられる。

〇人間の次元はなぜ軽視されているのか?


自動車が普及する前の1950年代までの都市においては、徒歩空間が前提のまちづくりが行われており、必然都市に滞在する人間を意識したものとなっていた。
一方、1960年代に入り自動車が普及するにつれ、都市を評価するに際して、都市を利用する人間の身体や感覚に基づく評価基準(人間の次元)は軽視されてきた。結果、建築に際しては経済性や効率性が重視され、都市空間において金銭価値を換算しづらい人間の活動は考慮されない。
先進国や新興国に関わらず、都市の共通の特徴として、都市を利用する人間が軽視されるようになっている。障害、騒音、汚染、事故等のリスクを通じて、多くの場合、人間の尊敬が軽視される、という観点から都市を利用する人間は恥ずべき状態に晒されるようになっている。都市は空間と建物の複合体ではなく、個々の建物の寄せ集めになっている。

〇自動車交通による徒歩活動の阻害と、それに伴うリアルな社会活動の抑制とその影響は?


自動車交通が都市での徒歩移動を排除することで人間の活動を阻害するようになっている。
自動車交通は爆発的に増加しており、一部の地域では改善の取組みが見られるものの、依然として交通空間が広がり続けている。
商業やサービスの機能はまちなかではなく、自動車で立ち寄る大規模な屋内ショッピングモールで営まれるようになっている。
多くの先進国で高齢化が進む中で世代規模の縮小と単身世代は増えており、家庭外での社会的なふれあいを増やす必要性は高まっている。
今後も都市人口は増え続けるため、都市計画においては人間の次元(人間の身体や感覚に即した評価基準)を重視しなければ、人間を阻害するまちが増える一方になってしまう。
民主主義の観点からは、民間の商業施設が中心のまちになると、人々が集まる公共空間が失われれば、様々な社会集団が自己表現や主張を行う機会もまた失われることになる。

〇そのような事態に違和感を主張した人はいないのか?


都市空間のあり方に異議を訴えた先駆者が米国の記者・作家であるジェイン・ジェイコブス。1961年著のアメリカ大都市の生と死で、自動車交通と近代都市計画理論が都市の用途を分離し、各建物が孤立化することにより、都市空間ぎ人間の出会い場所として機能しなくなり、人間が都市から疎外され生気のないまちになることを指摘した。

⚪︎そのような都市の問題に対して、どのように対応する必要があるのか?


都市計画と建築においては、歩行者中心の考えに基づき、生き生きとした安全で持続可能で健康的な街をつくる都市政策が必要になる。
都市空間が本来持つ人間の出会いの機能の役割を強め、社会の持続可能性と開放的かつ民主的な社会形成に役立てる必要がある。
具体的には以下の4つの目標を立てる。
①生き生きとした街
街を歩き、自転車に乗り、滞留する人を増やし、公共空間における様々なアクティビティを促す。
②安全な街
人間が街を動き回り滞留できるようになれば、街路に対する住民の関心が高まり街の出来事への関与が強まるため、街に滞在する人間の安心感を高める。
③持続可能な街
自動車ではなく徒歩、自転車、公共交通機関といったグリーンモビリティが移動手段になれば、自動車の排ガス削減、化石資源消費の抑制、騒音の抑制を通じた環境負荷の低減に貢献する。
④健康的な街
徒歩と自転車が日常生活に組み入れられれば、都市を利用する人の健康増進に貢献する。
人間の次元に基づく都市政策に必要な投資費用は自動車のための道路基盤整備等と比べて少額で済むため、どのような都市でも取り組むことができるもの。
人間の次元に配慮した、よりよい都市空間を整備すれば、気候文化の違いに関わらず、都市空間における人間の活動が増加する。

⚪︎歩行空間が都市のアクティビティに与える影響はどのようなものか?


歩行には歩行以上の意味合いがあり、あらゆる都市活動の出発点となるもの。歩行空間を整備すれば歩行量が増えるだけではなく、良好な歩行機会を設けることで、人々の交流や活動の機会もまた増える。
都市空間における活動、都市アクティビティには必要性の度合いに応じた分類(必要活動、任意活動、社会活動)がある。
一つは全ての条件で発生する必要活動であり、通勤通学等、必要に迫られて行うもの。
一つは天候が良い、都市空間の質が高いといった条件下で起きる任意活動であり、遊歩道をそぞろ歩きする、街の眺めを見るために腰を下ろす、住宅の前に椅子を引き出し子供が遊ぶ、といった活動。
必要活動で往来する人の数が多いだけでは都市の質が高いとはいえない。
任意活動が増えることで、人と人の交流機会が増え、関係に基づく活動、社会活動が増え、都市が発展していく。
人こそ人のこよなき悦び、という言葉があるように、人は人から受ける喜びほど生きる上で大切なものはない。
ゆえに、人は人々やその活動に関する情報を求めており、そうした情報が集まる都市にまた人も集まる。
つまり、任意活動、社会活動を営む人自体が都市の最大の魅力と言える。

⚪︎人間の身体的特徴をふまえた都市空間はどうあるべきか?


人間の身体的な特徴として、①直線的かつ水平的な方向に徒歩移動する、②個人の大まかなボディランゲージを識別できるのは100メートル以内。また、顔の表情や声の調子を識別できるのは25メートル以内、③視覚は水平面が得意であり、首を動かさないとき下方は70〜80度まで観れるが、上方は50〜55度までしか見れない、④1分程度の間で知覚情報を蓄積し状況判断可能。
こうした特徴から、都市空間の設計も配慮する必要がある。
広場は一万平方メートルを超えることはなく、大半は6000〜8000平方メートルが広さの限界。
街路は前に進むもの、広場は足を止めるもの。
建物は地上からの認知は1〜2階が中心で5階までは認知できるが、それ以上は不可であり、街の一部とは言えなくなる。
移動速度が自動車になると、認識のために蓄積できる情報に限りがあるため、単純で誇張された標識や空間に設計される。結果として、車を前提としたまちづくりを行うと大雑把でローコンテクストなまちになる。

⚪︎生き生きとした街を作るためにはどうしたらよいか?


適度な密度設計、エッジの工夫が必要になる。
生き生きとした街、つまり人々が集まって活気がある適度な範囲だから人が集まってくるので、都市空間の中でアクティビティを促す場所は多くあればよい、というわけではなくある程度集中させ賑わいを演出する必要がある。
現代の多くの都市の共用空間は広すぎることが問題。何も起こらなければ何も起こらない。
単に高密度であればよい、という訳ではない(シドニーの高層ビルがひしめく中心部など)。
都市の人間による活動は滞在者数だけ多ければよいのではなく、滞在する時間も長くなければならない。ゆえに自動車ではなく徒歩で時間をかけて移動するから都市での豊かな体験が増える。
同じ歩行者数が利用する広場でも、滞留に結び付かなければ、単に通過するだけで、にぎわいにはつながらない。ゆえに、都市政策においては数ではなく滞留時間に焦点を絞らなければならない。
街と建物の境界であるエッジの在り方は、都市空間のアクティビティに大きく影響する。
人々は休む場合、決まって空間の縁であるエッジな身をおく傾向があり、この現象をエッジ効果と呼ぶ。
自動車道路や、無機質で閉鎖的、水平方向に一様で変化のないファザードが続けば人々の活動は増えない。腰掛けたり立ち止まれるような質感やディテールのあるファザードがあれば、人はそこに滞在するし、歩行体験の豊かさにもつながる。また、住宅地区の場合は、私的な前庭があると街路の活気を生み出すことができる。
あるいは、人間は4〜5秒の間隔で刺激を求めるため、100メートルの間隔に15〜20店舗が並んでいれば、適度に刺激を受けることができ、徒歩体験の豊かさにつながる。

⚪︎安全なまちをつくるにはどうしたらいいのか?


自動車が普及し街中にまで侵入するようになり、歩行者と自転車の安全が脅かされるようになった。それだけでなく、標識や安全柵、信号等徒歩移動の障害物が増え、さらには横断歩道、地下歩道、歩道橋等徒歩移動を阻害する装置も増えることになった。必要なことは明確に歩行者を優先する街路をつくる、ということ。
治安を確保するために、柵で覆われたゲーテッドシティが増えているが、それは短期的な目線の取組みにすぎない。まちのなかでの人々のアクティビティが増えれば、いわば人々が街路上の監視カメラとして機能するし、様々な社会階層の人々が混住できる開放的な社会を育てることができれば、人々がまちに滞在する安心感を醸成することができる。また、住宅がまちなかに低層であることも重要で、夕暮れの窓灯りは人がいる安心感につながる。これがシドニーのようなまちなかの住宅でも高層マンションになると機能しない。
一階に前庭やカフェがあれば、夜間であってもテーブルや草花、自転車や置き忘れた玩具などが人々の生活を身近に感じさせ、安堵感を醸成する。店舗の場合はシャッターを下ろすのではなく、グリルシャッターで中が見通せるようにするのが良い。

〇持続可能なまちを作るにはどうすればよいか?


環境的な観点からは、炭素放出量の多くが交通によるもので、徒歩と自転車による交通を増やせば、まちの持続可能性の向上に貢献する。
社会的な観点からは、貧富の格差が拡大する中にあって、まちなかという公共空間で、徒歩交通を通じて他者と平等に出会う機会を用意することは重要である。

〇健康的なまちをつくるにはどうすればよいか?


自動車交通が中心になり徒歩をする機会が少なくなる一方、所得向上で栄養摂取は増え、肥満症の人口増につながり、ひいては社会保障費増のかたちで国の財政の持続可能性にも負の影響を与えている。
各自の健康意識に任せるだけでは限界があり、日常に徒歩や自転車交通をしっかり組み入れ、運動する習慣を設けることが重要である。

〇まちづくりの4つの目標を達成するにはどうすればよいか?


歩行者交通をしたくなるまちづくりを行う必要がある。
そのためには歩行移動に配慮した都市空間を設計する必要がある。
歩行の距離は500mが許容範囲。街の広さほ半径500mの円の範囲に収めるべきだが、街の体験が豊かであれば必ずしもこれに縛られない。
歩行者空間のゆとりを設計し、子どもや高齢者でも歩けるようにする。
車が通る脇道や信号で歩行を妨げる街路を減らす。
人の目線である建物一階に狭い間口の多くの物件があれば、歩いていても飽きが来ない。
階段は抵抗感を与えるため、踊り場や代わりに斜路を用いるべき。
歩行が避けられる歩道橋や地下道はまちなかから廃止するべき。
舗装は凸凹な玉石を使ってはならない。
冬季は車道より歩行や自転車道を優先して除雪する必要がある。
街路は夜間照明をしっかり配置する。
都市の質は、歩行者の多寡ではなく、ベンチやカフェの椅子に座り、街のアクティビティを観察する、といった滞留活動の多寡で決まる。歩行者が多いというのは、ただ公共交通が発達してないから、あるいは都市機能が分散していることによるのかもしれない。
人々は足を止める時、決まって空間の縁に沿った場所を求める。これをエッジ効果と呼び、なぜこのような行動をとるかというと、①エッジに背を向けることで背後が保護されてるほか、②エッジに立っていれば1人でいることがあからさまではなくなるから、である。
といって、のっぺりした壁ではダメで、窪みや柱、設置物といったディテールがないと休みづらい。

〇まちづくりはどのような順番で行う必要があるのか?


資本主義の元では、都市全体→都市の区域→人間の目線の景観の順で検討されることになり、人間の目線の景観と人々ほアクティビティはないがしろにされる。
この観点での失敗事例がブラジルのブラジリア等、多くの新興国の地域の都市部で見られる。
そうではなく、順番は人間の目線の景観→都市の区域→都市全体とすることで、アクティビティが活発な魅力的なまちづくりを行うことができる。

⚪︎都市問題に対応した取組み事例はないのか?


自動車交通の優先度を抑え、歩行者と都市での人間の活動を促す都市計画に取り組む地域は増えてきている。
→ロンドン、渋滞課徴金制度
2002年に導入。都心の指定区域に入る運転者から料金を徴収し、車両交通を大幅に減少(▲41%)。

→コペンハーゲン、自動車交通と駐車場の削減、歩行者専用街路、自転車利用促進
1960年代より都市での人間の活動を促すため、車線と駐車場を削減。目抜通りであるストロイエを歩行者専用に変更し歩行者数を増やした。都心の駐車場は人々を受け入れる広場に変更。地元大学による1960年代からの継続調査によると、より多くの人が街をあるき滞留するようになり、公共空間を活用した活動が増加。
また、自転車路網を整備し自転車用の信号も設置。自動車用信号より6秒早く青になる。1995年から2005年の間に自転車交通は2倍になり、個人移動の37%を自転車が占め、31%の自動車を上回る。

→メルボルン、中心街の都市再生
1994から2004にかけて都市再生事業を行い、人々に街を歩いてもらうべく歩道の拡張と舗装、木陰提供のため毎年500本の植樹、広場や川沿いのアーケード、小径と遊歩道を整備。
結果、中心街の人口は同期間で1000人から1万人に増加。また歩行者交通は昼間で+39%、夜間で2倍に増加。

→オーフス(デンマーク)、暗渠化された河川の活用
都心を流れる川が暗渠化され自動車道路となっていたところ、1996〜1998にかけて再生を行い水路に沿って歩行者空間を整備。川沿いエリアは市内で最も不動産価格の高い場所にひとつに。

→ニューヨーク・マンハッタン、任意活動を増やす
2007、都市アクティビティの増加を目指し、ブロードウェイで歩道を拡幅しカフェの椅子を設置。マディソンスクエア、ヘラルドスクエア、タイムズスクエアで歩行者専用道路を設置。
都心特有の先を急ぐ歩行ではなく、余暇と娯楽の活動機会を提供することに成功。

→オスロ・アーケルブリッゲ、良質な密度の都市空間
街路沿いの階数を抑え、高層部を街路から後退させたことで、見かけの建物の高さを軽減。街路に面した一階には活動的な用途の店舗を配置し、魅力的な市街地を構成している。

→ブラジル・クリティバ、コロンビア・ボゴタ、BRTと自転車路の整備
多くの新興国では都市化が進むが、その際の問題が従来の歩行や自転車、あるいは路面の商業といったアクティビティを排除するかたちで、自動車路を整備することで、人々のアクティビティが阻害される点にある。
両都市では、多額の投資が必要な路面電車や鉄道整備の代わりに、高速バスシステム、BRTを導入し、人々の長距離移動の手段を確保しつつ、日常使いの移動手段として自転車路と歩行者空間を整備した。

⚪︎逆にダメな街の事例は?


→米国南部の多くの街
自動車が無ければ都市施設すら利用できず、歩行は阻害され都市アクティビティは抹消されている。

〇この本を通じて何が示唆として言えるのか?


資本主義の世界にいる限り、人間性に配慮したまちづくりに振り切ることは難しく、建物は容積率を最大限使うべく高くなり、人の目線からは外れたものになるだろうし、やはり駐車場があったほうが便利であろうから、まちなかにマンションを作らせようと思えば、そこまで道路を通さなければならない。
こうした資本主義ゆえの限界をふまえつつ、本書に記載した人間中心の視点をどれだけ取り込んだまちづくりを行えるか、ということが、そのまちの魅力を決めるのだと思う。
そう考えると、まちとして、強力な意思、それは歴史や伝統があるまちほどやりやすいのかもしれないが、そうしたものに基づき、統一的なまちづくりが行えるところほど、優位な立ち位置にあるといえる。

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