20231204 「付き合う」とは

考えれば考えるほど、今の自分にとっての「付き合う」の意味がよくわからなくなってくるな。

結婚もしたくないし(「夫」と呼ぶのは夫だけでいいという気持ち)、物理的に近くにいなくても割と大丈夫な気がするし、子どもを一緒に育てたい人が欲しいわけではないし(自分の好意によってケア要員にさせている感じがしてしまい失礼だろうとすら思う)、誰とでも寝られるわけではないけどそれなりの信頼関係があれば案外できそうな気もするし(実際のところ自分がどうなるかは未知、あくまで想像)、改めて「付き合う」ことによって何を得られるのか考えてみると、関係性に名前がついて新たに得られる権利?がよくわからなくなった。夫と付き合い始めた10代おわりのぺーぺーな頃は何も考えていなかったけど。

例えばやさしい人にはわたし以外にも同じようにやさしくあってほしいし(別に付き合うことイコール分け隔てなさがなくなることではないだろうけど)、好きな人はできなくはないけどその人と別に付き合わなくてもいい、みたいな感情ってこういうところから来てるのかな。その時々に生きた言葉がもらえないだけで、夫が精神的な支えであることは死んでもずっと変わらないから、たまに寂しくはなるけど自分の根元は今のままでもそれなりにしっかりしている気がする。

おいしいものを食べる時は誰かと食べた方が圧倒的に楽しいし、たまに会う友だちに話すほどのことでもないことを話せる相手はいてほしいかもしれない。もちろん、おいしいものを一緒に食べれて些細なことを話せる人が近くにいてハグとかキスとかその先にあることも抵抗なくできたらよいのかもしれないが、ある本で「告白して付き合うというのは結構な数の関係性を相手に求めること」と書いてあるのを読んでから「たまたま夫とはそういう関係性になったものの、改めて考えるとそんなことをひとりの人間に求めるのって、なんかおこがましすぎんか……?」となってしまった。

なので今は、大量の関係性を分解して複数人に分散させた方がいっそ気楽なのかな……みたいな発想も生まれている。そんな機械的に人との関係性を作れるとは思えないけど、ひとりに全てを求めない方法もあるんじゃないのか?という考えが浮かぶ。実際、友人知人と一緒にいるだけで多幸感がぶわっと溢れて、このつながりがある自分はすっごく幸せだなと思うイベントが最近続いたのもある。


ありがとうございます。