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「『恋愛したい』がわからない」についての考察(その4:恋愛しているわたしがキライ?)

【1-3はこちらから】


私の中には『自分に恋する人を信じられないわたし』と、『恋する自分を認められないわたし』が存在しており、これが自分の恋愛への憧れにストッパーをかけているように思う。

自分に恋する人が信じられない

前回の恋愛歴の項目で書いたが、わたしは自分のことを好きまたは好きらしい人の存在を認識したことはこれまでに何度かあった。
だが同時に、どこか他人事のような気持ちでその情報を受け取っていたように思う。
それは「なぜわたしのことが好きなんだ?」と疑問だったからだ。

誰かに好かれる自分が信じられない。
これはわたしの自己肯定感の低さに由来する思考である。
性格は誰にでも親切にできる優しさはないし頼りがいがあるわけでもないし見た目も痩せててすらっとしているわけではないし云々と、自己評価するにあたってとにかくコンプレックスばかり目についていた。
今はだいぶ適切に自分に目を向けられるようになったと思うが、大学生くらいまでは自分の長所を自覚できず短所ばかり気にして鬱々としていたと思う。
実際、大学生の時にふたりでどこか行かないかと男性に誘われ、連絡する人を他の誰かと間違ってませんかと返したほどである(相手がやや酔っ払っている様子だったのもある)。
恋とは違うが、下の記事に書いた、変な男に話しかけられた時ですら「なぜわたしなんかに……」と的外れなことを思っていた。
とにかく、誰かに選ばれる自分が理解できなかったのである。


恋する自分を認められない

手をつなぐでもハグでもキスでも何でもいいが、自分が恋愛的な何かをしていると、恋愛漫画に出てくるような画が頭に浮かび、「同じことを自分がやっているのか……」と思うと、途端にものすごく恥ずかしくなる。
そういうのを振り切った没入感が恋愛の楽しさを生み出すのは頭ではわかっているつもりなのだが、いまいち踏み切れない。
これはわたしが趣味のBL(ボーイズラブ)を長年嗜んできたことも影響していると考えられる。
性別は関係ないが、恋愛漫画を読むというのは、人様の恋愛を第三者視点で見させていただくということである。
この視点を自分の恋愛でもふとした瞬間に適用させてしまうのである。
自分と全く関係ない人の恋愛模様を見てきゃーきゃー騒ぐのは楽しいが、自分の恋愛模様に対しては楽しさよりも恥ずかしさが先立つ。

加えてこれは男女問わずだが、人と必要以上に身体接触するのが苦手である。
つまり「いちゃいちゃ」という言葉から想像される行為全般が好きではない。
体に触られて嬉しいとか落ち着くとかポジティブな感情を抱くことがあまりない。
そして前述したような恥ずかしさもある。


人に好かれれば「なぜ自分が」と思い、気になる人ができたり誰かと恋仲になったりすれば「こんな自分が恥ずかしい」となる。
これでは恋愛に対してポジティブになれと言われても難しそうだ。


(つづく)


2022.3.7 追記
(※この記事はわたしが疑問に思ったことを夫に投げかけ、対話する中で編み上げた考えなので、わたし個人の意見というよりは夫とわたしの考えをまとめたものになります。)

ありがとうございます。