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20231118 結婚というものが良く見える日

弔問者が来るたび、夫が愛されていることを知るのが嬉しいなあと思う。今日来てくれた人は夫の大学時代の友人男性と、その人と結婚する予定の人。女性とは全く接点がなくはじめましての出会いだったけど、うちの3歳児とも快く接してくれてありがたかった。

これまでも弔問に来てくれる人は何人もいたけど、おそらくいちばん亡くなる前の夫についてしっかり喋ったんじゃないかと思う。「(亡くなる前に)会話ってできたんですか」と聞かれたので、集中治療室にいた最後の1ヶ月は会話は全くできなかった話をした。夫を拝みにくる人たちは多少なり気を遣ってくれているのだろうけど、こんな感じで聞いてもらって全然構わないんだよなあ。なぜならわたしは喋りたがりだからだ。思い出せば悲しみはよみがえるけど、その悲しみを別に秘匿したいわけでもないし、夫のことを知りたい人にわたしが知っている夫のことを伝えたいという思いもある。

その人と話していて、自分と同じくらいかそれ以上に喋るのが好きそうな人は一緒にいて気楽でいいなあと思った。わたしが喋りすぎないし(うっかりすると語りがちな節がある)、あと人が考えて話してくれているのをうんうんと聞くのも好きだ。でも自分の話も聞いてほしいのでバランスが難しいのだが。

積極的に結婚を望んでいて結婚する人たちの空気っていいものだな、とも思った日だった。なんとわたし、事前にお願いされて夫の代わりに婚姻届の証人欄を書かせてもらってしまった。なんという重大任務。多分人生で最初で最後な気がしたので記念にその部分だけ写真も撮らせてもらった。夫とわたしは長年の付き合いがあり、結婚してもしなくてもいいような関係だったところでプロポーズというプロポーズもなく結婚した。言い方はちょっとアレだがそういう惰性で結婚するのとは違う空気を感じた。わたしたちにはわたしたちの良い空気感があったのかもしれないが。

うさぎモチーフのお菓子をいただいたので夫にお供えする。かわいくてほっこりする。子ども用のおもちゃと、アドベントカレンダーももらってしまって少々恐縮。3歳児はもちろん大はしゃぎだった。


ありがとうございます。