見出し画像

【深島暮らし日記】 #8 「死ぬ」ってことは

こんにちは、稲石渓太です。

タイトルがちょっと重めですかね…。
今まであまり考える機会がなかった「死」について、
身近な人のそれに触れて、自分の考えを整理する意味も含めて
こうして記事にしてみました。

長いです!長くなりました!!





祖父の死

#5の記事で 、祖父の体調が悪くなり帰省した話を書きました。
帰省後、深島に戻ってからさらに2週間が過ぎた頃、母から連絡があり

「おじいちゃんが亡くなったよ」

と、告げられました。

その日はcafeむぎがオープンして初めての3連休で、しかも中日。
祖父の死を告げられたのが朝だったのですが、予約もたくさん入って朝から大忙しだったので、仕事中は悲しみに浸る間もありませんでした。

夕方の定期船が出て、静かな島に戻ったとき、急に悲しみが湧いてきて母に電話しました。

安部夫妻にも夕飯前に伝えました。「おじいちゃん死にました」って言って、せかせか仕事したくなかったので…(笑)
前回の帰省同様、「帰りなー」と言ってもらい、葬式にも無事に行けました。




何があるかわからない

悲しみはもちろんありました。
けどそれ以上にびっくりしたんだと思います。

6月末に祖父が入院して面会した時は、思ったより元気だなぁという印象だったし、その後も自力で移動したり電話をかけたりするまで回復して、手術や治療も頑張っていこうと意気込んでいたそう。
そんな矢先に容態が急変し、そのまま亡くなりました。

最後の力で、自分の意志をもって人生を全うしたのかもしれません。
会いに行って良かったなと心から思います。
何があるかわかりません。元気だった人が何日か後に亡くなることも少くないんでしょう。

大切な人には会える時に会っておくのが良いのと、
会うのにお金や時間の制約は取っ払っていいのだ、
ということを実感しました。




島の漁師のおいちゃん

もう1つ、書いておきたい出来事があります。

深島に住む男性最高齢の漁師のおいちゃん。
おいちゃんが8月最後の日に行方不明になりました。



騒然と

その日は深島みそ仕込みの3日目。
みその材料である麦麹や大豆なんかを混ぜ、道具も洗い終わり、昼ご飯を食べている最中。深島の区長も努める漁師さんから、「おいやんの船はあるけど人がいない」と連絡がありました。

おいちゃんは、毎日船で海に出て釣りをしています。
この日の朝も、僕はいつも通り港に向かうおいちゃんを見かけたのです。

そして船だけ残して消えたおいちゃん。
慌てて別の漁船で現場に向かうと、本当に船だけプカプカ浮いていました。

その後、2隻で辺りを捜索しましたが見つかりません。
そのうち海上保安庁もやって来て、潜水捜索が始まりましたが、暗くなってきたのでその日は終了。
軽く事情聴取を受けて、次の日もまた捜索することに。




気が気でない日々

それから3日間、保安庁や海士さんなどが捜索を続けてくれました。
それからさらに1週間、蒲江の漁師さんなどが船を走らせ、おいちゃんを捜しましたが、見つかりません。

僕も含めて、深島のみんなが仕事が手につかない日々が続きました。
いやまあ、みそ詰めたりはしてたんですけど、cafeの営業とか、お客さんの対応とか、そういうのはできませんでした。

朝と夕方、港から海を眺めました。
たまに双眼鏡を持って。
海を眺めてどうにかなるものでもないけれど、ちょっと見に行ってこようって思っちゃうのでした。




切り換えていく、日常に戻っていく

とは言いつつ、いつまでも気にしてばかりもいられません。
島は、少しずつ日常へと戻っていきます。
色んな手続きがどうとか、弔いはどうするかとか現実的な話もします。

結局、おいちゃんは見つかっていません。
深島の人たちは、今も明るく、毎日を過ごしています。

けどそれって、決しておいちゃんのことを忘れたわけじゃないし、なんなら「実は家に帰ってたりしてるんじゃないか」とか、「そんなことしよったらおいちゃんに怒鳴られるぞ〜(笑)」とか、冗談を言うくらいです。

僕も、「おいちゃんの自転車使ってやらんと」とか言って漕いだりしてます。乗りやすい、紫色の自転車です。

小さな島で、長生きしている人も多くて、自然と常に隣り合わせ。
そんな深島の島民たちは「死」の受け止め方がどっしりとしています。
今回はかなり急な出来事でしたが、みんなどこか無意識に準備というか、心持ちがしっかりとあるようなそんな感じです。

祖父の時とは状況が全然違ったし、割と衝撃が大きくて、現実かどうか疑うこともよくありました。
ただ、悲しみはあるけどもそれ以上に、『この出来事を自分の人生におけるかなり大事な部分に、教訓的な意味も込めて位置付けておこう』みたいな、言葉にしづらいけど、時の流れの一部と捉えるようにしています。

見方によってはちょっと冷酷というか、他人事だと思われるかもですが、付き合いは短いものの島に住む家族のように感じていたし、寂しさもちゃんとあります。
ただ近所に住む人が失踪したとか、そういうレベルではないんですよね。
他人事とかそうじゃなくて、「そういうことも起こるんだぞ」と、
自分に言い聞かせ続けようと思っているのです。

わかりにくい。言語化が難しいです🙇




「死ぬ」とはなんなのか

祖父が亡くなり、おいちゃんが行方不明になって、
悲しみや寂しさが落ち着いて来たころ、
人が死ぬとどうなるのかについて、ちょっと考えるようになりました。

僕が大好きなマンガ「宇宙兄弟」の中で、
主人公六太の弟である日々人が

「人が死んだら、生まれてない時と同じだと思う」

と、言っていました。
このセリフを最初に見たとき妙に納得しました。
天国や地獄があるかはわからないけれど、生まれる前の感覚と一緒(生まれる前に感覚も何もないんだけど)だと思えば、死ぬこともあまり怖くないような気がしてきます。

ただ、これは死んだ自分のこと・感覚の話をしているのであって、
生きて残された人たちにとっては、その人との思い出とか記憶がある場合が多いですよね。
そういう意味では少し違う捉え方をしています。

あづみさんもいつか話していたのですが、
自分が死んだとき、「あいつはあんなやつだった」とか「あいつはああいうとこが変だったよな笑」とか「あの時あんなバカやってたよな」とか
言ってもらえていたら本望だと。そういう死に方、生き方をしたいと。

自分が死んだとき、残った人の思い出や記憶に残るような生き方をしていたいと思えるようになりました。
自分が生きていた証になる、というか、そんな感じです。

身近な「死」に触れて、「生」に対する考えがちょっとだけ深まった気がします。




それではこのへんで〜〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?