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無神経とか無意識とか

無神経と呼ぶのかもしれない
私にとってはあまりにも日常過ぎて
気づかなかった
傷つけていたと思うのはきっと私の傲りだろうが
もしそうだったのなら
本当に申し訳ないと思った


人は往々にして
自己の日常や見解の外にあるものに対し
無意識、無神経を発動しやすい
普通、という言葉を使い
それ以外のものへの理解が疎かったり
ひどい場合は拒否を示す

そう、理解が疎かった

そのせいでもしかしたら他者を嫌な気持ちにさせたり傷つけていたかもしれない
と自分なりの反省をしていたところ
ふと考えた

それは誰にでも起こり得ることで
いつ、させる側になるか、される側になるのかは
分からない
その心配をし不安を抱えながら周囲との人間関係を築くのは
恐らく不可能だろう
気付いた時に伝えればそれで良いとも思う
気付かなかったら…

きっと皆お互いの持つ余白の部分にしまい込んで
漣程度で済ませ
いつしか忘れてしまうか
大したことではないと気にしないように過ごすかしているはずだ

でも時々
無意識に見せかけた”無意識風”
というものも存在し

全くそんなつもりは無かった
知らなかった気づかなかったと言えば
それで事なく過ぎる
という”逃れ”を身に付けていたりする

受ける側も同様に
それに気付いたとしても深追いしない
深追いが良い結果を齎した、という経験を
恐らくほとんどの人がしていない
とかく深追いは互いに大きな爪痕を残しがち
受ける側も”スルー”を身に付けているのだ

これは一方通行のコミュニケーションではなく
どちらにもいつ起こり得るかは分からない
誰しもが持っているものだと
個人的には思っている

この”無意識or無神経風”に見せかける技(と呼ぶには浅過ぎるのかもしれないが適当な言葉が思い付かない)
を使って
相手に釘を刺したり嫌悪や無関心を伝えたり
傷つけたり落ち込ませたり
気を引いたり期待させたり
好意を持たせようとしたりする

それが巧妙になればなるほど
“逃げ”も容易になり
素の無意識とより判断がつきにくくなる

よね

なんてね

なんとなくどこかで
そうじゃないかなと思いながら
やっぱり漣程度、もしくは蓋をして
うまくいってる感じで過ごすのもありなんだろうね
とか思ったりしたのでした

馬鹿とは
偽りを信じる愚か者のことだ

と、幼きまひろが言ってたよ

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