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大きな流れの中に生きることと自分の意志

できるだけ自分の心に正直に書こうと思う。

大事なのは心。
心の在り方。

どれだけ地球のことを大切に考えていても
不安や脅迫感に囚われながら行動するのは
わたしは、しあわせを感じられないから好きではない。

これを言うと元も子もないかもしれないし、
地球環境のために活動している方々に怒られそうだけれど

地球は、終わる時は終わる。
地球の自然が破壊されるか、地磁気の逆転とか何かで
地球が今の状態を保てなくなったとしても
宇宙規模で見れば
大きな全体の流れの一つに過ぎないのかもしれない。

人間にとって、暮らしていくための土台がなくなり
生存が維持できなくなることが、
人間の感情というものを通して見れば
望ましくないことであり、避けるべきことだということになるのは
当然のことなのかもしれない。


そもそも、人は誰でも死を迎える。
誕生はすでに経験済み。
死は、(今世では)誰もが未経験。
だから怖さや不安を感じるのは当然。
新しいことを始めるときや、受け入れる時も
きっと、とても多くの人がそう感じると思う。

そうは言っても、死というものに対して
あまりにもネガティブなイメージが
当然のように浸透してはいないか。

誰かの訃報の知らせを受け取る時、
亡くなった方がよほどご長寿で大往生、でない限り
人は、死を悪いことのように捉える。
残念。お気の毒。
お気の毒?長生きできなくて?死を迎えて?

長く生きることがしあわせの条件なのか?
事故や病気で死を迎えるのは不幸なことなのか?
その人の死に対しての価値は、本人がつけるものだ。

死は恐れるべきものなのだろうか?
生と死。
それは反対のもののようで、実は同等のものではないか。
どちらか一方だけでは存在することができない。

生が善で死が悪、と意味付けたとしても、
それはその人の価値観であり
人類共通のただ一つの正解ではない。


話がそれてしまったけれど、
現象に意味づけをするのは、いつも人である。
そして、それも本来一人一人異なっているものである。

地球がなくなるのも、人が死ぬのも
現象だけ見れば、ただそのような現象が在るだけである。



ただそれでも私は地球が好きだ。
地球に生まれて、地球で生きることができて
とっても嬉しいし、ありがたいなと思う。

自然は本当に美しいし、私が日々生活をし、
様々な体験を通して、喜んだり悲しんだり幸せを感じられるのも
地球があってこそである。
だからやっぱりできるだけ
地球が永く続くような選択をしたいと思う。
地球の運命はわたしにはわからないけれど
自分がどうしたいかを自分で選んで決めることを大切にしたい。

大きな流れの中に生きる
小さなわたしの意志


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