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第1章_#03_たぶんはじめてのフランス映画

そういえば、初めて見たフランス映画ってなんだっけ?
と記憶を辿ってみた。たぶんこれ。「太陽がいっぱい(Plein Soleil)」。

ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演のこの映画、もちろん公開時の1960年にはまだ私は生まれていないから、テレビの洋画劇場で見たのだと思う。本作がテレビの洋画劇場で放映された記録をウィキペディアで調べてみた。69年4月TBS『金曜ロードショー』、72年12月フジ『ゴールデン洋画劇場』、77年1月日テレ『水曜ロードショー』、84年9月テレ朝『日曜洋画劇場』......けっこう何回もやってるな。記憶の度合いから77年1月日テレ『水曜ロードショー』と推測される。水野晴郎が毎回「いやぁ、映画ってほんっとうにいいもんですね」と締めくくるアレだ。

で、小6の私にとってどうだったのか。残念ながらちっとも面白くなかった。いや、実はよく憶えていない。退屈して途中で寝たのかもしれない。フランス映画はアメリカの娯楽大作などとは違って大袈裟な起伏に乏しく、特に大きな盛り上がりもないまま淡々と進行し、静かにぷつりと終わる。一応、サスペンス映画であるはずの本作も同様だ。大人になってフランス映画が好きになってようやくそれこそがフランス映画の妙味だと認識する訳だが、田舎の子供にはまず無理だ。

テレビで見た77年当時、すでにアラン・ドロンはワールドワイドなイケメン代表で、日本でも大人気だった。"D’urban, c’est l’élégance de l’homme moderne."と囁くアパレルブランドのCMを憶えている人も多いだろう。(そういえば『アル・パチーノ+アラン・ドロン < あなた』ってタイトルの歌謡曲もあったな...by 榊原郁恵。)

しかしながら60年の劇場公開当時、まだドロンはほぼ無名の俳優で、これが出世作。青い瞳にギラギラみなぎる「野心」は、演技もあろうが、この作品をマウンティングの足掛かりにしてやるぜ!という新人俳優の上昇志向の現れでもある。裏腹に、金持ちの放蕩息子に見下され、まるで道具のように利用され散々コケにされる卑屈で惨めったらしい役柄。そのギャップが色香を倍加させている。大人の女の目にはさぞセクシーに映ったであろうが、小6の少女の心にはまったく響かなかったどころか、なんか気持ち悪いとさえ感じたかすかな記憶がある。

20代の頃、DVDでもう一度見てみた。それなりに楽しんだものの、やっぱりこんなものだったかという感じ。というか、アラン・ドロンの顔が、記憶を上回るサル顔だったのに吃驚して集中できなかったというのもある。(私はサル顔の人が苦手なのだ。)

それでも印象に残っているシーンはある。大富豪の放蕩息子とそのガールフレンド、そしてドロンがヨットクルーズに出る。放蕩息子はガールフレンドとの情事を楽しむために、ドロンを小舟に追いやってしまう。ヨットと小舟をつなぐロープが切れ、ドロンは炎天下の海原を漂流する羽目になる。数時間後、まるで干物みたいな瀕死の状態で救い出された哀れなドロン。そしてこの一件が引き金となり、事件は起こる……。これから見る人がいないとも限らないから、ここで止めておこう。

余談だが「太陽がいっぱい」という邦題、昔から意味不明でモヤモヤしていた。「いっぱい」という日本語は「数がいっぱい」と「容量がいっぱい」の2通りの意味がある。原題「Plein Soleil」のPleinという言葉からすると後者が自然だが、モヤモヤは一向に解消しない。ここでまたウィキペディア先生のお世話になる訳だが、原題「plein soleil」はフランス語の文章中では「en plein soleil」という成句でしばしば用いられ、これは「太陽が照らす下で」「炎天下で」「真昼間に」などといった意味が基本的にあり、さらに フランス語のネイティブ話者にとっては「太陽(お天道様、神様)は全部見てるよ(悪事を隠すことなんてできないよ)」といった意味がほのめかされているように感じられる表現でもあるらしい。そう、これだよ、これ。邦題をつけ直すとすれば、さしずめ「お天道様はお見通し」といったところか。いや、これじゃ任侠映画かコメディ時代劇だな。

次は、日本にフランスの風を持ち込んだエディトリアルデザイナーのお話を。À bientôt!


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