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第1章_#02_永遠のバイブル

小3でフレンチポップとの出会いを果たすも自然消滅。フランスとのご縁も潰えたように思えたが、小5で次の出会いを果たすこととなる。私にフランスを開眼させたのはこれ、池田理代子先生の「ベルサイユのばら」である。

なんだよ、ニホンのマンガじゃねーかよ、と思われたあなた、侮ることなかれ。これ読めば、フランス革命勃発までの経緯と王制崩壊までの流れが自然に理解できるのだ。中途半端な歴史本なんか足元にも及ばない。ついでに、名前と苗字の間に「de」がついてると貴族だ、みたいな雑学ネタまで身についた。小5の子供にはまったく使い途のない知識だが...。

そもそものきっかけはよく覚えていない。友達に無理やり貸された程度のことだったろう。ただ強烈に覚えているのは、読み始めが「第7巻」からだったこと。本編全9冊のうちの7冊目、もういい加減にクライマックス間近である。アントワネットの第一王子が重病で逝去するも国庫は空っぽで葬式代もないだの、三部会が招集されるも平民代表はコケにされテニスコートの誓いに至るだの、要するにほぼほぼ革命前夜。大人だと「ダメでしょー、そこから始めちゃ」となるところだが、小5の子供の適応能力はたいしたもので、人間関係も脈絡も伏線も何もお構いなしの一気読み。なのにちゃんと「面白い!」と感動してしまったのだ。そして読み終えた直後に全巻揃えようと本屋に走ってしまったほど。(なのに第1巻も第2巻も売り切れで、仕方なく第3巻からのスタートとなったが.....。)

全10巻読み終える頃には小5の脳内には「フランスとはこんな国」というイメージが出来上がる。いま振り返ると笑えるほど間違いだらけだったが。以後、フランスは私の強い興味の対象となり、フランスと聞くとやたらと触手が動くようになった。

話は逸れるが、「ベルサイユのばら」の醍醐味はその内容にとどまらない。池田理代子先生(神なので呼び捨て不可)の描画の劇的な進化も感動ポイントのひとつだ。ファンなら誰でも知っているが、先生は大学在学中に生活の糧として漫画を描き始め、数年の下積みを経て1967年にデビューした。72年に『週刊マーガレット』で「ベルサイユのばら」の連載が始まるが、先生は石膏デッサンや油絵など本格的な絵の勉強をしながら連載を続けたという。なるほど、第1巻~第3巻あたりまでは昭和の少女マンガの典型的な描画スタイル(例えば顔の半分くらいの大きな目)だが、第4巻あたりから明らかに絵が変わる。絵の訓練が結実し始めたのだ。回を追うごとに絵は洗練されてゆき、背景の描き込みやコマ割りなどにも独自のスタイルが確立し始める。「オルフェウスの窓」(1975~81年)以降はもはや少女漫画ですらない。「劇画」と呼ぶにふさわしい風格だ。

話を戻すが、私の「ベルばら」熱がヒートアップするのに比例するように、世の中的にも社会現象レベルの「ベルばら」ブームが巻き起こった。74年には宝塚歌劇団による舞台化によりファン層はさらに拡大したが、個人的にはあの舞台化粧が苦手で、私の中のオスカル像とかなり乖離している。あれをオスカルとは認めるわけにはいかない。

79年には実写映画化。監督はあの「シェルブールの雨傘」のジャック・ドゥミ、制作総指揮は「5時から7時までのクレオ」のアニエス・ヴァルダ、音楽は説明不要の巨匠ミシェル・ルグランという強力な布陣。総制作費10億。ベルサイユ宮殿で撮影まで行った。なのにめっちゃ駄作。(当時は観られなかったので大人になってDVDにて鑑賞。)資生堂の派手なタイアップしか記憶に残っていない。実に残念である。

79~80年にはテレビアニメ化されだが、この頃には私はもう高校生で、描かれたその世界は少し子供っぽく感じられたし、テレビの洋画劇場がそうであったように声のイメージを一方的に押しつけられる感じが嫌だった。田島令子が悪いわけではない。誰が演ってもきっと嫌だった。

つまりオリジナルのコミックを超えるものは存在しないのだ。もっと言うと、後年出版された豪華な装丁の完全版も愛蔵版も、このマーガレットコミックスの素朴でレトロな佇まいには敵わないと思うのだ。

次は、初めて見たフランス映画の話を。À bientôt!

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