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父との再会

実は.....

🌷 🌷 🌷 🌷 🌷 🌷

今日、7月4日

32年ぶりで
生き別れたままだった父に会いました

17の時に両親が離婚
19で就職とともに上京した私のところに
なんとか私を探し出して
神戸から大宮(当時私は埼玉県の美容室に勤めていました)まで会いにきてくれて
父と、六甲にステーキを食べに行こうね....と約束
その年の夏休みに再び再会

それが32年前


でも

それが母と姉にバレて
叔母たちも含めてみんなに

「あの人はのりちゃんが思うほどいい人間ぢゃ無い。歳をとって惨めになった頃、のりちゃんにお金の無心に来るだろう。
のりちゃんは情に厚くて優しい子だから
きっとそれを断れない。悪いことは言わないから、2度と会っちゃいけない」

と 諭されて

〝 そんなことあるはずないじゃん 〟と思いつつも百戦錬磨のおばさまがた相手に
人生経験の浅い小娘は
父とのつながりを全て抹消することにしたのです

あれから32年

方時も父のことを忘れたことはありませんでした
でも
母や叔母たちの口車に乗って父を見限った私には
父への申し訳なさでいっぱいで

「これでよかったんだ...」

と言い聞かすことしかできませんでした

それでも阪神大震災の時は
来る日もくる日も新聞を見て
死亡者名簿に父の名前がないことを
こっそり確認したものでした

日が経つにつれ
2度と会うことはないだろう
どこかで元気にしていてくれればいい
きっとそれだけのご縁だったんだ

そう思い
父の無事だけを祈っていましたが
まさかその思いが
知らない間に私の心と体にはびこり
多少なりとも私に影響を与えていたとは全く考えも及びませんでした

それが......

胎話士であるミラクルMIKIMIKIさんとの出会いから
本来の自分の心に触れる機会が多くなり
全く見えていなかった
というか
完全に目を逸らし続けてこれでいいんだとタカを括っていた出来事も徐々に炙り出され始め

とうとう父のことに行きついたのでした

その日はMIKIMIKIさんと食事をしていました

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

お父さんのことをそのまま放置しておくのは
自分の人生を本格的に歩き出そうというあなたにとって
1番の根っこを赦し認めずして動くことになり
それは当然、あなたの人生に滞りを生み出していることでしょう
それはひいては子供たちへも影響しますょ

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

「お父さんのことを.....」という言葉にハッとして
涙が溢れました

こんなに心に響いてしまうのは
遠い過去に封印した、私がきちんと受け止めてあげなきゃいけない思いがそこに燻っているから.....

でも、元の旦那とのいろんなことで
一度生きながら死んだ私は
ある一定時期からの記憶をほぼすっ飛ばして失っていました
父との記憶も実に遥か彼方にあって
父の名前と住んでた市以外全くもって何一つ覚えていないのです

じゃぁどんなふうに探せばいいか

当時タクシーの運転手だった父
どこのタクシー会社かも覚えていない私に
神戸にあるタクシー会社を調べてくれながら

神戸市の市役所へ行って
娘なんですと父の名前を言って探してもらうか

そんな話をしながら

「いやもう全く無理っすゎ」
「無理です全然思い出せないです」
「会うことなんて考えたことないっすもん」

と「無理」を連呼する私の言葉が真逆に聞こえるMIKIMIKIさんには、それが

「どうしても父に会いたいんです、
MIKIさんどうか助けてください」

に聞こえたと言います(笑)

お食事をしていたホンの2時間もたたない間に

仕事で『クレームの女神』という異名を持つほどの私に
「あなたクレームの女神でしょ(笑)
それなのに、自分にとっての一番大事なクレームを放置してちゃダメぢゃない(笑笑)」

と言われながら
プロの探偵さんも顔負けの 
MIKIMIKIさんのリーディングを使った父親探しはあっという間に標的の空気を読み取り
父の連絡先と住所を割り出したのでした



マジ


あれは神業だったです.......( ̄◇ ̄;)



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父らしき人に電話をして
「典子さんのお父さんですか?」
の問いに、あっけなく
「はい、そうですょ」
との返事

狐につままれた感半端ない状況で
父の声を聞き
父の空気を感じ

「ああ、確かにこの感覚は、父に違いない」

そう感じていました

翌日
確認するかのように電話をして
「4日に3人の息子を連れて会いに行くから」
と約束をしました

それがあっての今日だったのです

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どんなお年寄りになっているのか
ドキドキもんでした

電話で話した限りでは
大阪によくいる口うるさいお節介な
でもって気の強い向こう水なジジイという感じ
典型的な関西のオッサンです(笑)

実際会ってみたら

まさにその通り
関西弁バリバリの
昔取った杵柄を実に勢いよく話すジジイに育っていました(笑笑)

でも

「確かにこんな人だったな.....」

と 幼い頃に感じた彼の気質と重なります

合気道3段....警察に届けを出さなきゃならない部類の人

今回の孫たち(息子たち)への話では
若かりし頃は神戸で893屋さんだったとか
(๑•ૅㅁ•๑)!???.....これは初耳(笑)

まぁまぁなんでもいいんだけど
もともと父の浮気で離婚してて
その当時の彼女と今も仲睦まじく暮らしてはいるけれど
阪神大震災で腰骨を強く打って穴が開いてしまい
頭も強く打って脳内出血を起こしてしまい
あれから働くことのできない体になってしまってて

なのに未だに昔取った杵柄の話しちゃうような口の達者な強気なお爺ちゃんだもん
そのお世話をするのは、しかも24年間もの間
どれほどキツかったのか
彼女さんのそのご苦労を思わずにはいられなかったです

なので、気になってたことは確認した

ちゃんと2人は籍を入れているのかどうか.....

だって
こんなに苦労させてその後死んだらはいさようならぢゃあんまりでしょ
うちの母がそれで辛い思いをしているから
私の父がそのあたり、筋の通った男なのかどうか気になってたんだな.....

結果は
きちんと籍を入れて
男としての責務を果たしていました
.........よかった


それなりにいろんな経験をさせていただき
男性の種類を見分けられるようになった私からみても
筋の通せる男気のある奴だったんだと胸を撫で下ろし

また
そんな父を見てて
確かに我が母の女々しい性格では
ついていける男ではないこともみて取れたし

しかも明らかに父の気質が私の中に脈々と波打っている
この親にしてこの子あり......

そぉ〜いえば 
いっつも母に言われてた

「あんたのそういうとこ
お父さんそっくりやな。嫌なところや( ̄^ ̄)」

って......(笑)

こんなとこでも辻褄合わせが出来るなんて
なんて恐ろしいことでしょう

全ては実に緻密に計算されて起きていた.....


そんなもろもろなことにも答えがもらえて
実に爽快な再会でした


あ、そうそう

息子たちにはMIKIMIKIさんが父を探し当ててくれて父と電話で話したその日のうちに

「お父さんが見つかってん
一緒に会いに行って欲しい」

とお願いし
3人とも一瞬「えっ!?何言ってんの!?」
ってあっけに取られていたようだけど
二つ返事でOKをもらってた

お爺ちゃんという存在に免疫のない彼ら
しかも
28年私の息子をしている長男ですら
私の口から私の実の父の存在について話を聞いたことはなかった

どんな感想を持ったかは知らないが
私が感じる限り
父と私の息子たちとの相性は抜群だ

不思議なのは
母に対する愛よりも
父への愛の方が深く温かくなだらかに自然に溢れ出てくること.....
なんとも奇妙な感触

しかも
話しやすい

母に対してこんなに気さくに
こんなに自然に話せたことはない
母しか親がいなかった分
親とはこんなものなのだ....とさえ思っていた

でもそんな違いも初めて感じた

幼い頃は
虫のいどころ次第ですぐに怒り狂う父の顔色を伺って育った
だから母へも気を使っていたが
父にはさらに
遠い存在的に気を遣ったものだったのだ

だが
父に対する嫌悪感や憎悪は全く湧かず
姉ほど父への反発のなかった私は
父がいう言葉を嫌味なく受け取れる娘だった

だからこそ
32年前に父は私を探して来たのだろう

これからは
何度も何度も会える♫


※ 見出し画像はうちの近くの老人ホームに飾られている石碑。 これと同じ言葉を書いた飾り皿が昔我が家にあった。まだ両親が夫婦でいた頃、箪笥の上に飾られていた。 そして昨年2月、母の家を引き払うために彼女の荷物を片付けていて、それこそ何十年ぶりかにその皿を見たんだった.....
それをふと思い出し、激写しました(笑)


この世のあらゆるものに
深く感謝します❤︎


本当にありがとうございます


のりこ

サポート 大歓迎です✨💕✨ やりたいこと、いっぱいいっぱいあるんですぅ〜🤣😂🤣 ありがとうございます😊