義母も女だと思ったとき(その6)
義父は肝臓ガンで亡くなった。
今なら本人に告知することも多いが、あの時代は家族に伝えても、ガン患者本人に病名を伝えないのが普通であった。
義父は薄々感じていた可能性はあるが、義母は最後まで義父がガンであることを告げなかった。
連れの家族の墓は鹿児島市内の有名な墓地にある。
とにかく広くて墓が無数にあるところだ。
九州で一番お供えの花が売れる墓地と言われ、訪れた人なら、その花の多さに目が奪われる。
さて、義母の家は鹿児島市内から離れていた。
家から車で片道2時間もかかり、車に乗らない義母には相当の負担になっていた。
そのため、墓参りは年に2~3回帰郷する義姉の車で行くようになった。
連れも東京暮らしで、せいぜい年に一回程度の墓参り。
そうなると、どうしても、お墓は荒れてしまうものだ。
ところが、義父のお墓には、いつも、お水とお花のお供えがしてあった。
鹿児島在住の腹違いの兄が、義父のお墓参りに来てくれていたのだ。
そういう兄を義姉は慕い、義母や連れが知らないところで時々会っていたらしい。
しかも、兄の勤務先は連れも通った実家近くの公立高校だった。
大学で数学を専攻した兄は、高校の数学教師になっていたのだ。
☆その1で義父を理科の教師と書いていましたが、正しくは算数でした。
🐶本日もいそろくさんのイラストを使わせていただきました🌻
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