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馬が変えた世界の歴史

世界の歴史を見る上で馬は非常に重要です。
メソポタミア文明には、紀元前2000年以降に南ロシアや中央アジアからやってきた印欧系の民族(カッシート人、ミタンニ人、ヒッタイト人など)によって、またエジプト文明には中王国時代末期に(紀元前17世紀末)、セム系遊牧民ヒクソスによって馬がもたらされます。
馬に引かせるチャリオットと呼ばれる戦車は、それまで歩兵、弓兵中心だったオリエントの戦法を大きく変えました。
インドにはインダス文明後に、やはり印欧系のアーリア人が馬を持ち込みました。
↓ヒッタイトのチャリオット
(トルコ・アンカラのアナトリア文明博物館にて)

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さらに機動力の革命をもたらしたのが、騎馬(騎兵)の登場です。
馬の背中に直接乗る、という画期的な戦法により、オリエントではアッシリア帝国(紀元前8世紀)が世界史上初のオリエント統一を成し遂げます。

ちなみにズボンはもともと騎馬民族の衣装です。
なので、本来騎馬民族ではなく、あとから騎馬の習慣を身につけた民族(ギリシア人やローマ人など)は、男性もスカートのようなチュニック(貫頭衣)を着ます。

中国で騎兵が現れるのは春秋時代です。
前漢の武帝は、騎馬民族の匈奴に対抗するため、わざわざ中央アジアのフェルガナに遣い(李広利)を送って、1日に1000里を走ると言われた「汗血馬」をとり寄せました。
この名馬はアハールテケという種類で、現在でもトルクメニスタンで飼育されています。
↓トルクメニスタン大使館に飾られているアハールテケの絵画

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一国の大きさを決めるのも馬。
馬を走らせて14日以内に到着できるところが、統治の限界とされています。分裂後のモンゴル帝国、つまり各ハン国と、ローマ帝国の最盛期の広さがほぼ等しいのも、この原理によります。

またアメリカ大陸の諸文明(マヤ・インカ・アステカ)に馬がいなかった、というのは有名ですが、実は大昔、アメリカ大陸にも馬はいました。
しかし氷河期にベーリング地峡を渡ってアメリカに入った人々が馬を食べつくしてしまったと考えられています。

表紙の写真はアテネ考古学博物館で見たブロンズ像です。
(紀元前140年ころの作品)
小さなジョッキーくん。ノリノリですね。

最後にクイズです。
Q:下の各人物(架空の人物を含む)の愛馬の名を下から選べ

1、ガウタマ・シッダールタ
  (お釈迦さま)
2、アレクサンダー大王
3、ダルタニヤン(『三銃士』の主人公)
4、ドン・キホーテ
5、オーディン(北欧神話の主神)

選択肢:スレイプニール カンタカ
    ブケファロス ロシナンテ  

あれ、選択肢は4つしかありませんね。
でも事足りますよ。だって憧れてマネをしたんですから。

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