見出し画像

5月7日 柄ものの上下と準備するお客さん【今日のもじょもじょ】

今よりもっと感覚が過敏だった幼いとき、「もじょもじょする」という表現だけで不快感を退け、それによって微塵も物事が解決せず理不尽な否定ばかりをする子どもだと思われていた私。
23歳になった私が、日々生活をする中で自分が感じている「不快」を敏感にキャッチし、誠実に丁寧に言葉にすることで私自身を”癒す”ことができるのか、という実験の記録です。

ここ最近は専ら外に向いていた私の意識。どちらかというとインプットに偏っていた私の意識を、今一度自分の内側へ。
しばらくの間の身近な旅を、ここで始めてみようと思います。

上下とも柄ものの服装で作業をする

最近いつも寝るときは坂口恭平の個展で買った、熊本の三角港の絵が描かれたお気に入りのTシャツを着ているが、昨日何も考えずに洗濯すると外は土砂降り、部屋干しの室内も湿気ていて、夜までには乾かなかった。
だから昨日は、ポールアンドジョーの、うさんくさい笑顔を浮かべる猫が描かれた柄のTシャツを着て寝た。

今日は、住んでいるゲストハウスでリネン交換の仕事をする日。
長ズボンだと動きにくいので半ズボンに着がえ、Tシャツは寝ていたときのままで、11時ごろから2時間ほど、ひとりバタバタと作業をする。

ふと、服装が上下柄であることに気付く。
猫柄と、下は花柄だ。
あ、なんか派手すぎて不快かも。と思う。

いや、これは、「あの子上下柄モノ着てる」と思われることを地味に恐れていて、その恐れが不快なんだと気付く。

自分がそれを着ていることそのものには別に大した不快感はない。
柄に含まれている色の組み合わせも、そこまでずれていなくて、なんだかんだ調和しているような気になる。
どちらもとても好きで気に入っている柄。
好き同士なんだから、別にそれがかけ合わさってるなんて、全然不快じゃないやん。と。そういや私は昨日も一昨日も、柄に柄を合わせて着ていた。

不快さというものには、他者からの視線がやはり多分に含まれている。
気にしないという手も、ある。

リネン交換中にいたお客さんたち

そんなリネンの交換(ベッドメイキング)中、宿泊のお客さんがコモンスペースにいた。
本来は11時チェックアウトだが、そんなに厳密なところではないので(というか私が指摘するかしないか、の問題)、そのまま。

2人の女性が、
邪魔ですよね、迷惑ですよね、と言いながらも居続けている。
全然大丈夫ですよ~荷物だけちょっと移動させてもらいます~とにこやかに言って、シーツをひっぺがし続ける。

これは、不快なのだろうか。
たしかに多少はやりづらかった。
空間を最大限に使えれば、もっと効率的に動くことができるから早く終わりはするのかも。
でも別に、いるならいるで、どうにか避けながら進めることもできる。

私はこういう、それならそれで、そんなもんか、というテンションでゆるく工夫しながらその場をやりすごすことが得意なほうだと思う。
これは鈍感さ、ぼーっとしているからこそのものなんだろうけど。でもつまるところ、不快じゃない。

そのお客さんたちは、この後とっておきの予定があるようで、とてもたのしそうだった。
わくわくしながら出発の準備をする2人を横目に動いているのは、やっぱり別に、いやじゃなかった。

不快感の言語化をしようとして2日目。今日キャッチしかけた不快感は、よく見つめてみるとあんまり不快じゃなかった。

自分の身体がぱっと感じた不快感じゃなく、「これは不快とされるもの」だったからかな。そういうものは結局、私は大した不快感を感じていない。

つまり私の感じることだけがほんとうなのかもしれない、そんなことがわかったのかもしれない、でも私の感じることって、ほんとうに私の感覚だけによってできているのかと問うと必ずしもそうとは言えないかもしれない…

そんな今日だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?