正しければ何しても良い? 〜解説「ミズミズアリ」〜
正しければ何をしても良い? 〜創作は戦いである〜
前回投稿したショートストーリー「ミズミズアリ」は、
「水々しいアリ」という言葉からイメージを広げて作りました。
ミズミズアリが、君子の忘れていた思いを
みずみずしく甦らせるストーリーです。
書きながら出て来たのが、
「正しければ何をしても良いのだろうか」
という思いでした。
こんな言葉をたまに聞きます。
これは、とても危険だな、と思います。
なぜなら、「正しければ強制(どんな伝え方を)しても良い」という考えが見えてくるからです。
「好き」が死んでしまうやり方は、結果が出たとしても暴力です。
私はそれを、認めることはできません。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、これが発展すると虐待になります。
(教育虐待など)
ちなみに私は子供の頃、自分は勉強が嫌いなんだ、と思っていました。
しかし、大人になり通信制の高校に入った時、勉強が好きなんだと気づきました。
色んなことを知っていくのが楽しかったのです。
伝え方一つで、「好き」は簡単に死んでしまうのです。
当たり前な価値観を静かに揺るがす、そんな作品を作りたい。
私にとって創作は、「戦い」なのです。
おまけ 〜「好き」と世界を繋ぎたい〜
君子にとっては楽しくても、下手なヴァイオリンの音を聞くのは辛いです。
君子の「好き」と世界をどう繋ごう、と考えた結果、以下の結びになりました。
「好き」が潰されない世界を願って。
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