#60「買う喜び」
私事ながら、先日27歳の誕生日を迎えた。
こんなエッセイでもないと素の自分を表現する方法を持っていなくて、そのくらい生きるのが不得手だと我ながら思っているが、そんな中でも27年ものあいだ命の危険もなく健やかに生きてこられたのは、ひとえにこんなにも孤独にかまける自分に懲りもせず構ってくれる周囲の人々のおかげだと、割と本気で思っている。
相変わらず自分から賑わいを巻き起こしたり、その渦に飛び込むような真似はできないし、今後もしないと思うが、だからこそ年に一度くらいちゃんと感謝申し上げたい。いつもありがとうございますね。
そんな中、ありがたいことに「誕生日に何が欲しいか」と聞かれることも、片手で数えられるほどだがあった。「愛ですね」「不動産かなあ」「焼肉食べ放題でいいですよ」なんて冗談半分(本気半分)で言っていたが、というのも僕自身誰かに「これが欲しい」と明言するのが苦手なのと、欲しいものはなるべく自分で買おうという意思が働くようになったからなんである。
そういう時に例えば、家のWi-Fiの繋がりが悪いので新しいWi-Fiが欲しい、とでも言ったとする。これは実生活上本当に必要とするものであるから、シンプルにその経費を他人に出させるということになる。なんかこれって、お祝いごととはちょっと違うじゃないですか。
誕生日に関連する話は前にも書いたが、ことプレゼントという行為に関しては、価格や必要性、実用性は必ずしも伴わなくていいと思っている。だから僕は昨年1年間、バンドメンバーから前職の先輩まで、躊躇いなく送れる相手にはもれなくLINEギフトのコーヒーチケットを送るということをやってみていたし、自分の貰うものに関しても一切期待を持つことをしなくなった。
祝おうという気持ち、口頭であれテキストであれ、たとえスタンプであっても「わざわざ手間を取って祝われる」というだけで十分なのだから。
(LINEギフトに関しては、来年もやるかどうかはわからない。これって自分の誕生日に返せよ、という無言の圧力に感じる人もいるのかなとか、こちらから一方的に毎年送り続けるのも向こう的に気まずいかとか、色々一度送ってみてわかったことというのもあったためだ。もちろん自分の誕生日の時の見返りを期待してというのは一切なかった。であればこそ、本当に返してくれた人たちには本当に嬉しさを感じた。)
そこに、ちょうどまさに欲しいものとか、なくて困っているものとかを挙げて「これが欲しくてね」と言ってしまったら、それは今書いたようなニュアンスとは少し離れてしまう気がするのだが、お分かりいただけないだろうか。現実にありがたみのあるアイテムがプレゼントされるべきではないというのではなくて、それを祝ってくれる人に「それにかこつけて経費を出させる」ような気持ちになってしまうことが問題なのだ。
それでいうと、冗談抜きで「焼肉食べ放題」みたいなやつが一番いい主張なんじゃないかと思う。一緒に過ごせて、くだらない話をしながら、美味いものを食べる。これこそが究極の「消えもの」じゃないか。
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もうひとつあげた「欲しいものは自分で買いたいという意思」。
やや遠回りになってしまったが、今週の主題はどちらかといえばこちらだ。
なんにしろ、そういうような意識が、特に大人になってから明確に芽生え始めた。
例えば本なら、本当に心から読みたい作品であればこそ誰にもねだらないし、価格と、それからその本を読むに足りる時間・精神的余裕がある程度準備できたと自覚できるまで、購入するのもお預けにする。
そして、ネットなのか店頭なのか、とにかく自分で稼いだお金でそれを買う。その時僕は、その月の自由がその額分減った、みたいな感情よりも遥かに、それ以降の人生の楽しみが増えたことや、好きな場所に建設的にお金を落とせたことの喜ばしさを感じる。綺麗事のように見えて、本音である。
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