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#35「専門家」

 ある日、ビルの上から階下を見下ろすと、空中に人が浮いていた。
 衒わずに正確に言うと、電柱の一番上、電線の付け根あたりにあるあの箱状の設備を開けて、その中の何かをどうにかしていた。電気技師さんと言うんだろうか、作業の光景である。

 人の姿を発見するのにはあまりに不自然な場所だったので、CGで見る光景がリアルになったみたいで思わずジロジロ見てしまった。
 電柱をよじ登る時ってやっぱり、釘みたいに打ちこまれているあの足場に手足をかけて登るんだろうか。
 かなり電線と距離が近いけど、どこに、何で触れるとアウトなんだろうか。
 部屋に入ろうとするだけで頭をぶつける自分には、ああいう仕事はまず向くまい。哀れにも自分の自覚のないうちに感電して落下してしまいそうだ。

 危険が伴おうが伴うまいが、その道の専門家には頭が下がる。

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 お馴染みgoo辞書の再登場である。
「専門家」とは、「ある特定の学問・事柄を専門に研究・担当して、それに精通している人。エキスパート」とのこと。
 学校の先生は教育専門家で、ライブハウスのPAは音響のプロ。先に書いた電柱の人は電気技術の専門家、スーパーの試食セールス担当の方はミール・エクスペリエンス・エキスパートというわけだ。こう書くとなんか強そうだ。実際強い人もいるが。

「研究・担当して、それに精通」したと評されるまでに要する期間は、分野や環境、評する側の人間の価値観などなどによりけりだと思うので、この尺度ってまあまあ難しいと思う。
 少し広く世の中を見てみれば、同じ志の先駆者が山のようにいるからだ。オタクたちの古参だ新参だという問題と似ている気がする。

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 大学時代は人文社会学、中でも地域文化を専攻していた。

 正直、学びの場としての大学生活の過ごし方に関しては後悔が大きく残っている。あれほど膨大な資料や設備環境、時間、専門家集団の中にありながら、その1割も活用できていなかったように今振り返ると痛く思う。両手いっぱいに持たされたレジュメと余暇ですら、その手の中で転がすうちにみるみる摩耗して溶けて消えてしまった。
 学ぶ楽しさを痛感した今の精神状態で再び大学に通おうものなら、もちろん余りある自由時間を好きなように使うことには変わりないが、ただその中でももう少し有意義な学びの時間を確保したいと思う。毎日睡魔と戦っていただけの授業も、そうならないよう暮らしのリズムが整えば、自分自身の関心のベクトルがしっかりと向かえば、その多くが楽しい時間に変わり得たかもしれないと、今では思うからだ。たられば論ではあるのだけど。
 地理系の先生が時々、日本の地理学に絡めてオススメのご当地ラーメン情報を挟んでくれていた時ぐらいしか楽しい時間がなかった当時の僕に、今ではそう言いたい。

 幸いにも、卒論だけは自分の好きなテーマを定めて書くことができた。
 地域文化の専攻と書いたが、ゼミの教授は地域社会学とでも呼ぶのだろうか、そういった方面の専門家だった。同学出身者なら一瞬でわかると思うのだが、鼻声と早口が特徴的な、あの人である。

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特に有益な情報はありませんが、読んだ方にとって普段目も向けないような他愛のないもの・ことに改めて触れるきっかけ、あるいは暇潰しになったら幸いだなと思っています。

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