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王様戦隊キングオージャーは「歴代戦隊最高傑作」なんかじゃない

『王様戦隊キングオージャー』が終わりました。

 率直な感想は、「寂しい」です。
 もう彼らの物語が見られないことに対する切なさです。
 意外と、ここまでただシンプルに「寂しい」と思える読後感は、そう多くないものです。

『救急戦隊ゴーゴーファイブ』からスーパー戦隊シリーズを見続けてきて、気づくと25年。
 振り返れば、今やもう観ていない戦隊のほうが少なくなりましたが(昭和戦隊はまだまだ未履修ですが)、その中でも王様戦隊は間違いなく、今までの戦隊史に一石を投じるエポックメイキングなタイトルになりました。
 まずもってすごいのは、第一話、なんならその前情報としての制作発表などの段階からそれを視聴者に感づかせ、最初から最後までそれを信じさせ続け、とうとう貫き通してしまったことだと思います。

「この作品は今までの戦隊とは一線を画すものになっているから、戦隊を見たことがない人にもぜひ見てみてほしい」というような旨をSNSにも書いた気がしますが、ついに最終話を見届けた今でもなお、その気持ちに変わりはありません。

 上のような気持ちをベースにしつつ、しかしながらネタバレ配慮は一切なしで、思いの丈をしっかり書き残していこうと思います。
 それは、もし幸運にも本当に興味を持ってくれた人が読者の方の中にいたとして、いくら王様戦隊のことをこの記事で詳らかに言語化していたとしても、映像を観てもらえるまでその本当の意味は絶対にわかり得ないと断言できるからです。

エポックメイキングは一作にしてならず

 今作のクリエイションとしての一番の特徴は、新技術であるLEDウォールを中心とした画期的なバーチャルプロダクションの導入にありました。
 必ずしも現実のロケーションに立脚しない、より奥行きのあるファンタジー世界の描写は、大人の視聴者が予算の心配をするほど壮大で立体的なものでした。合成の都合上スケールの調整が難しいのかな、と思うようなぐらつきやカクつきも間々ありましたが、全体を俯瞰すると基本的に違和感というほどの違和感はほとんどなく、本当にそういう世界・場所で撮影していると思わせるハイクオリティを維持してくれました。
『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』で、幼馴染たちの回想を中心とした長回しのカットがありましたが、意欲的ではありながら映像作品としてはかなり不安定なものだったので、あれをも今のこの技術で再撮影してみてほしいとすら思うところです。

 ただ、エポックメイキングは一作にしてならず。僕のように王様戦隊の肩を強めに持ちたがる者がつい忘れてしまいがちなのが、やはり戦隊シリーズはそれ自体がクロニクルであり、新作はすなわち過去の作品から脈々とリレーされてきたものの積み重ねでもあるということです。
『魔進戦隊キラメイジャー』、『機界戦隊ゼンカイジャー』では古き良き戦隊のタイムレスな魅力のサルベージに成功した印象がありますが、そのうえでゼンカイでは『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』から育まれてきた完全フルCG/モーションキャプチャー撮影ロボとして、ゼンリョクゼンカイオーがその最終段階に近いクオリティを叩き出したんじゃないかと、素人目ですが感じていました。
 そして『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』ではさらにそれがブラッシュアップされるだけでなく、最初からほぼ最後まで戦隊メンバーが全員集結しない、名乗らない、という戦隊の中核を揺さぶる大型破りに興じてくれたおかげで、王様戦隊結成のあの流れが拒絶反応なく描写され得たのだと思います(もちろんドンブラの特筆事項はそれだけではないですが)。とはいえキラメイやドンブラの「個」が光り、「個」の独立性が目立つ戦隊構成は、時代性による必然的なもののようにも見えますね。
 また、ゼンカイで人間1人×ロボット4体の戦隊を描き、ドンブラでは男性が初めてピンクに変身し、王様戦隊では女性メンバーのスーツからスカートの意匠が消え、性別を明言しないパープルの戦士が生まれました。

 仮面ライダーシリーズと比べてしまうと、どうしても昔から変わらないイメージというか、奇抜さ・アグレッシブさでは薄味に思えてしまいがちな印象のあるスーパー戦隊ですが、隣で出している飯の味付けのほうがあまりに濃すぎるだけであって、その実ここ数年は分厚い壁を何枚も破いてきた印象がありますし、実はずっと前から一作一作ちゃんとチャレンジングに作られてきているんですよね。ホワイトやピンクをリーダーにしたり、敵勢力を複数にしたり、残時間を表示したリアルタイムバトルを展開したり、1作品に2戦隊を登場させたり。
 なので正確には、王様戦隊がいきなり単独で、革命的に戦隊史をひっくり返したというよりは、歴戦の創意工夫や挑戦が積みに積み上がり、王様戦隊のタイミングで一気に爆発したというべきでしょうか。

戦隊のチャームポイント

 世界設定や登場人物も魅力に溢れていました。
 初の昆虫モチーフというのはもちろん、6人の王一人一人の背景に性質の異なる国があるというのも、ありそうでなかったというか。キラメイメンバーが年齢も職業もバラバラで、それぞれの境遇の中で戦隊を兼任しているとか、キュウレンがさまざまな星の宇宙人の寄せ集めであるとかの前例はありましたが、「お国柄」という具体性とパーソナリティを絡めたところが新鮮で、各国の細かな設定まで楽しむことができた印象です。
 戦いと工業の国、医療と芸術の国、実力主義の技術国、氷雪の中立国、平和主義の農業国、虐げられてきた地底国、その狭間に生まれる新興国。リアルの地球史からいろんな設定要素をかき集めて5等分したら確かにこうなりそう、という納得感もあり。
 中でも最初に「うわ~いいな~~」と思ったのは、王の玉座に個性がすごくよく出ていたことでした。産業革命を思わせる歯車の意匠に王の威厳を掛け合わせたシュゴッダム。ゲーミングチェアを玉座にしちゃうンコソパ(実はホントの玉座は別にあるらしいですね)。玉座というよりソファな、わがまま女王のイメージにぴったりのイシャバーナ。氷の結晶をあしらいつつも無骨な裁判長席を玉座とするゴッカン。だだっ広い畳にわかりやすく座布団!なトウフ。当たり前のことですが、「国の一番エライ人」というのは同じでも、文化が違えば座る椅子も全然違うんですよね。

 市民の一人でしかなかったところから、(今思えば、なるべくして)王となったギラ。突然の叛逆罪と指名手配に始まり、ハリボテの覇道から真の王道を歩むまでの変化は実に見事でした。
 酒井さん、優しいときは本当に柔和で穏やかで、邪悪の王モードの時はシュークリームのようにその甘さがちょっとはみ出しつつもしっかり目はぎらついていて、こういう形で二つの人格を併せ持つその併せ持ち方が非常に絶妙だったなと思います(であればこそ、序中盤の邪悪モードが長く続くときは、けっこう観ていて辛い部分もありましたが)。

 ラクレスの振る舞いは、きっと芝居なんじゃないかな、そうあってくれないかなとずっと思いつつ、でも芝居にしてはちょっと暴虐すぎない?本当の性悪なんじゃない?と思えるほどの徹底ぶりが本当に良いスパイスでした。
 王様戦隊がダグデド戦から帰還した時も、ドゥーガの胸で泣いていたし、スズメとのラストシーンで見せた優しい顔はギラそっくりで、やっぱり同じ時間を過ごした兄弟なんだなと納得でした。何より、自分自身も王様たちも彼の罪を許さず、王様戦隊の追加戦士ともならず(「道具」となる)、市民にも深く頭を下げて詫び、一生をかけて償ってゆくという完璧な「その後」でした。
 コフキ(と、きっとべダリア)の再登場もしっかり本編のカギを握っていて、スピンオフをスピンオフっきりに終わらせないところも好印象でした。本編のバックグラウンドを補完する程度のスピンオフであればよくありますが、さらに「現在」あるいは「その後」にあたる本編の物語にもしっかりコミットできたのも、作り込みの為した業なのだろうと思います。
 双剣ドゥーガ&ボシマールも、王に尽くす姿勢は一貫して揺るがず、特にドゥーガはギラに対しては若き王を導く年長者としての顔も併せ持っていたことで魅力が倍増でした。最後の「同感です」の顔、あれを観たかったんですよねえ。ボシマールの最期の一言もすごく気にはなりますが……これはきっと「行間」として、あえて詳らかにされない部分でしょうし、そうあるべきだと思います。本当にボシマールが伝えたいであろうことを列挙すれば、あの尺では済まないでしょうから。

「スラムからの成り上がり」というルーツを持つだけでなく、六王国の中でも特に宇蟲五道化による襲撃をモロに受けた国というのもあり、破壊と再生の中でもがくイメージが強かったンコソパ。ヤンマは、シオカラたちとの出会いはもちろん、序盤で築き上げたギラとの絆も見ごたえ抜群の名場面でしたし、それを踏まえてこそ終盤ギラに全幅の信頼を寄せていたことも端々に窺えて。「シュゴッドはただの機械」というスタンスそのものは序盤のままでも、「だから魂さえ無事ならボディは俺が必ず治す」とまで言えるようになったのは、きっと自分の技術的なプライドだけによる発言ではないはずでしょうし、これは成長と捉えてもいいのかもしれません。
 アッカ・ウスバ・マユタのンコソパ三賢者も終始いい味を出していて、他の国にも言えることですが「この国の民はこういう感じ」というのを端的に代表してくれていたのがよかったです。

 村上愛花さんが福島出身の同郷ということもあり、おのずと心がヒメノ贔屓をしてしまう一年でもあったりしました。最終決戦の鍵でもある「命」を語らせるうえで不可欠な存在でしたし、神の怒りで失った両親との向き合い方や、王の証をめぐるジェラミーとの掛け合いも大好きでした。
 ああいういわゆる「気迫ある女性」のお芝居って、役者さんとの相性が悪いと難しい印象があるのですが、村上さんは割と初めからしっかりど真ん中を食って一年間駆け抜け、想像以上に王の風格を纏われたなと思います。リタとの友情についても、髪を引っ張りあえるような間柄になったことや、最後にもっふんの本を読んでいたところからも進展が窺えて嬉しかったです。
 出会いの過去に言及のあったセバスだけでなく、途中から名前が明らかになったクレオとエレガンスもイシャバーナには欠かせない存在として確実にランクアップしていて、キャラクター愛を感じました。

 と言いつつ、制作発表の段階ではリタ推しでしたし、きっと多くのファンもリタというキャラクターには注目していたと思います。が、われわれの想像していたリタのギャップと実際に描写されたそれが少し違っていたのは、我々のそういう反応を受けたうえで見直された部分だったみたいで、そこは脚本や役作りのプロ根性に唸りました。
 もちろん一年を通して描かれたリタという人間の奥行きはとても素晴らしいものだったと思いますが、モルフォーニャとの関係性や前裁判長との過去(これは漫画『ゴッカンのリタ』でも少し触れられていましたが)、罪人ばかりで構成されたゴッカンという国そのものの全容など、まだ掘り下げの余地がありつつも掘り下げ切られなかったイメージのほうが個人的には強くなってしまいます(他国のそれが深すぎたのかもしれませんが)。
 あと、僕が個人的にどうしても避けて通れないのがリタアイドル回です。一見すると遊び心とサービス精神の塊のような回ではありましたが、かえって「やりたさ」以上の意図や意義が感じられず(僕としては受信できず)、全50話の中でも僕がどうしても受け容れられなかった数少ない要素のうちのひとつでした。戦隊って本来的にはそれでいいはずなんですけど、ここまでに書いてきたような精密な魅力や努力で成り立っている王様戦隊であればこそ、それとは食い合わせの悪い部分というのがあったんだと思います。

 これは少し脱線かもですが、僕は王様戦隊が大好きではあるのですが、ただそのクオリティや意欲性だけの理由で「歴代戦隊最高傑作」のようには言い表したくないんです。やっぱり「芋羊羹で巨大化」とか「クリスマスにシャケ食わす」みたいな楽しいバカを全力でやれる、もっとあっけらかんでポップな世界こそが元来の戦隊のチャームポイントだと思うから、王様戦隊をテッペンにしちゃうと、そういうポップな歴史を全部茶化してしまうようにも思えてしまうんです。そう思うと王様戦隊って、ある見方において言えばENGEIグランドスラムにおけるオリラジみたいなものだったのかもしれません。
 そうしたチャームポイント自体、我々大人がつい忘れがちな「メイン視聴者層」の年齢を考えればさもありなんではあるのですが、なにせ僕らもかつてはその層にいて、そのまま戦隊と一緒に大人になってしまった。そのせいで、「戦隊は自分たちのために作られている」意識が抜けず、SNSで目を覆いたくなるような投稿が散見されたりするんだと思います。スタイリッシュな作風は今作のほかにも『特命戦隊ゴーバスターズ』なんかも近しいものがありますが、これらはただ大人との相性がたまたまよかっただけで、いつだって戦隊はキッズのためのものなんです。

 閑話休題。カグラギは当初、真意の読めない不穏なキャラクターでしたが、回を進めるごとに快活さと豪胆さが押し出されてきて、「二枚舌の事なかれ主義」という負属性的なパーソナリティと絶妙にかけ合わさったなと膝を打ちました。
 スズメを挟んでラクレスとも特に近い関係性にあっただけに、常にその動向が気になる存在。しかし上記のような要素も手伝って、次第に「この言動にも必ず王様戦隊の助けになる何かが秘められている」と無条件に信じられるようになっていました。これがなかったら、カグラギは仲間としてはちょっとキツかったかもしれません。
 ゆえに、映画と本編イロキ回によって明かされた「本当は国一番の正直者」というのがさらに味を出してくる。イロキというキャラクターが持つ底知れなさや内に秘めた王の風格、そして6人中最年長である佳久さんの芝居がさらに魅力になって、これまたかなり好きなエピソードです。

 で、結果として僕はジェラミー・イドモナラク・ネ・ブラシエリのオタクだったんだということがわかりました。
 元々のキャラクター性に上乗せして、2000年間歴史を紡いでき(てしまっ)た語り部としての責任や、禁断の存在としての苦悩などが折り重なり、そして何より池田匡志さんの芝居が非常に良くてですね……。ちょっとミステリアスで文学的、その割に笑顔はチャーミングで無邪気な一面もある……が、あくまで2000歳の厚みは失くさない。これをやれる役者さんはそう何人もいないと思うんですよね。王様戦隊箱推しでありながら、池田さんのエックスだけはフォローしてしまいました。
 実は最初からナレーションとして参加していた、というギミックにもやられました。ギラっぽい声だけど多分違うよな、などと思っていたんです。でも入れ替わり回とかを見ていると、やっぱり大枠はギラと似ているんですよね。
 前半、デズナラクとの決着がまさか「和解」とは思わず、これもまた歴史的な着地点だなあと感激しました。最終決戦で母と再会したときに一人称が「ぼく」になるのも最高すぎました。

ぼっちの王様

「受け容れ難かった要素の一つにリタアイドル回がある」と書きましたが、もうひとつがミノンガンでした。うろ覚えですが確か幼児退行回が2回くらいあったと思うんですよね、体ごと退行する回と、精神だけ退行する回と。ひとときのバラエティとしては楽しめても、ああなるとミノンガンという存在そのものの振り幅の狭さも露呈しますし、いくら王様キッズがかわいらしくても、何度もやられると「また……?」とはなってしまいます。
 また、従来の戦隊のように個性を持った敵が代わる代わる襲い来るバグナラク編と違って、会敵する相手が宇蟲五道化しかいない(しかもなかなか倒せない)という状況は、一歩間違えれば大きなマンネリに陥る危険性をはらんでいた、というのはミノンガンに限らず全体的に言えたことでもあると思うので……これを乗り切れたかどうかというと、再生バグナラクを使役したとはいっても、やっぱり微妙だったのかもしれません。ヒルビルの洗脳能力も、随所で巧みにものを言わせつつ、「何でもアリ感」「やっぱオマエか感」もやはり否めなかった。それを除いても、やはり各国あるいは各王のエピソードを薄く引き伸ばして繋いだ印象というのはどうしてもちらつきます。

 ことほど左様に宇蟲五道化については、あまりにも強すぎるせいで風呂敷をちゃんと畳みきれるのかという心配もSNSで数多く見受けられました。ただ、初登場時のあの絶望感はなかなか体験できないレベルのもので、その悪寒には興奮させられたのをよく覚えています。彼らがやってきたことのおぞましさを伝えるうえでも、くだんの映像技術が一役買っていたと思います。
 敵ながら天晴な精神性とデザイン面とで胡乱のゴーマ、そしてその特性と辿った顛末とで静謐のグローディがお気に入りでした。

 ダグデドに関しては、やっぱりあの頭上のクリアパーツの中身が本体だったわけですが、ひとを散々オツブ扱いしていたそいつ自身がまさにオツブだったという点や、そうやって舐めて授けた力で自分自身が斬られる自業自得感なんかはまさに因果応報、受けるべくして受けたブーメランという感じで見方によってはスッキリだったのかなと。
 ただ、これもまたSNSであがっていた懸念点ですが、この終わり方ではラスボスとしてあまりにもお粗末ではないかと。「遊びと称した破壊にもセンスってもんがあって」と、過去の戦隊のラスボスを引き合いに出す声もありました。みなさん、着眼点も鋭いし、自分自身の中にしっかり鑑賞体験というものを積み上げて「持論」を提言できるのだから本当にすごいです。僕にはなかなかうまくできません。

 個人的には、ダグデドの支配する宇宙のあの部屋は、それで全宇宙ではなく、本来の宇宙のほんの一角でしかなくて、子供が砂場に線を引いて領地を作るように、「自分の遊び場はここからここまで」と決めて遊んでいただけなのではないか……まさに「たかだか狭いこの部屋が、貴様の限界」だったのではないかなと。最終決戦で部屋の「向こう側」があるような描き方もされていましたしね。
「お片付け」も、例えばそれがダグデドの持って生まれた使命であるとか、さらに上位の存在に指示されたみたいな脈絡ある行為ではなくて、いわばおままごとで「ごはんにするから食卓を片付けて!」と親の真似をしてぬいぐるみに話しかけるような、ひとりの妄想世界のルールに従っているだけの行為だったんじゃないかなあと今は思っています(五道化たちがまさにそのぬいぐるみの位置にあったのかどうかはわかりませんが)。最後に本体が小さな王冠とマントを身に着けていたところなんかはまさにその精神性(さしずめ、ヤンマの言った「ぼっちの王様」)の表れのような気もして、そんな粗末な行動理念に基づく存在なら、まあ粗末な終わり方でもそれはそれでいいんじゃないかなと。
 結果、彼は王様にも何にもなれなかったわけですし、友達もできず、褒められもせず、過大評価と驕りで自分に弱点を作り、自分で考えた遊びすらうまくできなかった……それでいいんじゃないでしょうか。ダグデドがチキュー人と比べ物にならないほど強かったからこそ、視聴者としてもよりテクニカルな乗り越え方やカタルシスを期待してしまうのも自然だったかもしれないですが、そもそもの彼自身の矮小さを思えば、ある意味これが「ラスボスとしてあまりにもお粗末」とは言い切れない最期だったと思います。これまた、あくまでも一視聴者が勝手に読んだ「行間」ですが。

 またも脱線の自覚アリで書きますが、『エヴァンゲリオン』シリーズや『シン・ウルトラマン』なんかで描かれた「単独で永遠に成立する完全生命」と「有限の群体で成立する不完全生命」との対比が、この王様戦隊においてもある意味描かれていたのかなあと思いました(部屋パリーンのシーンでシンエヴァを想起したのは僕だけではないはず)。
 超絶怒涛究極完全体キングオージャーの鍵となる永遠の命のくだりでは特にこれを感じました。でも不思議と、似たような話題やその解釈でも、描く作品が違うとまた少し違う味わいになるから面白いですね。
 死の国の存在や、死者がデボニカの導きで帰ってこられてしまうというのも、本当は掟破りなんだけれど、そうやってひとつのテーマ性としての命の扱いがあったからこそ許容できるファンタジーのような気もしました。

反逆者どもの子ども

 チキューの中での争いから宇宙全体にまでスケールアップしたこともそうでしたが、さらに『獣電戦隊キョウリュウジャー』にまで繋がるとは予想だにせず、だいぶ驚かされました。
 さすがに偶然でしょうが、デーボス軍が地球より先に昆虫文明を滅ぼしてきているという話がオリジナルでも有り、キョウリュウレッドがキングを名乗っており、かつそれがちょうど10年前の作品で……とにかく奇跡的な親和性に満ちたコラボでしたし、なんやかんやで一番ざわついていたのが制作側だったら面白いなあと思いますが。VS映画も今からとても楽しみですね。

 主題歌『全力キング』も大好きでした。イントロが流れたら自然と「宇宙の片隅の惑星、チキュー」と口にしてしまいますね。
『JIKŪ 〜未来戦隊タイムレンジャー〜』や『LUCKYSTAR』など、戦隊名をかなり抑え目に歌う主題歌はあっても、一切含まない主題歌というのは初めてだったでしょうし、でもそれも王様戦隊ならではの試みだったと思えます。
「歌詞のこの辺が本編のこういうところにリンクする!!!」みたいなことは、古川貴之さんもそこまで計算づくで書いてはないだろうなと思い割愛しますが、古川さんが込めたという「失敗しても諦めないで頑張ろう」というメッセージは、間違いなく波乱を生き抜いた六王国の王と民=「反逆者どもの子ども」を表現していて、これ以上ないベストマッチな歌になったなと思いました。

 そして、いちばん最後の最後のシーン。初期で描かれていた六王国の相容れなさ感が再び描かれていましたが、特にラストの「俺様が世界を支配する!」というギラの口上に五人の王が乗っかっていたところ。口々に自分の言葉として言っていたなら、一人称は「わたしが~」とかに言い替わるはずが、全員「俺様が」になっていたあたり、ギラを真似ておちょくっていたってことかなと僕は思いました。確実に王たちがこの一年で変わったことを感じられる、良い締めくくり方でした。

「最高」はひとりひとりの中に

 さて……書きたいことは全部書けたのか、当て外れなことを書いていないか、不安はぬぐい切れませんが、とりあえずこんなところでしょうか。

 期間の定めはあるでしょうが、TVer、アマプラ、TELASAなどで見逃し配信もありますし、興味を持たれた方には今からでもぜひ観てほしいです。
 無理かもですが、同時進行で次作『爆上戦隊ブンブンジャー』も追ってくれたらなお最高です。見てくださいよこのタイトル。さっきの「チャームポイント」ってのはまさにこういうことです。ポップにあふれた、「王道の戦隊」がきっと観られる予感がしていますよ。

 今作は複雑でしっかりした世界設定だからこそ、話の作り方や整合性の取り方が難しい局面も多分にあったと思いますし、気になる人にとってはむず痒さもあったでしょうが……この作品を好きと思えた自分としては、それらをすべて自分が読むべき「行間」として受け入れることができました。「隙間の咀嚼はファンに任せろ、あとはこっちで勝手にやるぜ」ってな具合に。

「無理に一つになる必要はない」「交わらないから面白い」「好きなところは受け入れて、嫌いなところはそっとしておく」「違う者同士共に生きればいい」「手を繋ぎ、力を合わせるのはいざという時だけでいい」。
 至言でした。強烈な個性をそれぞれに持つ王様戦隊だからこそ至れた結論ですし、全てを統べる王を名乗っていたジェラミーからこの言葉を聞けたことも嬉しかったですね。言わずもがな、現代社会にも通ずるものがあります。

 仮面ライダーと違ってリバイバルやレジェンド客演の機会がそれほど多くない戦隊シリーズですが、いつかまた6人の王やチキューの未来が見られる日が来ることを楽しみに思いつつ、今はこの結末に満足し、じっくり余韻に浸りたいなと思います。
 直近ではVSだけでなく、最終3話の特別配信も待っていますしね。


 王様戦隊キングオージャーは、決して「歴代戦隊最高傑作」なんかじゃない。
 なぜなら、今までの戦隊が持っていた輝きのうちのいくつかをあえて捨てて、分厚い壁を破ることに全力を懸けたから。
 それに、これは綺麗ごとですが、「最高」はひとりひとりの中にあって、何度でも、無限に更新されうるものだから。

 ただ、王様戦隊はその無数の「最高」の中に、誰もが決して無視できない爪痕を残し、「伝説の作品」となったことだけは、今のところ間違いなさそうです。

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