見出し画像

「生きてて偉いね」

最近の我が家の流行ワード
「生きてて偉いね」


最初は娘が冷蔵庫に貼ってた付箋。
共用してる車を家族が外出してるときに勝手に乗って行く時に
「ごめん。車借りてく。生きてて偉いね」というメッセージに対して
息子が「俺が使いたかったらどうするんだ。生きてて偉いね」と
付箋で返信してたのが始まり。
仕事から帰った私は「ほっこり」と
ふたりに写真を送ってしまったんだけど。

以降、うちでのあいさつ代わりに毎日のように
「生きてて偉いね」って言ってる。
多分「今日も一日お疲れさま」な感じで使ってる。

よくよく考えるとうちの親子の挨拶はちょっと変わってる。
「行ってきます」じゃなくて「お見送りは?」だし
「いってらっしゃい」じゃなくて「無事に帰ってね」だし。

「いただきます」じゃなくて「ありがとう」だし
「おやすみ」じゃなくて「また明日ね」だし。

もちろん「おはよう」「おやすみ」は大切だし
「ありがとう」「ごめんね」は海外に行く時はその単語だけは覚えろって
小さい時から教えてきたけど。

条件反射で「おやすみ」って言うより
「明日も会おうね」「また明日ね」の方が
なんとなく気持ちこもってる気がしてる。
同じ家に住んでるんだからフツーに考えたら「起きたらそこにいる」のに
あえて「また明日ね」「会おうね」って能動的な気がしない?

「当たり前」の反対語って「有難い」だって言うじゃない?

一緒に住んでたら「当たり前」な「翌朝会う」とか「帰ったら会う」が
当たり前じゃないんだなって。

うちは子供が小さい時からどれだけ喧嘩してても
「出かける前に仲直り」「寝る前に仲直り」をルールにしてたからかな?

例えば出かけた先で交通事故に遭うかもしれない。
寝てる間に大地震が起きて家具の下敷きになってるかもしれない。
毎日くだらない事いいあえるのが当たり前じゃないって
子供たちにも沁み込んだのかもしれない。

私自身、子供たちの年齢の頃は「生きる」ってことに
すごくプレッシャー感じてたし不安も大きかった。
もちろん、自己肯定感には波があるから大人になった今だって
不安を感じたり自信を無くす日だってある。
でも、毎日のように「生きてて偉いね」「今日も頑張ったね」って
子供に声掛けしたり子供に声掛けしてもらえると
「そうだよね」ってほっとできたりする。

どんなにキラキラして見える人も実は悩んでるし迷ってる。
ただ、それを見せないだけ。
平気そうな顔していることに甘えてこっちの好き勝手な気持ちをぶつける
サンドバッグにしていいわけじゃない。

私は子供の反抗期に「外で頑張ってる子供たちの息抜きになれば」と
結構言いたい放題言わせて精神的にサンドバッグになってたんだけど
さすがに耐えきれなくて「ママだって人間です」ってキレたことがある。

うちはまだ親子間だったから「あの時はごめんね」とか
フォローしあえたけど。
これがSNS上とかだったら謝るチャンスもないのに
一方的に傷つけるだけだよね。

自分は自分の人生しか見えてないってことを忘れないように。
自分も、自分以外の誰かも「今日も生きてて偉い」
忘れないようにしたいと思う。

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?